まずガチャよりはじめよ その2
人は少なからず自分だけが特別だと思う傾向にある。どうでもいいようなささやかな幸福が、知らぬ間に自分の身に舞い降りるだろうと悲観的に思い、あるいは気になってしようがないような些細な不幸が、自分だけには降りかからないだろうと楽観的に思うものだ。
何億円と言う大きな宝くじはかすりもしないが、数千円と言う少額のスクラッチくじなら自分にも当たるはずだ。
航空機墜落のような重大な事故は避けようがないが、鳥のフンくらいの落下物なら余裕で避けられるはずだ。
ガチャを一回だけひねって最高級S+レアなんて当たりはしないが、何度もガチャやってれば普通のレアくらいは当たるはずだ。
そんな何の確証もない身勝手なロジックをちょっと刺激してやるだけでいい。ギリギリのところで危ういバランスを保っているタイトロープダンサーは一陣の風の前に無力だ。一度バランスが崩れてしまえば、後はもう落下するまで今にも切れそうなロープの上で激しく踊り続けるだけだ。
その刺激を与えてやるのが宮原宗馬の仕事だ。
ダンジョン運営管理人の宗馬は地下の奥底でモニター群を見つめていた。モニター群が放つ白い光がメタルフレームの眼鏡に反射する。宗馬は中指一本で眼鏡をたんっと上げて、ダンジョン入り口に仕掛けた監視カメラの一つが映し出している女魔法使いを睨み付けた。
赤眼鏡にいかにも魔法使いっぽい柔らかそうな黒いローブ、そして赤ネクタイを緩く締めたお団子ヘアの女。
「何でこんなところにいるんだ?」
見覚えがある、なんてものじゃない。あの鮮やかな色合いの赤眼鏡は間違いなくあいつだ。
「リリ、このパーティーがゲートをくぐったらあの女魔法使いだけをこっちに飛ばしてもらいたいが、いいか?」
宗馬の傍らで粘土をこねていたリリが顔を上げ、宗馬が指差すモニターを見た。赤眼鏡にお団子ヘアの女魔法使いがこっちを見ている。ダンジョン入り口に設置してある監視カメラに気付いているのか。
「あ、この女ですか? 主任の好みですか?」
薄紫色した肌に金色の瞳の少女がニヤッと笑った。
「いや。知り合いだ」
はて、と首を傾げるリリ。宗馬を異世界から召喚したのはリリ自身だ。その異世界の住人である宗馬の知り合いがこの世界にいるなんて。
「あ、何者ですか?」
「それを知りたいんだ」
「あ、わかりました。準備してきます」
リリはこねていた粘土を放り出して、とててっと軽い足音を立てて別室に消えて行った。
モニター室に一人残った宗馬はリリがいじくり回していた粘土を拾い上げた。それは大きくねじれた角を持った四つ脚の獣に見て取れた。
あの悪魔っ子は召喚、転移魔法を使いこなす他にも、形作った粘土にクリスタルを埋め込み、大型化させ、擬似的な命を与える生命錬成魔法とやらも使える非常に有能な部下である。何より宗馬に従順だ。立派な社畜に育ったな。宗馬は粘土の獣をデスクの上にちょこんと立たせた。
ダンジョンの入り口である教会の扉をくぐると、そこは小さく狭い空間だった。ドンガンを先頭にレイノ、ノーラと三人で入れば少し窮屈さを覚えるような狭さだ。
見たところ入り口以外に扉らしき物はなく、扉が閉じてしまえばそこは完全な密室となってしまう。
「これがなかなか面白い仕掛けになってるんだ」
ダンジョン経験者であるドンガンがまるで自分の偉業であるかのように自慢気に言う。
何が始まるのか、ノーラはふと天井を見上げた。ん、あれは? 通気孔?
ノーラは気付いた。これはエレベーターだ。行き先階の文字盤や押しボタンなどは見当たらないが、あの通気孔は間違いなくエレベーターのそれだ。ソーマの奴め、どうやったかは解らないが、大掛かりなシステムを使いやがって。
数秒待つ事もなく、がくんと小さな振動があり、あの独特の浮遊感がノーラ達を包み込んだ。余程楽しいのかドンガンは目をキラキラと輝かせ、対してレイノは不安におののく子羊のようにキョロキョロと落ち着きなく視線を彷徨わせていた。
挑戦するレベルに応じて探索の舞台となる階層を変えるのか。ノーラはちょっと感心した。なるほど、これなら多種多様な冒険者達に対応した難易度のダンジョンを提供できる。さすがは元ゲームクリエイター。
ふわっとした浮遊感が消え、不意に肩を押さえ込まれるような見えない圧力が感じられ、三人を乗せた箱は再び小さく振動した。どうやら目的階に着いたようだ。
「ノーラよ、さっきクリスタルを支払った時に小さなカードが出てきたろ?」
扉が開くのを待たずにドンガンがぐいっと扉に手をかけて言った。
「ええ。二枚ある」
ノーラはねじれた長い杖でエレベーターの扉をこじ開けようとするドンガンの両腕を制して答えた。やめろ、バカ。エレベーターはデリケートな機械だ。こんな技術力の低いファンタジー世界でエレベーター閉じ込め事故なんてシャレにならないわ。
「それがレイノとノーラの冒険者カードだ。ガチャを回したり、ダンジョン探索の記録をしたりするんだ。俺は何度も潜ってるから一枚持ってる」
「便利なものね」
新規登録カードか。こんな物まで採用するなんて、ソーマのダンジョン運営はとことん本気だな。ノーラは一枚を自分用に、もう一枚をレイノに手渡した。と、ずっと押し黙っていたレイノの顔が真っ白なの気付く。
「どうしたの、レイノ?」
「……狭いところ、苦手なんだ」
「あっそ」
閉所恐怖症の人間に未体験のエレベーターは、そりゃあきついわね。御愁傷様。
ようやくエレベーターの扉が開き、ドンガンとレイノがわらわらと箱から躍り出た。
レイノには気の毒な事に、そこもまた小部屋だった。天井と壁がぼんやりと発光しているようで曇り空の太陽の下にいるみたいな明るさだ。
その小部屋の中心部には半透明の筒のようなラウンドテーブルがあり、その上にはカードリーダーのスリットがあった。
「さあ、まずは俺からやろう」
ドンガンが誇らし気に言う。
「ダンジョンに挑戦する毎に一回ガチャを回せるんだ」
ドンガンは慣れた手付きで冒険者カードをカードリーダーのスリットに通した。するとすぐに半透明のラウンドテーブルが反応し、白い光を放ち出す。そして筒状になったテーブルの下部がスライドして開き、そこから小瓶が一本出てきた。
「スペシャルドリンクか。疲れが吹っ飛んでハイになれるんだ」
「ヤバいおクスリなんじゃないの?」
ドンガンはそれをバックパックに突っ込んで、眉をしかめているノーラを顎髭でラウンドテーブルへ促した。
「初回限定でSレアが当たるらしいな。やってみろ」
確かキャンペーン中だとか、酒場のポスターに書いてあったっけ。
ノーラはドンガンに倣って冒険者カードをスリットに通した。さっきは白い光だったが、筒状のラウンドテーブルは銀色の光をほとばしらせた。ちょっとドキドキしてしまう演出じゃないか。さすがは元ゲームクリエイター。課金地獄の鬼だな。
さっきと同様にテーブルの下部がスライドして開き、そこから出てきたのは革張りの分厚い本だった。
「本? 何これ?」
手に取ってみると、ノーラの細い腕にそれはずしりと重過ぎた。
「ひょっとして鈍器?」
「Sレア、オートマッピングナビゲートブック、と書いてあるな。自動でダンジョンマップを書いてくれるアイテムだそうだ」
ドンガンがラウンドテーブルに浮き出た文字を読み取った。
「ここのダンジョンは、どういう仕組みか解らないが、入る度に形が変わるんだ。一度作ったマップも次のダンジョンでは役に立たない」
なるほど。それは便利なアイテムだ。いいものもらったわ。ノーラはペラペラとナビゲートブックのページをめくりながら、ラウンドテーブルの前をレイノに譲った。さすがにまだ何も書き込まれていなくてどのページも真っ白いままだ。
「ほら、レイノの番よ。さっさとガチャって」
まだ顔色が悪いレイノはヨタヨタと前に進み出て、無言のまま冒険者カードをスリットに通した。その途端、ラウンドテーブルが金色に輝き出す。
「金?」
これは、またさっきとは違ったパターンだ。銀色の光でSレアだ。と、言うことは。
キラキラと光の粒を振りまきながら金色の光を放つテーブルから飛び出して来たのは一振りの剣だった。
「S+レア!」
ドンガンは思わず叫んだ。きょとんとしたままレイノはその大振りの剣を掴み上げた。レイノが今装備している剣よりも長く、刀身も幅がある。両手で持たなければならないような大剣なのに、軽い。ナイフを握っているのかと思えるほどに軽い。
「名前は、ショットガンソード+3とあるな」
ドンガンがラウンドテーブルに表示された説明を読んでくれる。ごつくてがさつそうなドワーフだが、なかなか面倒見がいい男のようだ。
「S+レアって、なんか、そんなに、すごいのか?」
いまいちすごさが飲み込めないレイノ。でかさの割りにこの軽さはすごく扱い易くていいが、剣そのものの重量が感じられないだけに重さを乗せた攻撃が有効かどうか疑問だ。
「そのグリップの所にクリスタルを装填してトリガーで発動とか書いてあるが、ノーラよ、クリスタルは余っているか?」
「さっきの支払いに全部使っちゃったよ。モンスターを倒せばクリスタルが手に入るんでしょ? 中で調達しましょ」
「だな。レイノ、S+レアソードの力を試してみよう。さあ、行くぞ!」
ニコニコ顔のドンガンが相変わらずぽかーんとしているレイノを連れて、次の扉へと意気揚々と出て行った。
一人残されたノーラは思った。なんか、ヤバい雰囲気だ。課金の罠のニオイがプンプンする。
まったくの初心者が一発目の無料ガチャで最強クラスのレアアイテムを引き当ててしまった。強いクスリをいきなり脳に直接ぶち込んだようなものだ。もう普通のアイテムでは満足できない身体になってしまうだろう。より強い刺激を求めて、より高額なガチャを回し続ける。課金廃人コースまっしぐらだ。
それに加えて、クリスタルを稼ぐために使う武器がクリスタルを消費するだなんて。どんなに狩っても狩ってもクリスタルが足りなくなるだろう。あ、そうだ。ダンジョン入り口にクリスタルの自動販売機があったっけ。毎度ありー。やっぱり課金廃人コース一名様ご案内だ。
あのドワーフもすっかりハマっているようだし、ちょっと意思の弱そうな頼りない感じの男のコだったし、何より相手が現世でも課金旋風を巻き起こし、重課金者を量産したあの宮原宗馬だ。
「しーらないっ」
ノーラはさらっと何も見なかった、何も聞かなかった事にして二人の後を追って扉をくぐった。
一瞬、空気の温度が下がったのか、背筋に
がヒヤッとして、軽い立ちくらみにも似た揺れを感じた。そしてノーラは薄暗い部屋に立っていた。先に進んだはずのドンガンとレイノの姿もなく、壁面に並んだモニター群がノーラの赤眼鏡を煌々と照らしている。
「あれ?」
なんか、ダンジョンの様子が変わったような? ん、誰か、いる?
「前に会った時とは立場が逆転したな。ノーラ・カリン。まあ、かけたまえ」
この無情にして非道なる課金ダンジョンのラスボス、宮原宗馬、いきなりの登場だ。
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