第三章 あなたの死後のお手伝い、或いは、あなたの明日をアップデート

新時代の幕開けは清々しい朝突然に


 この腐り切った世界を変えるには何人のオークが必要か。


 答えは簡単だ。一人だ。


 しっかりと前を向いた一人がいればいい。その目でよく見てみろ。世界は腐ってなんかいない。腐っていたのはおまえの目玉の方だ。まずは目玉を洗い流し、しっかり前を見据えるんだ。僕が、その一人となろう。




 名も知らぬ草の生えた森の小径を歩いて行けば、やがて森はひらけて広い街道に出る。空気がそっと頬に触れて教えてくれる。ここからは別世界だ。森の陰に冷やされた湿気を含んだ空気に、陽に温められた軽やかな風が混じり、そして、森が終われば空は青く突き抜ける。


 森の縁をなぞるように敷かれた街道に、のっそりと歩み出た一体のオークがいた。まぶしそうに青空を仰ぎ、あまりに太陽の光が強過ぎて痛みを伴うような激しい目眩を覚えて、ふらり、身体が大きく傾いて思わず地面に尻餅をついてしまった。そのままの勢いで街道にごろりと大の字になって寝っ転がるオーク。


「生きてるって、素晴らしい!」


 そのオークは今日この日に十三歳の誕生日を迎えた。人間で言えばちょうど二十歳くらいだ。


 オーク族は人間族よりも大きな肉体を持ち、強靭な筋肉の鎧を纏った狂暴な亜人種である。切り株のような短い脚で二足歩行し、丸太のような長い腕で重い武器を容易に扱う荒れ狂った猛獣のごとき生まれついての戦士だ。その全身は平原に揺れる小麦のような剛毛で覆われ、山のように盛り上がった背筋と胸筋の上に猪の牙と鼻を持った大きな頭が乗っかっている。


 長い年月をかけてオーク独自の言語と文化を展開させ、人間の公用語をも使いこなす個体もいた。戦乱の歴史の中、時には人間の天敵とまで言われた時代を経て、今では世界を支配する人間族に次ぐ勢力としてオーク族は歴史を紡いできた。


 十三歳を迎え、成体となったこの若いオークもまた、戦いに明け暮れる戦闘民族としての熱い血潮を備えているのであろう。手には大金槌を持ち、なめした獣の皮を継ぎ接ぎした鎧を身につけていた。


「やっぱり森とは空気も一味違うな」


 若いオークは潰れた大きな鼻をヒクヒクと鳴らして新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、胸にこびり付いた古く澱んだ生き様そのものを吐き捨てるように大きく息を吹いた。


「さあ、何をしよう」


 やらなければならない事がたくさんある。さて、何から手をつけようか。


 オークはふと、空気に水の匂いが混じっているのに気が付いた。近くに小川がありそうだ。そして、脂ぎった据えた獣の臭いも。それは自分の身体から湧き上がっていた。


 まずはこの汚れた身体を洗おうか。若いオークは生まれて初めて沐浴をしてみる事にした。




 小川の水はきりりと冷たく、身が引き締まるとはまさにこの事か。と、若いオークは全身を小川に浸して剛毛を掻き毟るように洗い流した。


「ハッハ、こいつは気持ちがいい! 何で今まで風呂に入らない生活をしていたんだ」


 小川の水がどんどん薄茶色に染まっていく。皮脂と汗と土埃とがごわついた塊として体毛にこびりついていたが、それがボロボロと剥がれ落ち、若いオーク本来のオレンジがかったブラウンの毛色に戻っていった。


「みんなまずは風呂に入るべきだ。うん、そこから始めよう」


 ざぶんと頭から小川に潜り、体毛同様に汚れ切った頭髪をゴシゴシと洗う。上流から流れ来る澄んだ水と十三年分の汗や垢を含んだ茶色く濁った汚水とが入り混じって川面にマーブル模様を描き出し、オークはどんどん身も心もが軽くなっていくのを実感した。


「ぶはあっ!」


 大きく水飛沫を上げて川面に顔を出す。そこから見えたものは、青く突き抜けた空、丸く転がるように流れる白い雲、香りまでも透き通った風、そして荒々しく研がれた一振りのブロードソードだった。


 若いオークが雫も滴る顔を上げると、そこには金属の鎧を身に付けた人間の男がしゃがみ込むようにしてオークへ幅広の剣を向けていた。


「よお、何をしてるんだ?」


 無精髭がよく似合うその人間はニヤリと笑いながらオークに尋ねた。ピタリと剣先をオークの大きな鼻先に向けたまま、いつでも突き刺せるように。


「見ての通り、お風呂に入っているんですが」


「風呂ぉ? あーあ、きれいな川を汚しちまって、魚が可哀想だぜ」


 人間はちらりと小川の下流に目をやって言った。オークもその視線の先をたどる。確かに、オークより下流側の水は茶色く濁ってしまっていた。


「大丈夫ですよ。僕の垢も皮脂も有機物ですので川の微生物によって生分解されます。魚もあるいは餌として食べてくれるかも知れません」


 まさかオークの口から公用語のお手本のように流暢な標準語が飛び出て来るとは。喋ってる意味は小難しくていまいち理解出来ないが、剣を構えた人間を豪快に笑わせるには十分な喋り口だった。


「あーっはっはっ、面白えオークだな。おしゃべりついでにおまえに聞こう。この先の森にオークどもの根城があるはずだ。おまえはそこのオークか?」


「ええ、はい、いかにも。根城と言うか、アジトと言うか、集落ですね。何か御用ですか?」


 人間がブロードソードを構え直して言う。


「国からの依頼でよ、おまえらをぶっ殺しに来た。でもまあ一匹くらい見逃してもいいかなって思ってる。根城の情報をおしゃべりしてくれれば、おまえの命は助けてやってもいいぜ」


 なるほど、フリーの傭兵団と言ったところか。ブロードソードの人間の背後にさらに数人の人間達が姿を現した。みな経験豊かな歴戦の戦士達に見える。


「戦闘前に敵の情報を探るその考え方は見事です。情報を制する者は戦いを制す。素晴らしい。ですが、それは不要でしたね」


「……不要って、どう言う意味だ?」


 若いオークが川の中から立ち上がった。ざばあっと大きく川面に波紋を作り、筋肉の塊とライトブラウンの毛に覆われた上半身を見せつけて来た。


 人間は思わず後ずさってしまった。でかい。でか過ぎる。相手は川の中にいると言うのに、オークと目線を合わせるのに見上げなくてはならなかった。通常のオークの倍近くある巨躯だ。


「もう、そこに集落はないからです」


 オークが静かに答えた。


「ない、だと?」


「意識の低いオークに説得も交渉も無駄でした。僕が、彼らを滅ぼしました」


「滅ぼし、って、五十はいたって話だぞ。仲間割れでも起こしたのか?」


 この若いオークが、一つのオークの根城を全滅させたとでも言うのか。


「僕は世界を変えなければならない使命を背負っているんです。悲しい事ですけど、彼らにはそれが理解出来なかった」


 オークは感情豊かに標準公用語を完璧に使いこなして続けて言った。


「あ、みんな死んではいませんよ。二度と僕に歯向かえないよう徹底的にやり込めただけです。この僕が」


「一つのオークの根城が全滅だと? おまえ一匹でか?」


「大いなる使命に犠牲は付き物です。歴史がそれを証明しています」


「……何が言いたいんだ?」


 十三歳の朝。朝食の鶏の鳴き声で目覚めると、まるで朝陽が身体に染み込むように、別の人格が降りてきたのが感じられた。


 自分はオークだ。十三歳になったばかりの若きオークだ。しかし同時にマンボウと言う巨大な魚の王であった。そして異なる世界で力もない小さな一人の人間でもあった。


 あの時出来なかった事が、今なら叶いそうな気がする。それだけのパワーが自分にはある。転生ハローワーク職員のお団子ヘアに赤眼鏡の女と約束したんだ。


 転生後、一年間の準備期間をあげる。その一年間、全力で準備しなさい。


 そして、オークに転生した自分がいる。自分に何が出来るのか。いや、違うな。自分は何をしたいのか。あの頃の自分が、オンラインゲームの中で出来なかった事を、今こそこの異なる世界でやり遂げるんだ。


「あなた達は傭兵ですよね。この先のオークの根城はもうすでに壊滅済みです。仕事は終了しています。そこで、新しくあなた達を雇います。この僕が」


 人間はブロードソードをオークに突き付けたまま少しだけ考えを巡らせた。こいつは何をしたいんだ? それと、カネになるのか? と。


「オークに雇われたとして、俺は何をするんだ?」


「俺、じゃあありません。僕とあなた達とです。一緒に破壊しましょう」


 破壊への強い衝動はオークの持って生まれた気性のようなものだ。俺にそれをしろと言うのか? 人間は幅広の剣を握る腕に力を込めた。


「俺に破壊活動をしろと? いくら傭兵にまで身を落としていても、オークと同じレベルにまで落ちたくねえな」


「いいえ、違いますよ。僕が破壊したいのは、人々の固定概念です」


 何か、極小の雷に打たれたような、人間の心にビビッと走り抜けるものがあった。


「固定概念、だと?」


「古臭くて凝り固まった概念を打ち破り、新しい時代を作るんです。僕達、人間とオーク、異種族が手を取り合って」


 このオーク、本気で言っているのか?


「僕は異種族傭兵団を設立します。種族を越えた安全保障です。コングロマリット化した異種族間安全保障機構です」


「こんぐろ、まりっと?」


「複合型企業体の新しい形です。これからは、異種族間の戦争もビジネスとなる時代なんですよ」


 オークが小川に沈んでいた右腕を人間に差し出した。これは、握手をしよう、と言う事か?


「新しい時代に導きますよ、この僕が!」

 

 そのオーク、乾いた頭髪は朝陽を受けてオレンジ色に輝いて、きっとブラシを入れたらモッフモフになりそうな毛玉の中に笑顔を浮かべて、そしてその意識ははるか高みにあった。


 その若きオークはハイタニヨーイチと名乗った。


 新時代の幕開け、ある朝の出来事である。

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