魔王と言う現象の引力 その3


「別にあたしは死んじゃった訳じゃないしさ、ほんと、何とも思ってないよ」


 まりあはあっけらかんと言ってのけた。それでもノーラはお団子ヘアを傾けて形のいい眉毛をきゅっと寄せる。


「まりあが何て言おうと、転生だろうと召喚だろうと、これはまずい流れなの」


「でもほら、この世界はあたしの前世の世界でもあるし、ある意味里帰りみたいなもの? 気にしない気にしない」


 熱がこもる闘技場観客席の上段、カウンタースタイルのカフェ席で、ロールアップしたジーンズの脚を組んでまりあはカフェオレのカップを口に運んだ。


「前世のマリアが美味しいもの食べられなかった分、今のまりあであるあたしがこの世界のみんなに美味しいのをご馳走してあげるの」


 ノーラはアイスコーヒーのストローを噛みながらまりあの話を聞いていた。


 それにしても業務用の大型冷蔵庫まで持ち込んでいたなんて。 宗馬とまりあはどこまでやる気なのだろうか。確かにこの熱気の立ち込めるコロシアムで冷たいコーヒーが飲めるなんてありがたいけど。


「ねえ、ファンタジー版二郎系ラーメン屋さんなんてやっちゃったらお客さん入っちゃうんじゃない?」


「まりあ、あんたまだあのラーメン食べてるの?」


「宗馬さんに食材仕入れ用のゲートを作ってもらったから、ラーメン食べにけっこうあっちとこっちを行き来してるよ」


 ノーラは思わず溜め息をもらした。ずいぶん好き勝手やってくれて、まあ。


「あのね、まりあ。あなたがここにいるのって、ちょっとした問題なの」


「……問題?」


「実はね、前世のマリアが死んじゃったのって、今この座標からすぐ近くの場所で、時間軸にしても数ヶ月前ってすごく近似時間にあるの」


 まりあのカフェオレのカップを持つ手が止まる。ぐっとノーラに顔を近付けてまりあは小声で言う。


「それって、何か、やばいの?」


「一つ。マリアを殺した奴がすぐ近くに存在するって事。二つ。そいつを前世のマリアも、こっちのまりあも知らないって事。やばいのはその二点かな」


「何それ。何が起こるの?」


「それはさすがの私にも解らない。これが宗馬が呼び込んだ単なる偶然なのか、それとも魔王と言う現象の引力か引き起こした必然か」


 ノーラがそこまで言いかけた時、闘技場によく響き渡る音でチャイムが鳴った。観客席にいた全員が動きを止めて何事かとざわつき始める。


 そして闘技場に設置された大型液晶ビジョンが明滅してコロシアムにいる全員の注目を集め、その画面に一人の白髪の男が現れた。


『……もう、喋っても? ああ、そう。えー、ごほん』


 大型液晶ビジョンの中のソロモンはいったん画面外に視線をやり、映っていない誰かと喋った後、もう一度カメラ目線に戻った咳払いを一つした。


『どうもはじめまして。私はソロモン・クリストフと申します。この度、私はこのダンジョンマスタリーをクリア致しまして、その報酬として当ダンジョンの運営権を手に入れました』


 闘技場のざわめきが一層大きくなった。ついにクリアした奴が現れたか、こいつが新しいダンジョンマスターか、このダンジョンはどうなるんだ、と闘技場に集まっていた観客達が口々に騒ぎ立てる。


『みなさん、ご安心を。ダンジョンの運営は基本的には今までと変わりありません。ただ、記念イベントを開催しようと思いましてね』


 画面の中のソロモンはそこまで言うといったん言葉を切り、何やら手元を見つめて固まってしまった。


『……これをこう、でしたっけ?』


 ソロモンが小声でボソボソ言うと、画面にもう一人の人間が映り込んできた。宗馬だ。


「宗馬さん! 何やっちゃってんの?」


 まりあが思わず立ち上がる。クリア報酬とかダンジョン運営権とか、まりあも知らない事をこの白髪の男は言っていたが、いったい何がどうなっているのか。しかし液晶ビジョンの中の宗馬に、その声は当然届かない。画面の中で宗馬はクリストフにマウスの操作を教えているようだ。


「何かおかしな事が起きてる。まりあ、宗馬の頭の上を見て」


 ノーラがアイスコーヒーのストローで画面の宗馬を指した。見れば、宗馬の頭上には淡く輝く光の輪っかが浮いていた。天使のような、亡者のような。それはまりあも経験がある、転生ハローワークで受付の順番を待つ死者のような。


「何で光の輪っかが? 宗馬さん死んじゃったの?」


「あれは確かに天使のリングね。別名、強制理解装置とも言うけど」


 そしてクリック音一つで液晶画面が切り替わり、次に画面に現れたのはまりあとノーラだった。闘技場のカフェ席で、くすんだ金髪に白い肌のまりあがロールアップしたジーンズと腕まくりした白シャツ姿で立ちすくんでいる。その隣にお団子ヘアに赤眼鏡、いかにも魔法使い的なコスプレ姿のノーラがアイスコーヒーのストローを摘まんでいる。


『イベントは簡単なモノです。狩りです。こちらに映っている白い方の女性を捕獲して最深部まで連れて来てください。多少傷付いても構いません。生きて連れて来た冒険者に報酬を支払います。見た事もないような素晴らしい報酬を』


 ソロモンの低い声のアナウンスに、闘技場は深い湖の底に沈んだかのように静まり返ってしまった。誰一人として言葉を発せず、液晶ビジョンを食い入るように凝視する。


「何これ、どうなってんの?」


 まりあがノーラに耳打ちする。


「わかんないけど、やばそう」


 その様子もしっかりと液晶ビジョンに映し出され、まりあもノーラもお互いを抱き締めるように小さく縮こまるしかなかった。


 そしてついに静寂は破かれた。誰かがボソッと言った。


「こいつ、上にいる女じゃね?」


 コロシアムにいるすべての冒険者達の顔が観客席上段のカフェに向き、すべての視線がまりあとノーラに注がれた。まりあをじーっと見つめる目、目、目。品定めするかのような、襲いかかるかのような、大金を見つけたかのような、まりあはたくさんの視線に絡み取られた。


「ノーラ、どうしよう?」


 すがりつくまりあを引き離し、ノーラは赤眼鏡を薬指でくいっと上げて言い放った。


「まりあ、五秒待ってて。とっておきの秘密兵器を喚んでくる」


「とっておき?」


 まりあは一瞬だけノーラから視線を外し、ぐるり、闘技場を見回した。やはりこの場にいる荒くれの冒険者達みんながみんな、まりあとノーラを見ている。その中に秘密兵器のような人物は見当たらない。秘密兵器がどうしたって、とノーラに向き直ったら。


「ノーラ、秘密兵器ってなに、いないしっ!」


 いつの間にか、まりあの隣からノーラの姿が消えていた。




 アーサーはやっとの事で岩場のてっぺんまで登り付き、ふうと大きく息を吐き捨てた。降りるのは楽だったが、登るのはかなり急な階段を登らされる感じでかなり足腰に来るな。いいトレーニングになりそうだ。


 さて、とりあえず、うちに帰るために最寄り駅を目指すか。何か金はあるし、カニ弁当でも買って北陸新幹線に乗ってみるか。


 と、いつの間にか、目の前に黒スーツスカートに赤ネクタイ、赤眼鏡、そしてお団子ヘアの女が立っているのに気付いた。


「うわっ! ノーラ! びっくりした!」


「……アーサーくん」


「何だよ急に出てきやがって! ハロワに戻ったんじゃなかったのか?」


 つい今しがた霧みたいに消えてしまったはずだ。それがまた不意に現れやがって。


「うん、ちょっとね」


 ん? どこか様子がおかしい。目を伏せて、うつむき、言葉にいつもの有無を言わせない勢いがない。


「アーサーくんにお願いがあって、ね」


 つと、ノーラが手のひらをアーサーの胸に置いた。そのまま倒れこむようにアーサーにもたれかかる。ノーラのお団子ヘアがアーサーの鼻先に揺れて、シャンプーの花のような香りが鼻をくすぐった。


「……ノーラ?」


「……アーサーくん」


 ノーラがアーサーを見上げる。アーサーはノーラの身体を包み込むようにノーラの肩に手を置いた。


「……んで」


「えっ?」


「死んで、ね」

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