最高の少年


 その拳に神は宿るのか。


 山田中獅子王が圧倒的勝利の試合後にスポーツライターからインタビューを受けた時、そんなふざけた質問を食らった。アーサーは何か軽くバカにされた気分になったので、とてもゆっくりとそいつを殴ってやった。


 こんな風に人を殴るのに神の力なんていらないだろ。神みたいな不確定な要素は強さに結び付かないんだ。


 拳をライターの顎に押し付けたままそう答えた。


 でも、今の拳がすげえ速かったらどうなってた?


 誰よりも速く、何よりも正確に、人体の構造上の弱点を打ち抜けば、相手の運動能力を一撃で奪う事が出来る。そのためにガキの頃から、それこそ生まれ落ちた時点からスピードと正確性を磨きに磨いてきたんだ。神なんか宿ってる暇がないほどにな。


 アーサーはいったん拳を引いて続けた。


 とにかく世界で一番強い男になれ。マジヤベぇ親父に何度も言われた。そして俺にボクシングを教えてくれた。限定的条件下では最強の格闘技だとさ。


 ボクシングと言うスポーツのルールは、極論を言ってしまえば、相手を十秒間動けなくすれば勝ちだ。相手を動けなくするために、ゴリラみたいな腕力で何度も何度も殴ってやる必要はない。目にも留まらぬスピードで相手の弱点をピンポイントで狙撃してやればいい。俺はスピードと正確性を特化して鍛えてきた。マジヤベぇくらいに。


 アーサーは語った。


 マジヤベぇ速さで、ココを打ち抜くんだ。神に祈る間も与えねえぞ。


 アーサーはライターを睨み付けながら、再びゆっくりと拳を繰り出してその顎の先端をかすめてやった。


 もう、そのスポーツライターはアーサーを下に見る態度は取らなかった。


 転生する時に世界の仕組みをノーラから教わった。基本プレイ無料期間の14歳までどれだけ鍛えられるか、だ。そこから先は課金勝負だ。アーサーは戦慄して生まれた瞬間から、歩むべき道を決めていたのだ。




 アーサーの左の拳が空気を切り裂く。踏み込むステップと同時に左肩からぐんっと伸びるパンチだ。まだ手も届かない間合いの外にいる、と余裕ぶっていれば、気が付けば拳が鼻を捉えている。いや、鼻を触られて初めて拳が迫っていたと気付くスピードだ。


 殴られた相手は鼻先を掻っ攫うような左のジャブに一瞬だけ目を閉じてしまう。アーサーのジャブはダメージを与えるためのものではなく、その空白の時間を作り出すための一手だ。相手の目が閉じた瞬間、左の拳を戻す動作で回転力を高めて右腕を腰ごとぶん回してガラ空きになる腹へ深く打ち込む。


 一歩踏み込んで密着した状態での肋骨をくぐり抜けて横隔膜までめり込む右の拳だ。呼吸すら出来なくなる一撃となる。腹を打ち抜かれた相手はそこでようやくアーサーが懐深くまで潜り込んでいた事に気付く。さっきまで、2メートルは離れていたはずなのに、と。


 腹を深くえぐられて、嫌でも身体はくの字にへし折れて顎が前に突き出てしまう。アーサーの三撃目がそれを見逃すはずもない。一瞬の間も置かずにすぐさま左のショートアッパーが顎に食らいつく。こつんと下から小さく突き上げる一撃だ。この左アッパーもダメージを与えるためのパンチではなく、むしろ相手の顎を固定するために拳を添えるようなものだ。


 そして最後の一撃。身体が前に折れて、無様にも顎を突き出したところへ、アーサーの渾身の右フックが襲いかかる。狙いは顎の先端だ。頭部が大きく横に振られ、頭蓋骨の中で脳みそが派手に暴れ回るようにピンポイントで顎の先を狙い打つ。


 相手の頭が水平になるように顎を打ち抜き、爆発的な腰の回転を活かして長い腕を振り抜き、相手の意識を根こそぎ刈り取る。脳がこれだけ跳ね回れば、もはや十秒間身体を動かす事なんて出来やしない。


 このアーサーの四連撃がまばたきをした瞬間に打ち込まれるのだ。ボクシングの防御すら知らない異世界の男達がこれを食らって立っていられるはずがない。まさに瞬殺だ。


「オラァッ! 次はどいつだ!」


 十五人目の挑戦者を秒殺し、アーサーは闘技場の外縁、一段高くなったリングサイドによじ登って両方の拳を突き上げて吠えた。その拳にはメタリックな光を放つナックルダスターがはめられていた。拳だけでなく手の甲を覆うようにデザインされたもので、戦闘開始前にバトルガチャで当てた戦闘効果アップのアイテムだ。相変わらずガチャ運の強いアーサーであった。


「アサオくん、やるじゃない」


 闘技場のリングサイド席でまりあは祈るように両手を組んでアーサーをぽーっと見つめて言った。


「私の予想を上回る成長をしてやがるわ。まったく、どいつもこいつも」


 その隣で憮然とした顔のノーラがぼそっと。


「宗馬と言い、曜市と言い、そしてアーサーと。何でまあこうも私のとこに曲者が回ってきちゃうのかしらね」


 社畜に、意識高い系に、ニート。それぞれ人間性に偏りを見せるダメ人間ズに見合った転生先を半ば強引に斡旋してやった。その結果がどうだ。こいつらはノーラの転生プランを斜め上に飛び越える転生者へと進化を遂げていた。


「アサオくんかっこいいじゃない。何か問題でも?」


 まりあが自分の立場も忘れてアーサーに拍手を送りながら言った。もしもアーサーが負けてしまえば、まりあはダンジョン新管理人の元へ連行されてしまう。そこで何が待っているのか。知る由も無い。しかしそんな不安も払拭できるアーサーの戦いっぷりだ。思わず拍手の手にも力が入ってしまう。


「調子に乗り過ぎ。私の読みではあいつが戦いに来ると見てるんだけど、ちょっとペースが早過ぎる。援軍も用意してるんだけど、間に合うかどうか」


「援軍って、まだ何か起きるの?」


「常に一手二手先を見て転生先を紹介するのが転生ハロワ職員のお仕事なの」


 ノーラの意味深な笑みに、首を傾げるしかないまりあであった。




 ここにもう一人、首を傾げるしかない者がいた。ソロモンは長い白髪をかきあげて、憮然とした顔でモニター群を睨み付けていた。


 ダンジョン管理人室に設置されたモニター群の前で、広々としたデスクに両肘を付いて手を組み、そこへ顎を乗せてそっと溜め息をつく。明滅するモニターの明かりがソロモンの顔に深い影を作っていた。


「ダンジョン管理人とは言え、冒険者どもを思い通りに動かせるものではないんですね」


 闘技場に取り付けられた監視カメラの映像が、突如現れた謎の少年がまた一人挑戦者を倒したところをさまざまな角度で伝えてくれている。またもや秒殺だ。何の武器も持たず、自らの拳のみで戦うこの少年は、バトル開始から一度も攻撃を食らっていない。


「そりゃそうさ。プレイヤーは開発者の予想を裏切る生き物だ。それ不確定要素がある仕事は面白いものだ」


 頭の上に光の輪っかをぷかりと浮かべた宗馬が言った。ソロモンの隣のデスクに座り、ノートパソコンの上で軽やかに指を踊らせている。


「それに邪魔が入った方がやりがいもあるだろう?」


「わかりませんね、その感覚は。私とあなたとでは仕事というものに対する考え方が根本的に違うようです」


「そうか? 仕事をこなすと言うよりも、むしろ仕事にこなされてみれば、あるいは自分の領域まで到達できるかもな。社畜の高みって奴だ」


「そんなところまで行きたくありませんね」


「まあいい。どんな狙いがあるのか知らないが、賭けの対象をまりあにしたのはそれなりに盛り上がるイベントだったと思う。いいアイディアだ。しかしあの赤眼鏡のお団子ヘアに全部攫われたな。さあ、どうする? あっという間に持ち駒はなくなるぜ」


「そのようですね。気に入りませんが」


 そうこう話している間にも、モニターの中のアーサーがまた一人、挑戦者をスピードののったパンチで闘技場に沈めていた。やはり、闘技場真ん中で向かい合って数秒の事だ。アーサーが動いたと思った時にはすでに決着はついている。


「レイノ、あなたなら勝てますか?」


 不意に名前を呼ばれたレイノは、こちらを見向きもせずに名を呼ぶソロモンの背中から視線を逸らした。ソファに腰を下ろしたままモニターの中のアーサーを見つめ、少し考えるように入場ガチャで得たショットガンソードを撫で、そしてのっそりと緩慢な動きで立ち上がった。


「俺に彼と戦う理由があるのなら、きっと勝てるだろうね」


 その重みのある言葉を聞いたソロモンはたっぷり間を置いてからレイノに振り返った。


「では、戦う理由がなければ負ける、とでも?」


「あの少年は強いよ。本当に強い。一切の迷いもなく突き進んでいる。俺も迷わなければ勝てるだろうが、剣に迷いが生じれば、倒れるのは俺かも知れない」


「……迷う理由でもあるんですか?」


 ソロモンがようやく椅子ごとこちらを向いてレイノに問いかけた。モニターに映るアーサーを背後に従えるようにして、仰々しく背もたれに身体を預けて、レイノを冷たく睨み付ける。


「まりあって言うのか? あの金髪の女性。彼女が魔王討伐のカギだと言うのは間違いないんだな?」


 レイノはソロモンの凍り付くような視線に真正面から向き合って言った。


「ミッチェが言っていたじゃないですか。あの女性の魂から魔王の匂いがプンプンする、と。前世からの因縁があるんですよ。疑うのでしたら、どうぞ、今の魔王を討ち取りに行っては? 負けると解って戦うのも、また、迷いのない戦いとなるでしょう」


 レイノはもう口を開かなかった。静かにソファから離れ、背後にある金属の扉を目指す。


「ソーマさん、この扉からコロシアムへ行けるんでしたよね?」


「ああ、スタッフ用直通路だ。ロックは外しておいたからいつでも行き来出来る」


 レイノは宗馬に軽く頭を下げて、金属の扉を押し開いた。ギギッと錆び付いたような大きな音を立てて扉は開かれ、眩しい光と、大勢の冒険者達が放つ熱気と喧騒とが管理人室に流れ込んできた。


「ミッチェ、あなたも行きなさい」


「えー、あったしもー?」


 ソロモンがデスクに座っていた悪魔っ子に耳打ちする。


「もしもレイノが負けそうになったら、あなたの魔力であの場の全員を……。解るでしょう?」


「そういう事ならー、喜んでー」


 ミッチェが長い耳をパタパタと震わせて、笑顔でレイノの後を追いかけて行った。


「さて、ソーマさん。あなたには魔王のところへ案内をお願いしたいのですが、いいですよね」


 宗馬の頭上に輝く光も輪っかがぶんっと鈍く光を放つ。


「ああ、喜んで」


 宗馬は素直に立ち上がった。

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