ダンジョン・マスタリー その2


 轟々と響き渡る爆音。怒号のように唸りを上げる歓声。破裂のこだまは炎とともに渦を巻いて立ち昇り、耳に残響を刻みつけて消えていった。


 三つ首の巨大な黒犬は炎に巻かれてぐらりとよろめき、三つあるうちの一つの首が灰色に変色し、ばきんと大きな音を立てて粉々に砕け散った。


 観客達は吠えるように喝采の声を上げた。


 闘技場に弾け散った黒犬の破片の中にキラリと光るものが混じっている。クリスタルだ。このダンジョンで最も価値のあるものだ。


 三つ首の一つを叩き砕いた若い剣士は人の背丈の倍はありそうな巨大な黒犬との間合いを一気に詰め、黒犬の足元をすり抜けるように滑り込んだ。黒犬の懐に潜り込みつつ、散らばったクリスタルをかっさらう。


 残った二つの首で腹の下に潜り込んだ剣士の姿を追った黒犬は、剣士が腹の下で方膝立ちに大剣を構えているのを見つけた。剣士が大剣のグリップ部をスライドさせ、開いたチャンバーへクリスタルを装填する。一個、二個、三個。フル装填だ。


 さすがに黒犬もじっと動かずに待っている訳もなく、ナイフのような鋭い牙を剥いて剣士に吠えかかってきた。


「うわあっと!」


 剣士が大剣でそれを防いだ。がちんと硬い金属音を立てて大剣と牙がぶつかり合い火花が散る。がっちりと大剣を咥え込んだ黒犬はその一つの首をぶるんぶるんと振るって腹の下から剣士を引きずり出した。


「離せって!」


 黒犬の攻撃はそれだけでは終わらなかった。もう一つの首も大剣にかぶりつき、そのまま剣士に何もさせずに地面からぶっこぬくように空中へと放り投げた。


 黒犬と剣士と、それぞれ身体の大きさが違い過ぎた。棒っきれのようにいとも簡単に宙を舞う剣士と大剣。くるくると激しく回転しながら真上に吹き飛ばされる。


 観客席から震えのようなどよめきが湧き上がった。あの上位ランカーの騎士崩れのレイノがついに負けてしまうのか、と言う悲嘆を含んだ罵声と、黒犬による派手な殺戮シーンが見られるか、と言う期待に満ちた怒号とが入り混じったどよめきだった。


 黒犬は前脚を踏ん張って身構え、二つの首の四つの目玉で宙を舞うレイノをがっちりと見据える。牙を打ち鳴らし、落ちてくるのを待ち受けて。


 そしてそれはレイノも同じだった。激しく回転しながら、黒犬の位置を確認し、自分の落下地点を予測する。ぎりっと強く黒犬を睨み付け、打ち上げられた身体が描くカーブの頂点でSレアアイテムのショットガンソードの撃鉄を引き起こし、躊躇せずにトリガーを弾いた。


 空中で爆発するショットガンソード。爆炎を吹き上げ、その反動力で暴れ回るレイノの身体を宙で固定させた。ちょうど黒犬の首の真上で。真っ直ぐに見下ろせる角度で。


 一瞬だけ宙に浮いたように止まったレイノの身体が重力に引かれて落ちていく。


「どんぴしゃりだ」


 牙を光らせて大口を開いて待ち受ける黒犬。宙空を斬り裂いて猛然と振り下ろされる大剣。牙と剣とがぶつかり合ったその瞬間、弾け飛ぶ火炎と突き刺すような爆発音が巨大な黒犬を丸飲みにした。


 激しい業火は竜巻のように旋風を巻き起こして空気を焦がし、熱波は闘技場を飛び越えて一段高くなっている観客席まで届いた。観客席の一番後ろにいたノーラのお団子ヘアがかすかに揺れる。赤眼鏡が渦巻く火柱のオレンジ色を反射させて輝いていた。


「だいぶレベル上がっちゃってまあ」


 レイノの勇姿を見て、思わずつぶやいてしまうノーラであった。


 闘技場でレイノと黒犬を巻き込んで渦巻く炎は、やがてその渦に規則性が見られるように火の流れが変わっていった。炎が集束して一点に凝縮されていく。そこはレイノの左手だった。手首になにやらごつい腕時計のようなものを巻いている。それに炎は吸い込まれていた。


「あれもガチャで当てたレアアイテムってとこかしらね」


 すっかり炎が消え去った後には、左腕を高々と掲げているレイノと、灰色に変色してヒビだらけの変わり果てた黒犬の姿が残されていた。


 闘技場に再び歓声が沸き起こり、声の波が黒犬の身体を震わせて、黒犬は元の粘土の姿に戻り粉々に砕け散った。バラバラと灰の欠片に混じってクリスタルがレイノの足元に散らばる。


「あれが上位ランカーの戦いだ」


 缶ビール片手にドンガンが言った。観客席後方でノーラの隣にどっかりと腰を下ろし、くいっと銀色に輝く缶を傾けて美味そうに喉を鳴らす。って、缶ビール? ノーラは思わず二度見してしまった。


「あんた、何飲んでるの?」


「お、これか? 異世界の酒だ」


 ドンガンは見せびらかすように銀色の缶を振るって見せた。ちゃぽちゃぽと少しだけ残っていた液体が波打つ音がする。


「このダンジョンの管理人は異世界出身らしくてな、その異世界から持ってきたそうだ。何ともはや喉越し爽やかな酒だ。お前さんも一杯どうだ?」


 いわゆるファンタジーワールド全開なこの世界は転生者達にも人気の転生先だ。前世の記憶や能力を引き継いだ者はごく僅かだが、けっこうな数の人間、亜人種、動植物の転生者がいるはずだ。しかし転生者として、いったいどうやって前世界のアイテムを持ち込んだのか。ノーラが知る限りそんな事をやらかした転生者はいない。


「無事にレイノも勝って配当金も戻るし、再会を祝して奢ってやるぞ」


 再会って言う程のものじゃないが、ノーラもニッポンと言う世界のビールは嫌いじゃない。ご馳走になるかな、と思ったが、一つ嫌に引っかかる単語が聞こえた。


「ちょっと待て。配当金って?」


「配当金は配当金だとしか言いようがないな」


 ドンガンがおまえは何を言ってるんだ、とビールを煽りながら憮然と答える。


「俺達はバトルの挑戦者に敬意を表してクリスタルを出資する。挑戦者はそのクリスタルでガチャを回してコロシアム限定レアアイテムを手に入れて、クリスタルモンスターとバトルだ。勝てば、大量のクリスタルが貰えて、出資者にも出資額に応じて配当金が配られ、負ければ、即ち死亡。おしまいだな」


「ギャンブルじゃん。まるっきりギャンブルじゃん」


「ギャンブルなんて低俗な事を言うな。これは死をも厭わぬ戦士達への崇高なる援助であり、立派な経済活動だ」


「経済、活動?」


「金は流動して始めて価値を持つ。貯め込んでいても金は意味を持たない。そしてどうせ金を回すなら、大きな困難へ挑戦する者に託すのがその意義も大きなものになるだろう」


 何を意識高いっぽい言い方してるんだ、こいつ。はたして意味を理解して言ってるのやら。まるで誰かの言葉をそのまんま借りてきてるような、と、ノーラの脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。ああ、あいつだ。こんなファンタジーワールドで意識高い系発言をする奴はあいつしかいない。


「この挑戦者ファンドってギャンブ、いや、投資システムを提案したのが俺達I.K.A.H.O.の主宰者だ。なんと、この方も異世界から派遣されてきた異世界人らしいぞ」


 そんな事より今ギャンブルって言いかけただろ。意識高いフリしててもその程度なんだろ。ノーラはハイハイと聞き流そうとした。


「そして、このダンジョンの管理人と多種族傭兵団の主宰者の二人の異世界人を引き合わせた赤の魔女って奴がいると言う噂だ」


 しかし聞き流せなかった。赤の魔女だと。


「それは、何の事かしら?」


 ノーラは赤いセルフレームの眼鏡を薬指でくいっと上げた。


「さあ、よくは解らんが、世界の仕組みに手を突っ込む悪夢のような女らしい」


 私の事か。そうかそうか。あの二人は私を悪夢のような女と評価しているんですか。そうですか。ノーラは赤眼鏡をもう一度薬指でくいっと。


「もういいわ。私もビールを一杯もらうわ」


「ああ、任せろ」


 ドンガンが観客席の通路を渡り歩いていた売り子のエルフ娘に声をかけ、ノーラの分のビール他、あれこれ注文した。見れば、エルフ娘も白いベレー帽に白いスカーフを装備している。異種族間安全保障機構の構成員のようだ。なるほど、ドワーフ族とエルフ族とが同じ組織に所属するなんて、イカホとやらは確かに高い意識の元に成り立っていて、異種族間のわだかまりなどないようだ。


「ほれ。飲め」


 ドンガンが缶ビールと紙コップに盛られた何やらラスクのようなものをノーラに手渡した。缶ビールはキンキンに冷やされていて、紙コップから突き出たラスクは揚げたてなのか香ばしい匂いをふわりと香らせた。


「いただき」


 パキュッと缶ビールを開ける。ニッポンのビールなんて久しぶりだ。ノーラはまず一口、きゅうっと喉を潤した。冷たい刺激が喉を駆け下りていく。ああ、これこれ。やっぱり仕事上がりのこの一杯はたまらないわ。まだ仕事中だけど。


 次はラスクを一口頬張った。サクサクと歯応えが良く、ガーリックとバターの味がした。これはビールとよく合うな。缶ビールをまた傾ける。うん? 確かに美味しいけど、こっちは最近食べた味だな。ノーラは思った。え? 最近食べた味?


「美味しいけど、何これ?」


「パンノミミラスクとか言うこのダンジョンの名物だな。ニンニクの風味がビールによく合うんだ」


 これは、このパンの耳のラスクは、確かに最近口にしたばかりだ。どこだっけ? 

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