宮原宗馬の場合 その4
我々にとって仕事とは餌である。
会社と言う組織が薄汚いアルミニウムの皿にべちゃりと放り投げてくれるそれはそれは美味しい餌である。
我々は餌を食わなければ飢えて死んでしまう。
だから、我々はそれを「旨い、旨い」と涙を流さんばかりの勢いで貪り、貪り、貪り尽くさなければならない。そうしてようやく、会社は我々に餌を食べ切ったご褒美として僅かの賃金とさらに多くの餌を施してくれるのだ。
会社に飼われている間は餌と金には不自由しない。死なない程度に生きられる。それが自由と言うものじゃないか。どうせ金なんて使う暇なんてないんだ。餌がもらえればそれでいい。だから会社に行くのだ。
餌をくれ! 餌をくれ!
会社と言う生き物は餌を作り出さなければ死んでしまう非常に脆弱な生き物だ。それに比べて我々はなんとタフで貪欲な生き物なのだろうか。餌さえ食っていれば何とか生きられるのだから。
会社がケツに穴から捻り出す残業と言う排泄物ですら喜んで無償で食べて片付けようとする奴までいる。そんな奴は我々にはいらない。貪る事に貪欲ではあるにしろ、かすかな誇りを見失ったりはしない。きっちりと対価としての報酬をもらって餌を食らうのだ。
我々は社畜。牙も爪もある社畜。
餌をくれ! 餌をくれ!
……餌をくれぇのお客様ぁー。
「おーい、宗馬! 眠っちゃってるの?」
宮原宗馬が目を開けると、目の前に金色トンカチを振り上げた赤眼鏡の女がいた。
ノーラは一瞬金色トンカチを振り下ろす素振りを見せたが、ぐっと堪えて振り上げたトンカチを急ごしらえの笑顔で下ろした。
「今、眠っている隙に勝手に転生させようとしたろ?」
「さあ? 何の事かしら。私はただあんたを起こそうとしただけ」
「ふん。まあ、いい」
宗馬は固くてあまり座り心地の良くないベンチで眠ってしまったせいで張ってしまった腰に手をやり、金色トンカチを持ったノーラがすぐ側にいるにも関わらず、無防備にも大あくびを一発かまして大きく伸びをした。光の輪っかの穴の向こうに白い天井が見えた。どうやら無事に転生ハローワークに帰って来れたようだな。宗馬はひとまず安堵の溜め息を漏らした。
「さて、自分の番か」
宗馬はすたすたとカウンターに向かい、ノーラ不在の席に置きっ放しにしてあったタブレットPCを取り上げ、勝手に画面上で指を踊らせた。
「コラコラ、勝手にいじんないでちょうだい」
慌ててノーラがタブレットをひったくる。
「なら早く仕事にかかれ」
「偉そうに言わないで。寝てるあんたが悪いの。何度呼んだと思ってるの。そもそも居眠りする死者なんて初めてよ」
「ああ、仕事中に居眠りなんて何年振りかだ」
「仕事中じゃねーよ」
改めてノーラが自分の席に戻り、手元の小さなスイッチを押す。すぐさま宗馬の頭上の光の輪っかがぽーんっと鳴り、輪っかの中に507と番号を浮かび上がらせた。
「507番のお客様ぁー」
「目の前にいるぞ」
「わかってるわよ。ルーティンよ、ルーティン」
えへん、と咳払いを一つ。ノーラは業務用の可愛げのある声に切り替えて笑顔で接客開始。
「ハイ、あなたの未来を鷲掴み! ノーラ・カリンがあなたの転生をお手伝いします」
ニッコリ。このハスキーな声と暖かな笑顔とで死後と言う圧倒的な不安に慄く死者のほとんどがノーラにぞっこんになる、はずだ。
「ルーティンと言うよりも無駄な動作だな」
「うるさい」
かすれた地声に戻ってノーラは言う。
「で、どうだった? 魔王との最終決戦の感想は?」
ゆっくりとした動きで宗馬は眼鏡を外し、身に付けている白衣でレンズを拭う。そして思い出したくもない過去を語るように小さな声で喋り出す。
「あんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。さすがは魔王だな。自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされた」
「そりゃあ魔王ですから」
「もともと自分は戦闘キャラじゃないし、曜市の奴が瞬殺された時点で死は決定的だったな」
「でも、一矢は報いたんじゃない?」
脳裏にこびりついた恐怖を振り払うかのように一度大きく頭を横に振るい、メタルフレームの眼鏡をかけ直して宗馬は顔を上げた。
「あれが一矢報いると言えるかどうか。ダンジョンの管理上、万が一に備えて自爆装置を用意していたんだ。自分の心拍と連動するようにな。自分が死んだら、あのダンジョンがある山体は大崩壊する仕組みだ」
「後は数十万トンとか数百万トンの土砂が隔離された魔王のいる核シェルターを小部屋ごと埋める。あの世界の技術じゃ科学的にも魔法的にも百年経っても掘り起こせないわね」
「そうだ。それが魔王管理と言う仕事だ」
ノーラがタブレット端末を操作して言う。
「事実、あの後はレイノとミッチェ、異種族間安全保障の連中が山体自体を管理して誰も登らせないようにしてる。宗馬、曜市、アーサーの三人の勇者のお墓としてね。完全に魔王を封印したじゃない。見事な管理よ」
「まあな」
「で、今は一つの仕事が終わってしまって、次は何をしたらいいのか、先が見通せなくて不安で堪らないってとこかしら」
「そんなところだ」
宗馬がノーラの手元のタブレットを覗き込んで言った。身をよじるようにそれをかわして、ノーラは細い指先で華麗にタブレット端末を操作する。
「これだけ立派に仕事をやり遂げた宗馬はどこの世界の誰にでも転生できるよ。もうなんでもあり。望みのままよ。どう? 休暇のつもりでのんびりした人生を楽しんでみない?」
「例えば?」
「暖かい南の島の灯台守をしてる若い夫婦に子供が産まれるの。一族代々で灯台の明かりを守っている家族で、すごく長命な種族よ。そこそこ発展した海洋世界の異文化を楽しみながらのんびり海の種族として生きてみない?」
ノーラは両手をいっぱいに広げて穏やかな波を身体で表現して見せた。
「灯台の光を信号化させて周辺灯台とネットワークを組んで、海域の船舶運航を一元管理するマスターシステムを開発すればいいんだな?」
「仕事すんな。休めって言ってんだよ」
じゃあ次はどうだ。ノーラはタブレットの画面上で指を高速でスライドさせる。
「何世代かけても読み切れないほどの蔵書を誇る街全体が図書館みたいな街があってね、そこの司書を募集してるの。不思議な事に異世界の書籍も扱っていて、ヴォイニッチ手稿とかの本を読むだけで生きていく知識欲をつんつんと刺激してくれる図書館街ってのはどう?」
「要は数切れない程の蔵書をデータベース化すればいいんだな。異世界の本も扱っているなら、タイトル、著者名以外にも世界間での検索も可能にした時間軸を中枢に四次元化データベースの構築に挑戦か」
「だから仕事すんなって」
慌てて次の検索結果を指先でたどるノーラ。それをカウンター越しに覗き込む宗馬。
「その端末にはどんだけのデータが記録されてるんだ?」
「ダーメ。これは異世界のデータも登録されてて、ハロワ職員以外見ちゃいけないものなの」
「いいから見せてみろ。自分の転職先くらい自分で選ばせろ」
「転職じゃなくて転生だっての」
そう言ってから、ノーラはタブレットを操作する指を止めて、じっと宗馬の頭上の光の輪っかを見つめて、やがて悪戯を思い付いた子供のような笑顔を見せた。
「ねえ、宗馬。実はね、今ね、転生ハローワーク職員に欠員があったの思い出しちゃったの」
ノーラが赤いセルフレームの眼鏡を薬指でくいっと上げる。応えて、宗馬はメタルフレームの眼鏡を中指でたんっとかけ直した。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
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