ユーキャンフライ
「さて、アーサーくん。私、もう行かなきゃ」
不意にノーラが切り出した。再会した時と同じように前触れもなく突然の別れの宣言だ。
「行くって、どこにだよ? まだカニも食ってないし、何より兄さんをこのまま晒しとけって言うのか?」
アーサーとノーラが立つ岩場にどかんと横たわるキングマンボウの巨大な遺体。これを動かすには大型クレーン車が必要だろう。
「曜市なら観光客が見つけて警察かテレビ局へ電話するはずよ。それよりも転生ハローワークに戻らないと。曜市は死亡ガチャに関わらずすでに転生条件をクリアしてるはず。こんなおもしろ、偉大な功績を遺した人は私が新しく転生させてあげないと」
「今、おもしろいって言いかけただろ」
「細かい事は気にしないの。はい、これ」
ノーラは黒スーツのポケットから一万円札を十枚取り出してアーサーに握らせた。
「これでカニでもマンボウでも美味しいの食べて電車で帰って。ね?」
「これ見た後にマンボウなんて食えるかよ」
「何よ、今やマンボウ料理は金沢県の名物料理よ」
「金沢県って、あんた福井と石川の両県民を敵に回したぞ」
「だから細かい事は気にしないの。じゃあ、バイバイ。また会いましょう」
ノーラの身体が霞に包まれたようにぼんやりと輪郭が滲んできた。
「あ、それと。さっきは助けてくれてありがと。かっこよかったぞ。お姉さんがあと百歳若かったら放っとかなかったかもね」
そしてアーサーが口を開く前に、霞が風に巻かれるようにノーラは消えてしまった。ぽつんと荒れた岩場に残されるアーサーと曜市の巨体。大きな波がざぶんとしぶきを上げた。
こんな状況にほっぽり出されてどうすりゃいいんだ。
アーサーはやっとの事で岩場のてっぺんまでよじ登り、ふうと大きく息を吐き捨てた。ノーラの移動能力のおかげで降りるのは楽だったが、登るのはかなり急な階段を這いつくばりよじ登る感じでかなり足腰に来た。しかしこれはこれでいいトレーニングになりそうだ。もう二、三本やってもいいくらいだ。
さて、トレーニングはともかく、うちに帰るために最寄り駅を目指すか。何か知らないが交通費は貰えたし、カニ弁当でも買って北陸新幹線に乗ってみるか。
と、そんな事を思いながら東尋坊の岩場を歩いていると、いつの間にか、目の前に黒スーツスカートに赤ネクタイ、赤眼鏡、そしてお団子ヘアの女が立っているのに気付いた。
「うわっ! ノーラ! びっくりした!」
「……アーサーくん」
「何だよ急に出てきやがって! ハロワに戻ったんじゃなかったのか?」
つい今さっき霧みたいに消えてしまったはずだ。それがまた不意に現れやがって。
「うん、ちょっとね」
ん? どこかノーラの様子がおかしい。目を伏せて、うつむき、言葉にいつもの有無を言わせない勢いがない。
「アーサーくんにお願いがあって、ね」
つと、ノーラが手のひらをアーサーの胸に置いた。そのまま倒れこむようにアーサーにもたれかかる。ノーラのお団子ヘアがアーサーの鼻先に揺れて、シャンプーの花のような香りが鼻をくすぐった。
「……ノーラ?」
「……アーサーくん」
ノーラがアーサーを見上げる。思わずアーサーはノーラの身体を包み込むように彼女の肩にそっと手を置いた。ノーラは潤んだ瞳を静かに閉じて、消え去りそうな声で言った。
「……んで」
真っ白い事務所的空間の転生ハローワークに再び灰谷曜市の姿があった。頭に光の輪を乗っけて、ゆったりとした白いローブを羽織り、堂々とカウンターに腰を下ろす。頼りない背もたれ付きの椅子がぎしりと安っぽい音を立てた。
「やっぱりいいな、ハロワって」
「ハイハイ、あなたの未来を鷲掴み、ノーラ・カリンがあなたの転生のお手伝いをさせていただきますよー」
カウンターの向かいに座る赤眼鏡のハローワーク職員がぺこりと頭を下げた。頭のてっぺんで髪を結んだお団子ヘアがふわりと揺れる。
「うん、よろしくお願いしますよ。ノーラさん」
「あんまり調子に乗ってると今度こそマダガスカルゴキブリに転生させるからね」
「世界最大のゴキブリですよね。マダガスカルG。別に構いません。やり遂げてみせますよ、マダガスカル革命を。この僕が」
「やめて」
それはシャレにならない。曜市ならほんとうにやりかねない。マダガスカルゴキブリが人類に代わって地球を支配する日が来てしまう。それこそ終末の日だ。
「しっかしまあ派手にやったものね」
話題をそらすためにノーラは手元のタブレット端末に目をやった。曜市の頭の光の輪から読み取ったデータによると、マンボウ達の意識革命は海を渡り、大西洋まで波及してそれこそ全世界規模での海の生態系を変化させる一撃を与えそうだ。
「世界の海はマンボウだらけになるわね」
「それもまた自然の成り行きですよ」
「そうも言ってらんないわ。地球の食糧事情を再編成する必要が出てくる」
「大丈夫です。いくら海は広いと言っても摂取できるカロリーは限られている。だから、ある程度年を経て大きくなったマンボウは群れを離れて口減らしをしろと教えてありますから」
「あんたが自分自身でやってみせたように?」
「そうですね」
福井県沿岸全域に多大な経済効果をもたらし、海の生態系を絶妙なバランスでコントロールし、沿岸部の水質まで改善してしまったマンボウの王。さて、次なる転生先には何者がふさわしいか。
「何になろうかな。何でもなれるって、かえって迷っちゃいますよね」
曜市が背もたれに身体を預けて天井を仰いだ。安っぽい椅子がぎしっと悲鳴を上げる。
「そんな曜市に朗報よ。とっておきの転生先があるの」
「とっておき?」
「『ブリリアント・ストーリーズ・オンライン』の制作者は知ってる?」
「もちろんだ。宮原ソーマさん。ゲームの中で一度お会いした事があるよ」
「宗馬と会った事があるのね。なら話は早いわ」
『ブリリアント・ストーリーズ・オンライン』は曜市の人生そのものだった。メインデザイナーの端本まりあが失踪し、制作開発者の宮原宗馬が過労死して、ついにサービス終了となった伝説のMMORPGだ。プレイヤー達の間では、ソーマとマリアは異世界に召喚されちまったんだ、ともっぱらの噂だった。
「……まさか、ソーマさんは!」
曜市は息を飲んだ。がたりと大きな音を立てて椅子を跳ね除けて立ち上がり、カウンターを飛び越える勢いでノーラに詰め寄る。
「ええ。宗馬はいわゆる異世界転生を果たして、とあるダンジョンを管理運営しているの。それがちょっと厄介な訳あり物件でね、さすがの宗馬も手を焼いているみたいなの。そこでね、ダンジョン運営の従業員を募集してるそうなんだけど……」
ノーラはちらっと曜市の顔を覗き見た。曜市の目は、そりゃあもう、らんらんぎらぎらと輝いていた。よし、食い付いたな。
「やる気は? 転生先は人間じゃあないけど、曜市のマンボウの実績があれば即採用なはずよ」
「もちろん! ぜひやらせてください!」
そう来なくっちゃ。ノーラはすらりと金色トンカチを抜いた。
考えてみれば、社畜と意識高い系との相性は抜群にいいはずだ。この二人が出会う事によって生じる化学変化は、魔王付きダンジョン運営にきっと強い影響をもたらすだろう。それが良い方向性か、悪い相乗効果かは別として。
「あなたにしか出来ない仕事よ」
ノーラは振りかぶった。
「どんなですか?」
曜市が自ら頭を差し出す。
「全オーク社畜化計画」
そして、光の輪は高らかに打ち鳴らされた。
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