第五章 あなたの明日はどっちだ? あっちだ!
ノーラ・カリンの冴え渡る采配 その1
ノーラが赤眼鏡のテンプルを薬指でくいっと持ち上げ、宗馬はメタルフレーム眼鏡のブリッジを中指でたんっとやり、二人はコントロールルームのモニター群を静かに見つめていた。
二人が座るデスクにはすでに湯気も立ち消えたコーヒーカップが二つと、宗馬の手元にはキーボードとマウスが、ノーラの前にはタブレット端末があった。
宗馬がキーボードの上で指にステップを踏ませてマウスをクリック。静かなコントロールルームにカチリとクリック音が小さく響く。
「ずいぶん押されてるんじゃないか?」
ずらりと並んだモニターの一つの画面が切り替わり、強い光を放つ画面の中でアーサーとレイノが手を組んで一人の魔法使いに挑んでいた。
「そのようね」
ソロモンが杖を振るう度にアーサーもレイノも弾かれるように数歩後退り、魔法使いの身体に触れる事も出来ないでいた。アーサーが腕を胸の前に折り畳んで姿勢を低く突進しても、レイノが大剣を上段から叩き落として高速の火球を飛ばしても、ソロモンの身体に届く前に不可視の壁にぶち当たるようにして攻撃は止まっていた。
「アーサーめ、相手がおっさんだからって手を抜いてるんじゃないの?」
「なあ、ノーラ。奴が言う魔王ってそんなにヤバイ奴なのか? 自分が見た限りでは引きこもりがちな少女にしか見えなかったが」
ノーラがモニターから目を離し、呟くように言った宗馬の横顔を見つめた。宗馬の眼鏡がモニターの光をチカチカと反射させその顔色をさらに青白く見せていた。
「あれを見たの?」
「ああ。悪い奴らから匿ってやるよって言って核シェルターに連れ込んだ時にな。普通の女の子だった」
ノーラはタブレット端末の画面上で指を踊らせ、その指を小さな顎に添えて少しだけ首を傾げ、誰にも言えない秘密を打ち明けるような顔で宗馬に耳打ちした。
「マオーってのはね、私達転生ハローワーク職員が魂を選別する時に生じる残留思念みたいな物の集合体なの」
「残留思念?」
「製錬された魂の搾りかすと言うか、底に溜まった濁った不純物と言うか」
「鍋物の灰汁みたいなものか?」
「変な表現だけどいい例えね。まあ、そのアクが溜まってとある世界でカタチを成して爆発する事がマオーの発生とでも言っておこうかしらね」
ノーラはタブレットを宗馬の前に滑らせた。宗馬は眼鏡をやや下ろしてタブレットの画面を見る。いくつかの見慣れない文字列が羅列される中で、よく見知った単語が目に飛び込んで来た。
「第二次大戦も魔王の発生が原因なのか?」
「ちょっと違う。WW2って事象そのものがマオー」
「物理的な存在とは限らないのか」
「だからこそ厄介なの。誰にも止められなかった」
「そもそも止められるものなのか?」
「マオーはその世界に大厄災を引き起こすきっかけとなったり、あるいは、大災害そのもの。そう簡単に止められるものじゃないの。何万、何十万もの命を道連れにして消滅して、また灰汁が溜まったらどこかの世界に発生する」
「この方舟事件って、アララト山の船の事か?」
「局地的大洪水だったかな。私も直接関与してないからわかんないけど」
宗馬はタブレット端末に噛り付いて画面をスクロールさせた。まったく見知らぬ世界の様々な歴史が記されているが、たまに知っている文字列が登場する。それは宗馬が知っている限り、地球人類にとってとんでもない事件の数々だ。
「私達ハローワーク職員は使えそうな転生者を魔王が発生しそうな世界に派遣して、その発生の阻止や大厄災の被害軽減化をさせているの。ある者は船を作って動物達を救ったり、ある転生者は預言者として奉られたり、いろんな転生者がいた」
「同じ世界の過去に転生すれば未来の出来事を言い当てられる。まさに預言者だな」
「予言は出来ても、結局は魔王から何も救えなかったけどね」
そこで宗馬ははっと息を飲んだ。自分が転生した時に、ノーラは何て言った?
「……自分もか? 確か、転生する時に魔王の管理人を募集してるって、おまえ言ってたよな」
宗馬がタブレット端末をノーラに返して言う。ノーラは悪びれた様子も見せずにニコッと笑顔を見せた。
「別にウソついてないでしょ? 魔王は倒せないもの。だったら、管理してコントロールすれば大厄災も防げるってものよ」
「ただのダンジョン経営かと思ってた」
宗馬が背もたれに体重をかけて頭の上で手を組んだ。安っぽいギシリと言う音を立てて椅子が軋む。ふうと溜息をついてモニターを見やれば、アーサーのスピードが乗った拳がソロモンにヒットする瞬間が見えた。しかしソロモンにダメージがあるようには見えなかった。アーサーの攻撃は寸前で留まり、ソロモンの身体を打ってはいなかった。
「あいつは? ソロモンはそれを知っているのか?」
「どの世界で知ったか、或いは転生ハローワーク職員から聞いたのか、それはわからない。あいつ自身12回も転生してるから身体に灰汁が溜まって魔王化してるのかもね」
「それにしても、全然手が届いてないように見えるな」
モニターの中のアーサーもレイノも、未だにソロモンに一撃食らわせるに至っていなかった。ただソロモンの周りを間合いを取って攻めあぐねているだけだった。
「12回転生のベテラン相手だからいろんな世界を生き抜いて来ただろうし、何か普通じゃないスキル使ってそうね」
ノーラが手元のタブレット端末のケースをパタンと閉じ、すっくと勢いよく立ち上がりタイトスカートのシワをパンと叩いて伸ばした。すっと細い腕をモニターに向かって差し伸べて、一言宣言する。
「私が直々に相手してあげようかしら」
「現世に介入しないんじゃなかったか?」
「ハローワーク職員としてはね。ダンジョンマスタリーのプレイヤーとしてはまったく別物でしょ」
くるり、モニターに背を向けてコロシアムに通じる従業員用隠し通路に向かう。
「そう言う訳だから、後はよろしく頼むわよ」
「どう言う訳だよ」
「だから、魔王の管理よ。やりたいようにやりなさい」
「やりたいようにやってもいいのか?」
「そんな光の輪っかに囚われてて、社畜らしくないわよ」
「オーケイ。社畜には社畜の戦い方があるって見せてやるよ」
頭上に天使のリングを光らせる宗馬はメタルフレームのブリッジを中指で弾いた。
「社畜にも牙や爪はあるのさ」
「楽しみね」
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