魔王と言う現象の引力 その2
すまないが ちょいと一人に しておくれ
異世界のダンジョン管理人、宮原宗馬の辞世の句である。死んではいないけど。
ぐったりと項垂れる宗馬。ノーラもまりあも、それこそうっかり触れればパチュッと潰れてしまいそうな腫れ物に触るように声をかけてみたものの、宗馬は「月はどっちに出ている」などと意味不明な供述を繰り返すばかりだった。
これは放置しとくしかない、とノーラとまりあは結論付けて、とりあえずダンジョンを抜けてコロシアムへ避難する事にした。
モニタールームにある回転椅子を前後ろ交互に並べて、その上に胸で手を組んで横になり、穏やかな表情で現実からの逃避行を始めた宗馬。それを横目にまりあは金属扉のカードスリットに自分の社員証を通し、白く細い指でテンキーを突つく。
「宗馬さんって煮詰まるとあんな風にスリープ状態に入ってリセットかけるの。大丈夫、起きた時にはきっとけろっとしてるよ」
がちゃっと金属扉のロックが外れる小さな音がした。まりあは扉に肩を押し当てて重そうに押し開け、ノーラにちょいちょいと手招きする。
「だといいけど」
細い肩で扉を支えるまりあの脇をすり抜けて、ノーラは薄暗い石畳の通路に歩み出た。流れてくる空気はやや熱を帯び、遠くに聞こえる歓声が場を震わせていた。この暗い通路を抜ければ、そこは闘技場だ。
「直通の扉があるなら言ってくれればよかったのに」
「社員専用の通路だよ。バイト扱いの曜市くんにはまだ教えてないし」
「あいつバイトなんだ」
「御社の就業規則に引っかからないようにアルバイトとしてこき使ってくださいって言ってた」
「社畜として将来有望ね」
闘技場はまだまだ熱く盛り上がっていた。
まりあとノーラがこっそりと部屋を出て行ってからしばらくして、妄想のお花畑で現実逃避に勤しんでいた宗馬は爆発音に叩き起こされた。
熱を帯びた爆発の残響音が宗馬を現実へと引きずり戻す。何事か、と宗馬は身体を起こしてモニタールーム内を見回した。もうもうと黒煙が湧き上がっている。ダンジョン各ブロックに繋がっているスタッフ用マルチ通用口からだ。
「誰だ?」
宗馬は黒煙に向かって声をかけた。まりあとノーラはさっき出て行ったはずだ。曜市や他の運営スタッフだとしても登場シーンには派手すぎる。誰が何をやらかしたんだ?
黒煙はすぐに収まった。潮が引くようにモニタールームから煙が消えると、そこには三つの人影があった。一つは大剣を構えた薄汚れたプレートメイルを装備した剣士、一つは白髪の魔法使い、一つは悪魔族の特徴を持った少女。
白いベレー帽を装備していないのでI.K.A.H.O.の連中ではないとすぐに解る。では誰だ? よくよく見れば、白髪の魔法使いには見覚えがあった。ダンジョン攻略に一番近い位置にいたユニットだ。
「はじめまして。このダンジョンのマスターでありますか?」
白髪のソロモンがゆっくりとした動きで宗馬へ頭を下げた。その礼儀正しい態度に、宗馬も一人の社会人として思わずかしこまる。
「これは失礼しました。どうも、当物件の管理、運営責任者の宮原宗馬と申します」
椅子から立ち上がり、ダークグレーのスーツの懐に手を忍ばせて三人につつっと歩み寄る。その怪しい動きに、レイノは宗馬を制しようと大剣を突き出すが、するり、宗馬は最小限の動きで大剣をすり抜けてレイノ達三人の懐深くまで潜り込んだ。
そして三人に動く時間も与えずにびしっと小さく白い紙片を突き付ける。名刺だ。
「どうぞ、ご挨拶として」
「……これはこれは、どうもご丁寧に」
ソロモンは宗馬からうやうやしく名刺を受け取った。ただの紙片を差し出す所作なのに無駄のないまるで流れる水のような動き。この男、只者ではないな。手に持っていたのがこの紙切れでなくナイフであったなら、と背筋に冷たいものが走るソロモンであった。
「さすがはダンジョンマスターですね」
「君達は三人組と言う事は、ダンジョンマスタリー挑戦者か。まずは攻略おめでとうと言っておこう。ダンジョンマスタリー初クリアだ」
宗馬はくるりと三人に背を向けて、モニター群に手をかざすようにして喋り続けた。
「ゲームマスターは往々にしてすべてを掌握したがる傾向にある。プレイヤーはマスター側が用意したシナリオに忠実であり、正攻法でダンジョンを攻略する。そしてそれ以外は邪道と認めない。だが自分は違う」
モニター群に様々な映像が流れ込んでいる。無人のダンジョン通路であったり、出口を求めてのしのし歩くオークとドワーフであったり、バトルで盛り上がる闘技場でお喋りに花を咲かせる女二人組であったり。くいと顔を上げて、モニター達が放つ光をメタルフレームの眼鏡に反射させて、宗馬の語りは続く。
「邪道? 大いに結構! 運営スタッフ用の隠し通路を見つけ出すような裏技的攻略法。いいじゃないか。自分はそんなゲームマスターの期待を斜め上に飛び越えてくプレイヤーを待っていたんだ」
自分で喋って興奮してきたのか、次第に声も大きくなり、ばっと大袈裟な身振りで振り返る。
「もう一度言おう。クリアおめでとう! 君達冒険者はやり遂げたんだ!」
「ちょっと、聞きたい事があるんですが、いいですか?」
いつまで経ってもきりがない、とばかりに宗馬の独壇場にソロモンが割って入った。会話の主導権をとっとと奪い取らないと。
「なんだ?」
「ここにある機械装置はこの世界のものと機能と性能がまるで違います。ダンジョンも入る度に姿形を変える不思議な構造をしていました。あなたは、異世界からこれらの技術を持ち込んだ異世界人ですね?」
「ああ、そうだ。自分は異世界から転生してきた」
「やはり異世界からの転生者ですか。次の質問です」
レイノは明滅するモニター群を眩しそうに見つめ、ミッチェはテーブルに置きっ放しになっていたコーヒーとパンの耳ラスクの匂いをくんくんとかいでいた。ソロモンはそんな転生者に興味なさそうな連れの二人をちらっと見て、再び宗馬に問いかける。
「このダンジョンのどこかに魔王が眠っていると聞きます。どこにいるんですか?」
宗馬がさっきまでの雄弁さをどこかへ消し去り、首を傾げて見せた。
「……君達はまだそれを知らなくていい」
「では質問を変えます。異世界からの転生者が何故魔王の眠るダンジョンの管理をしているのですか?」
「それが自分に与えられた仕事だからだ」
今度は即答だった。
「それ以外に理由はない」
びしっと言い切ってから、宗馬はニヤリと笑ってさらに言った。
「それもたった今で終わりだ。自分の仕事は完了した。そして次のステージが始まる。君達がこのダンジョンを管理する番だ」
「……何ですって?」
今度はソロモンが首を傾げる番だった。宗馬は雄弁さを取り戻し、会話の主導権をがっちり握って離さなかった。
「自分が目指すゲームの新しい形とは、プレイヤーのゲーム運営への参加だ。デザイナーの仕事とプレイヤーの遊びの融合。対戦要素も協力プレイも然り、それ以上にプレイヤーがゲームの本質部分へ参入する事できっと斬新なスタイルが生まれ、誰も見た事がない世界観を体験できるはずだ」
「つまり、私達にこのダンジョンを運営してみろ、と言うのですか?」
「初めから決めていた。このゲーム、ダンジョンマスタリーのクリア報酬はこのダンジョンの運営権だ」
宗馬は再びモニター群を仰ぎ見るようにしてばっと両手を広げた。
「できるか? できないのなら、他のプレイヤーがクリアするまで待つだけだが?」
今度はソロモンがニヤリと笑った。宗馬の明るい未来を見据えた笑顔とは真逆のどす黒い笑い顔だった。
「それはもう願ったり叶ったりです。実は私は、それが目的でダンジョンを攻略していたのですから」
そして白髪の魔法使いはバックパックから一つの輪っかを取り出した。
「異世界の機械技術や眠っている魔王も含めて、このダンジョンをまるごと戴こうと思ってたんですよ」
「何だって?」
「まずはあなたに従順な家畜になっていただいて、魔王について話してもらいますよ」
人の頭の上に浮かばせるのにちょうどいい大きさの輪っかは、ソロモンの手の中でぼんやりと光を放っていた。
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