第四章 死んだら死んだでそれまでよ

山田中獅子王の場合 その1


 よく空を飛ぶ夢を見た。


 その背中に翼はなくとも、腕を羽ばたかせるだけで真っ青な空を自在に飛び回れた。山田中獅子王(アーサー王と読む)は空の王として太陽と雲と風を従えて舞い踊っていた。


 しかし、今になってアーサーは気付いた。あれは空を飛ぶ夢じゃなかった。空から落っこちる夢だったんだ。


「ノオオオラアアアッ!」


 強く抱いたら軋みそうなあの華奢な身体でよくもまあこんな力を出せたものだ。思わず感心してしまうくらいの勢いで東尋坊から突き飛ばされたアーサーは、斜めに滑空するように落下し、ぐるぐる回る視界に、蒼い空、青い海、遠くでにこやかに手を振るノーラを見た。


 だめだ。これは死ぬ。走馬灯だ。


 アーサーの脳裏にふわっと父親の顔が浮かんだ。山田中幸輔だ。マジヤベぇ。結局、こいつに翻弄されたまま東尋坊で命を散らす運命だったのか。前世の鳥根高史の自殺願望は意外な形で成就されるんだ。アーサーは覚悟を決め、いや、決めなかった。


 冗談じゃない。こんな奴のためにマジヤベぇ人生を歩んで来たんじゃない。確かにボクシングを指導してくれたのは父の幸輔だ。おかげで才能も開花し、オリンピック代表候補にもなれた。だからこそ、諦めてたまるか。こんなところで死んでたまるか。もっと山田中幸輔を殴らなくてはならないんだ。


 東尋坊の突端からほぼ水平に突き飛ばされたんだ。落下点はゴツゴツとした岩場じゃなく、ある程度深さのある海のはずだ。着水の仕方次第ではダメージも軽減できるだろう。


 アーサーは鍛えに鍛えた身体能力を駆使して空中での落下姿勢をコントロールした。いったん身体を丸めて回転させ、脚が落下点に向くように今度はぴんと身体を伸ばす。耳に分け入ってくる風の音が変わった。落下方向が斜めからほぼ垂直になったのだろう。後は着水だけだ。


 水面に激突する際の物理ダメージを最小にするために両腕を胸でクロスさせて上体を反らし、踵から入水するよう脚を突っ張る。海面への激突で即死するのさえ回避できれば何とかなる。いや、何とかするんだ。アーサーはくわっと目を見開いて海面を睨みつけた。


 ん? 黒い影がある。ゆらゆらと大きな影が海面すれすれに揺らめいている。それは巨大なマンボウだった。


「うっ、マンボウッ!」


 山田中アーサー王、最期の言葉だ。




 衝撃は感じなかった。むしろ柔らかく受け止めてもらえた感じがした。干したてふかふかの羽毛ぶとんにダイブしたような、暖かくて、真っ白くて。でもちょっと硬くて座り心地の悪いベンチシートのせいでお尻が痛くなりそうで、頭上を見上げればもはや懐かしさすら覚える淡く光る天使の輪がぽっかりと浮かんでいる。


「ヤマダナカアーサーオーくーん。おーい、こら、アーサー!」


 そして心をくすぐるハスキーで甲高く、どこかふわりと甘みのある呼び声。麗しの声の聞こえてくる方を見れば、どくん、心臓が高鳴る。


「ノーラ!」


「アーサー!」


 忘れていたすべてを思い出す。そうだ、俺はこの女に、ノーラに、東尋坊から突き落とされたんだ。


「アーサー、いらっしゃい。あなたの明日はどっちだ? あっちだ! ノーラ・カリンがあなたの転生をお手伝い……」


 アーサーは一瞬で間合いを詰めて、ボクシングオリンピック代表候補の右ストレート、一閃。


「きゃあっ!」


 ノーラは紙一重でアーサーの拳をかわした。頭の上のお団子ヘアがぷるんと揺れる。


「女の子に何て事すんのよ!」


「よく避けたな。わりと本気で打ったぞ」


「このっ、食らえ、強制転生!」


 ノーラのターン。ノーラは振りかぶって金色トンカチを叩きつけた。ミス! アーサーは華麗にかわした。


「何だよ、強制転生って」


 ボクシングオリンピック代表候補のアーサーは軽いスウェーバックでノーラの攻撃を避け、その細い手首をがしっと摑んで彼女の身体ごと引き寄せた。


「転生先の希望を聞いて次の人生を斡旋するのがノーラの仕事じゃなかったか?」


「時と場合によるわね」


 二人はカウンターを挟んで、ぎろり、睨み合う。鼻と鼻がくっつきそうになるまで顔を近付けて、アーサーはノーラの楽し気な目を、ノーラはアーサーの火が着いたような目を見ながら言い合った。


「今回はどういう時でどういう場合だよ」


「現時点でのアーサーの人生実績と私の死亡ガチャ特権でどんな世界の誰にでも転生できる時、とあるファンタジー世界で危機に陥っている運の悪い女の子を救う場合」


「……悪くないシチュエーションじゃねえか」


 ノーラの手首を摑んでいるアーサーの力がふっと緩められた。


「一刻を争う事態なの。私の持ち駒の中で最強のあなたを投入して戦況を一変させようと思ってる。どうよ?」


「持ち駒って言い方が気に入らねえな」


「じゃあ、とっておきの切り札」


「それでいい」


 アーサーがノーラの手を解放した。と、その瞬間にツバメのようにくるりと翻り、鋭い角度の円を描いて金色トンカチが唸りを上げる。


「転生ッ!」


 しかしアーサーはゆったりとした優雅な動きで身体を回転させてノーラの一撃を余裕で回避する。


「無駄だって」


 がしっ。再びアーサーに捕獲されるノーラの細い手首。


「この間合いで俺に攻撃を当てられる訳ないだろ?」


「このやろ、随分成長したわね」


「14歳までみっちりと俊敏さと正確性を一点集中で鍛えて、15歳からは親をぶん殴って金を出させてばっちり課金したからな。ノーラが教えてくれた通り、最も効率のいい育て方をしたと思うぜ」


「私の言った事を覚えててくれたんだ。転生の能力値引き継ぎもうまくいったみたいだし、オーケイ、わかった。ちゃんと説明するから離してよ」


「初めからそういう態度で言えばいいんだよ」


 アーサーはノーラを離してやってどっかりと椅子に腰を下ろした。ノーラはカウンターに手を置いて立ったまま状況説明を始めた。


「今回の転生は特別なもの。現行の能力や経験に上方修正を加えて引き継ぐ転生をします。身体的特徴も年齢もそのまま、ぽんっと異世界に突然登場するタイプの転生よ」


「ガキからやり直すんじゃないのか?」


 ノーラは金色トンカチを愛おしそうに撫でながらアーサーの隙を窺った。が、ダメだ。椅子に踏ん反り返って背もたれに体を預けているとは言え、どうやってもこの金色トンカチをかすらせる事すら出来そうにない。さすがはオリンピックレベルの隙の無さだ。


「赤ちゃんからやり直せば今のスペックからさらなる成長が望めるけど、ちょっと時間がかかり過ぎるの。ピンポイントでいて欲しい場所にいるとも限らないし」


 オークに転生した灰谷曜市の例もある。意識が高いのはけっこうな事だが、勝手にどんどん進んでもらっても困る。


「で、助ける女の子ってのは?」


「その子も転生者ね。ちょっとしたイレギュラーに巻き込まれて窮地に立たされてるの。ほんとは一秒でも早くその子のとこに戻ってあげたいんだけど、こうしてあなたを説得してんの」


「転生者、ね。何がどうなってんだ?」


「だから説明してる暇はないんだって。ほら、後ろを見て」


 後ろ? アーサーはノーラの金色トンカチを警戒しながらそーっと振り返った。


 そこには大きな白い影がいた。うじゃうじゃいた。


「うわっ、何だこいつら」


 頭から白いシーツをかぶったような大きくてゆらゆらした奴が何体もいて、そいつらがアーサーの後ろにぞろぞろと列を作っていた。見れば、みんな頭上に光の輪っかを持っている。みんな転生予定者か。


「こいつら全員の相手もしてあげなきゃなんないし、時間がないって言ってるでしょ」


 ちーん。突然、澄んだ金属音がアーサーの頭上で鳴り響いた。しまった、とノーラに向き直るアーサー。ノーラはニッコリ微笑んでいた。


「やっと隙を見せたね。転生ッ!」


 また転生か。これで何度目だ? アーサーは頭上の天使のリングを見上げた。輪っかの中がぐるぐると渦巻いていて、どこだろうか、何やら薄暗いが賑やかそうな人がいっぱいいる場所が見える。ぐるぐる渦巻きの中心に一人の女の人がいる。肩まであるくすんだ金髪をかきあげて、こっちを見ているのか、目が合った気がした。


「あとでちゃんと説明しろよ!」


 アーサーはそう叫んで、天使のリングにきゅうっと吸い込まれていった。後に残った天使のリングはふっと輝きを失ってノーラの手の中に落ちた。


「さて、忙しくなってきたわね」

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