重課金者


 ノーラを宗馬が常駐するモニタールームへ送り届け、ついでにI.K.A.H.O.の通常業務であるダンジョン内メンテナンスを軽くこなしてから闘技場に戻った曜市が見たものは、やたら盛り上がっている冒険者達と、闘技場で圧倒的強者のオーラをまとって戦っている少年と、ついさっき送り届けたばかりのノーラだった。


「ノーラ! 何でここにいる? 今さっき宗馬さんとこに行ったばかりじゃないか!」


 曜市は巨大な肉体を振り回して冒険者達を掻き分けて観客席最前部までどしどしと降りて行った。リングサイドの特等席で腕組みして戦闘を見守っていたノーラがそれに気付き、うむ、と名セコンドぶって小さく頷く。


「うむ、じゃなくて。ここで何しているのさ? この騒ぎは何?」


 曜市は冒険者達の喧騒に負けないよう大声を張り上げた。その大声に当てられてしかめ面で返すノーラ。


「挑戦を受けたからには全力で叩き潰すのが私のやり方なの」


「そんなの聞いてないし」


 曜市はもふもふした頭をぶるんぶるんと振った。それにしても闘技場のこの盛り上がりはいったいどうしたものか。曜市自身が闘技場に立ってもここまでの大歓声は湧き上がらない。よほどのランカーが激しいバトルを繰り広げているのか。


「ダンジョンの新管理人とまりあを賭けてバトルしてんの。今んとこ、私らの圧勝かな」


 ノーラが胸で腕組みしたまままたリングを見据えた。リングの上ではすらりとした長身の少年が観客席に向かって拳を突き上げて場をさらに盛り上げていた。


「新管理人って? まりあさんを賭けてって、隣にいるじゃないか」


 ノーラのすぐ側にいるまりあが緊張感のまるでない笑顔で曜市にラスクのカップを差し出した。


「ハーイ、曜市くん。お疲れ様。パンの耳食べる?」


「ハーイ、いただきます」


 オークのごっつい指が紙コップに盛られたパンの耳ラスクを器用に数本摘み取って、真っ白い牙の生えた大きな口へ運ぶ。


「って食べてる場合かいっ」


 サクサクとやりながらとりあえずつっこみを入れる曜市。腕組みしたまま闘技場を見つめていたノーラがじろりと睨み付ける。


「目の前のバトルに集中しなさい」


「いやいや、ノーラ、もうちょっと説明してくれないか?」


「まったくもう、巨大プードルみたいなその目は節穴? リングで戦ってる子が誰か解らないの?」


 リングじゃないし。コロシアムの闘技場だし。曜市はもふもふした毛に埋れそうなつぶらで大きな目を闘技場へやった。そこには細身の少年がボクシングスタイルで冒険者を一瞬で殴り倒している光景があった。


 誰だ、あの少年は。背中に金色の翼が描かれた黒ジャージを身に纏い、目にも留まらぬ速さで左右の拳を繰り出している。ボクシングの戦闘スタイルと言い、あの現代的なジャージと言い、この世界の住人ではないと一目で解った。


 ああ、あれは、マンボウ時代の!


「アーサーくんか! アーサーくんだ!」


 山田中アーサー王とか言う変な名前の、オリンピック代表候補まで登りつめた、まだ曜市がマンボウだった頃の兄弟だ。彼もこの異世界へ転生を果たしたのか!


 ついに二十人目をまたもや秒殺でリングに沈めたアーサーは、黒ジャージの前をひらひらと扇ぎながらノーラとまりあの元に戻ってきた。


「ふー、マジヤベぇ。休憩だ、休憩」


 二十連戦を戦い終えて、さすがのオリンピック代表候補も額に玉の汗が浮かんでいた。それでもアーサーは軽い身のこなしで闘技場の石壁をひょいと乗り越え、空いていたまりあの隣にどっかりと腰を下ろす。


「まりあさん、何か飲むのない?」


「アサオくん、もう、かっこよかったよ!」


「いやいや、だからアーサーオーだよ。それより、水でいいから、ない?」


「はい、パンの耳ラスク。食べて食べて」


「わーい、喉カラッカラの時にラスクをサクサクって、口の中パッサパサになるって! 水ちょうだい! お水!」


 と、余裕でノリツッコミをかますアーサー。何か飲み物はないかと周囲を見回し、そこでようやくまりあの隣に座る巨大な筋肉の塊のプードルみたいなもふもふしたオークに気が付いた。

 

「うおっ、でけえ! 何こいつ!」


「アーサーくん! 君の素晴らしいファイトを見せてもらったよ! さすがはオリンピック代表候補! そしてさすがは懐かしの我が兄弟!」


 巨大曜市はその剛腕でアーサーを抱き寄せて、もっふもふの剛毛を擦り付けるようにして頬擦りしてやった。ごしごしされる度にふわっとシャンプーのいい香りがして、柔軟剤を使った洗いたてのタオルのようにアーサーの汗を吸い取っていった。


「兄弟? 知らねえよ、こんなでけえ奴。誰だよ?」


「曜市だよ。灰谷曜市。かつてキングマンボウとして東尋坊の海を支配し、いまはオークの王として種族を越えた意識改革の真っ最中だ。忘れたか? マンボウとして同じ海を泳いだじゃないか」


 曜市の熱のこもった言葉がアーサーの失われた記憶を蘇らせた。と言っても、アーサーがキングマンボウを看取ったのは体感時間にして約一時間前、本当についさっきの出来事だ。


 ノーラに連れ出され、東尋坊の海で出会った福井県の名物、巨大マンボウ。それは灰谷曜市と言う男の転生した姿であり、一瞬だけだがアーサー自身も転生したマンボウ時代のまさに血を分けた兄弟だ。


 あの岩場に打ち上げられて亡くなったキングマンボウが、またこの異世界でもふもふオークへと転生を遂げていたのか。アーサー自身もあの後ノーラに断崖絶壁から突き落とされてこのコロシアムへ転生してきた訳だが。あまりに衝撃的な強制イベントが次々に発生して時間軸からして混乱してしまうが、どうやら受け入れるしかなさそうだ。アーサーは乗る事にした。


「兄さん! そんなに思い入れはないけど曜市兄さんか! たった一時間ですっかり変わっちまって!」


「14年ぶりか! アーサーくんは全然変わっていないな!」


 再びがしっと抱き合う巨大モフモフオークと若き天才ボクサー。


「何なの、この展開。ちょっと萌えちゃうんですけど」


 まりあがぼそっとつぶやいた。時空と種族の垣根を乗り越えて再会を果たして抱きしめ合う二人の男達を見つめながらラスクをサクサク。


「ちょっとあんた達、気合入れ直しなさい。ついにやって来たわよ、このコロシアムのチャンピオンが」


 すっかり蚊帳の外だったノーラが腕組みを解いて言った。あ、ノーラいたのか、と言うようにノーラを二度見するアーサー。険しい顔付きで眉間にしわを寄せて赤眼鏡をくいっとやっている。


 コロシアムの喧騒が一際大きく膨れ上がった。アーサー達がいる席の反対側、対面の席を陣取っていた冒険者達が海を割るようにざわわっと左右へ別れ、そこに出来た道を大剣を肩に担いでプレートメイルで身を固めた剣士がゆっくりとした足取りで降りてきた。レイノだ。悪魔っ子のミッチェと、頭の上に光の輪っかを浮かべたリリを引き連れて、闘技場へと降り立った。


 レイノは対面側のリングサイド席にどっかりと腰を下ろして紙コップを片手に首を傾げてるアーサーを見つけ、最強のSレアガチャアイテムである爆裂する大剣を彼に向けて突き付けた。


「あいつがチャンピオン?」


 アーサーは紙コップの水を軽く口に含んでノーラに尋ねた。


「ゲームポイントでトップランカーであり、週末イベントも上位常連、課金額もトップクラス。間違いなくこのゲームで最も名前の知れたプレイヤーね」


「面白え。俺があいつに勝てば、元の世界とこの異世界と二階級制覇か」


 ごくりと冷たい水を飲み干し、空になった紙コップを握り潰すアーサー。曜市がもふもふしたごつい手をアーサーの肩に置いた。


「君は疲れているだろ? 僕がやろうか?」


「お気遣いどうも、曜市兄さん。でも、ウォーミングアップが終わって、スロットル全開で行くかってタイミングだったんだ。俺が行くよ」


 アーサーがすくっと立ち上がり、Sレアガチャアイテムである爆裂ナックルダスターを装備した拳をレイノへ向けた。


「来な、チャンピオン。今の俺はマジヤベぇぞ」


 拳をくるっと返し、くいっと掌を煽ってレイノを挑発する。コロシアムを埋め尽くす冒険者達のボルテージが一気に爆発した。


 大歓声の中、アーサーは闘技場へ舞い降り、レイノは大剣を両手で構えてそれを待ち受ける。ダンジョン最強と異世界最強とがぶつかり合おうとしていた。


「曜市、あんたはあの悪魔っ子二人組の相手をしなさい」


 ノーラが細い顎でレイノの後ろに控える二人の悪魔っ子を指した。


「なんでリリがレイノと一緒にいるんだ? いつも宗馬さんにべったりなのに。それにあの頭の輪っか。見覚えあるよ」


「さっきちらっと映った宗馬さんの頭上にも輪っかが光ってた。転生ハローワークであたしの上で光ってたのとおんなじよ」


 まりあと曜市はノーラの答えを待った。ノーラは赤眼鏡を薬指でくいっと上げて、立ち上がって言った。


「あれは強制理解装置。こことはまた別の異世界の技術よ。転生ハロワの光の輪っかはそれをちょっと改造したもの」


 ノーラはすうっと胸いっぱいに空気を吸い込んで、コロシアムを覆い尽くす大歓声に負けないくらいの大音声を張り上げた。


「アーサー! ここが勝負所よ! 全力でやっちまいな!」

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