ノーラ・カリンの冴え渡る采配 その5


 勝負は一瞬で決まる。


 もう一秒たりとも躊躇ってる時間はない。レイノは大切に使っていたSレアアイテムであるショットガンソードをかなぐり捨てて駆け出した。


 相手は魔王だ。最悪と呼ばれる現象が具現化したモノだ。やるべき事に一直線に突っ走らなければ、何もかもが奪われてしまう。また、目の前で。


 最強の少年、アーサーの側を走り抜けた。すれ違いざまに視線が交差する。アーサーは任せろと言うようにこくんと小さく頷いて、両方の拳を顔の前方に構え、レイノにくるりと背を向けた。狙うは俯いているソロモンだ。


 レイノは走りながら、もう一人の転生者、オークの王の曜市を見上げた。コロシアム観客席上段で巨大ムカデを足蹴にしながら、曜市はレイノの視線に気付いた。


 レイノの向かう先へ目をやり、すぐさま曜市は大きく頷いて見せた。巨大ハンマーを両手でしっかりと構えてテレポートしてきた魔王が篭るシェルターを見据える。硬い巨大ムカデの背を踏み付ける切株のような太い脚にさらに力を込めた。


 レイノは全力で闘技場を横断し、観客席最前列にたどり着いた。そこにはノーラとまりあがいた。


 何度も繰り返し観た古い映画の結末を語るような目で元騎士を見つめるノーラと、驚きの表情のまま固まっているまりあ。


 レイノはまりあの短く言い捨てた。


「君を逃がす。もう過ちは繰り返さない」


 レイノは有無を言わせずまりあの手を取って観客席上段へ駆け出した。ノーラはそれを静かに見送り、ふと思い出したようにコロシアム天井に据え付けられた大型液晶モニターを見上げた。その画面の中の宗馬はメタルフレームの眼鏡に中指を添えてじっとこちらを見つめていた。


「逃がすって、どこに?」


 まりあがレイノに引っ張られながらドタドタと走る。観客席の階段を不器用に飛び跳ねて、ついさっきまで敵だと思っていた騎士の背中に問いかけた。


「相手は魔王だ。世界中どこへ逃れても必ず捕まってしまうだろう」


 レイノは振り返らずにただひたすら駆け上りながら答えた。


「だから、君を異世界へ逃がす」


「異世界へ? どうやって……」


 まりあがそう言いかけた時、金属がひしゃげる音がコロシアムに響き渡り、場の空気が凍てついた風に晒されたように一気に硬くなった。身体を動かすのでさえ、空間がぎしりと音を立ててひび割れを起こすような圧迫感に満ち満ちて、レイノもまりあも呪縛をかけられたみたいに脚の動きが止まってしまった。


 見たくもないのに、自然と身体が振り返ってしまう。


 闘技場の真ん中でソロモンが杖を振り下ろし、核シェルターの扉を弾き飛ばしているのが見えた。まるで核シェルターに大きな穴が穿たれたような真っ暗な扉の中から、真っ黒い霧がじわりと滲み出る。


 レイノは動けなかった。まりあを逃がす異世界への扉まであと少しだと言うのに、遠くにある核シェルターからのドス黒い気配に意識を絡め取られ、あとちょっとの距離を走り抜けると言う簡単な事すら忘れ去ってしまった。


 そしてそれはアーサーと曜市も同じだった。突如として視界に現れた黒い霧状の影が精神を凍らせ、考える力を奪い取り、圧倒的な圧力で握り潰されてしまう。


 アーサーは目の前に立つソロモンに対して拳一つ動かす事も出来ず、曜市は巨大ムカデを踏み付ける脚が竦んで動き出せずにいた。場は魔王と言う現象に支配されつつあった。


 だがしかし、一人だけこの凍てついた場にいない男がいた。


『おい、何をぼんやりしている? 仕事中はせっせと手を動かせ』


 宗馬だ。何事にも事の主導権を決して手放さない男がマイクを通じて凍り付いた場に刺激を与えた。


『まずはそれぞれやるべき仕事をやれ。休むのはそれからだ』


 やるべき仕事。今まさに、呪縛は解かれた。場が動き出す。それぞれの使命を果たすために。


 レイノはまりあの手を握り締めて走り出した。アーサーは拳を引いてソロモンに狙いを定めた。曜市は巨大ムカデ戦士の背に飛び乗って駆け出した。


 黒い霧状の影がもうもうと蠢いて一本の腕を形作り、まりあを追って猛然と伸び上がった。


 レイノが異世界への扉にたどり着く。コロシアム上段のカウンターバーに設置された業務用大型冷蔵庫だ。ついさっきもふもふしたオーク達を次々と吐き出した冷蔵庫だ。あれから誰も冷蔵庫に触れてはいない。まだ異世界に繋がっているはずだ。


 レイノは祈るような気持ちで業務用冷蔵庫を開けた。その中は白く渦巻く歪んだ空間だった。よし、まだ異世界に通じているな。


「さあ、君は元いた世界に帰るんだ」


「ちょっと、騎士さん、待ってよ」


 言い淀むまりあを強引に冷蔵庫に押し込んでレイノは言った。


「君とパンをかじり、ワインを飲みたかった。もしも転生できたら、その時はよろしく頼むよ」


 にっこりと笑って見せる。これで十分だ。


「そんな死亡フラグ立てないでよ!」


 そう叫んで、まりあの身体は冷蔵庫の中に飲み込まれて消えた。


 くるりと振り返るレイノ。魔王の真っ黒い巨大な腕はもう眼前まで迫っていた。もう、いいか。まりあはもういない。自分が魔王に捉えられたとして、自分の目的は果たせたんだ。どうなったっていい。


「届けえっ!」


 そこへもふもふした塊が巨大ハンマーを掲げて飛び込んで来た。ムカデ戦士の背を渡って飛び跳ねた曜市は頭上高くハンマーを構え、大上段から一閃、黒く大き過ぎる腕目掛けてハンマーを打ち下ろした。


 強い衝撃が曜市の腕を貫く。密度の高い金属の塊へハンマーを叩きつけたように腕の筋肉がバラバラにほつれてしまうほど痺れが走り、骨がきしきしと悲鳴を上げて、それでも真っ黒い腕にダメージを与えるのに成功したのか、魔王の腕はするするとシェルターに戻るように退いていった。


「レイノくん! 諦めるのはすべてをやり尽くしてからだ。やるべき事がある以上は優先順位に従ってやるべし!」


 オークの王は叫んだ。


「効いたぞ、今のはまさに改心の一撃! 魔王、恐るるに足らず!」


 何をバカ言ってんだよ、兄さん。ちょっと怯んだ程度だろ。アーサーはステップを踏んだ。軽く膝を曲げて、誰の目にも止まらぬスピードでダッシュし、ソロモンにとどめを打つ。左右の拳を踊らせて、一瞬の間に十二発のパンチを浴びせかけ、狙いを定めて最後の渾身の一発。白髪の魔法使いの身体を吹き飛ばす重い一撃を繰り出した。


「吹っ飛べえっ!」


 意識をごっそりと刈り取られ、腕の力を失って身体が宙を舞うソロモン。そこへ、縮むように戻ってきた魔王の黒い腕が重なった。


「魔王に謁見したがってたろ。一人でじっくり話し込んできやがれ」


 魔王の腕がソロモンの身体をがっしりと掴んだ。そのまま音もなく核シェルターの中へ引き摺り込んでいく。


『よし。いい仕事っぷりだ。さあ、最後はリリ、おまえだ。これは業務命令だ。リリ、仕事をしろ』


 大型液晶ビジョンの中の宗馬がコロシアムの隅っこで震える捨て猫みたいに縮こまっていた悪魔っ子リリに指示を出した。


「お仕事ですか?」


『ああ。業務で使用した道具は使い終わったら元の場所に戻す。基本だぞ』


「ハイッ!」


 強制理解装置の効果でソロモンの命令以外聞けないはずのリリだったが、どうやら社畜はその限りではなかったようだ。リリは上司である宗馬の業務命令に忠実に従って、魔王が引きこもる核シェルターを再びテレポートさせた。


 少々の砂ぼこりを巻き上げただけで、闘技場が何もないがらんとした広さを取り戻した。


「そんな、これで終わりーっ?」


 金髪の悪魔っ子ミッチェが観客席から身を乗り出して叫んだ。ついに魔王が誕生し、大破壊と大殺戮がナマで目撃できるとこだったのに。


「残念だったわねー、悪魔族のお嬢ちゃん」


 背筋をぞくっとさせる冷たいハスキーボイスが背後から聞こえてきた。ある意味魔王的で、圧倒的に邪悪な匂いが含まれた声だ。恐る恐る振り向いたミッチェは、赤い眼鏡とお団子ヘアのスーツ姿の魔王を見た。


「私の予定通りの結末ね」


 リリとミッチェが小さく悲鳴を上げて抱き合った。そしていつの間にか背後に現れた赤眼鏡のハローワーク職員は金色トンカチを軽く振り上げて言った。


「リリ、あなたは十分に良い働きをしたわね。特別にあなたのスキルを活かせる転生先を紹介してあげる」


 言うが早いか、唸る金色トンカチ。リリは一言も発するチャンスすら与えられずに頭上の強制理解装置を転生装置である金色トンカチでぶっ叩かれた。


 リリの頭上に輝く光の輪っかからさらなる白い光が溢れ出し、そしてそれを中央の穴に吸い込み始める。すぐにリリの輪郭が崩れて穴に流れて消えた。


「相変わらずえげつない強制転生だな、おい」


 一度強制転生を食らってるアーサーが思わずつっこむ。


 リリの姿が消え、ぽとりとノーラの手の中に落ちる光の輪っか。今はその輝きを失ってしまい、ただの蛍光灯のように乳白色の本体を晒している。


「これは強制理解装置って言ってね、ソロモンが生まれた世界の暴君が使っていた支配道具。あんたが持って来たんでしょ?」


 さっとミッチェの頭上に強制理解装置をかざすノーラ。あっと短く声を上げるミッチェだが、残念、もう遅い。ノーラの手によって、ミッチェは光の輪っかに囚われてしまった。


「はい、あんたは今後レイノに仕えなさい。彼と一緒に魔王を目覚めさせる奴がいないか、しっかり見張りなさい」


「ハイッ! レイノお兄ちゃんと一緒に見張ります!」


 素直に手を上げて宣誓する悪魔っ子のミッチェ。


「これでおしまい、かな」


 ノーラが手をぽんぽんと叩いて言った。魔王が入った核シェルターはリリしか知らない場所へと瞬間移動された。そしてそのリリは異世界へ強制転生されてもういない。魔王の依代となるはずだったまりあも異世界へ飛んだ。魔王の存在を探知できるミッチェもレイノの忠実なしもべと化した。もはや、魔王を目覚めさせる手立ては完全に失われた。


「いいや、まだ仕事は残っている」


 しかし、宗馬が言う。いつの間にやって来たのか、コントロールルームからコロシアムへ自ら脚を運び、闘技場の真ん中で偉そうに腕を組む。


「アーサー、曜市、おまえらこのままでいいのか?」


 アーサーと曜市はきょとんと顔を見合わせて、少し首を傾げるようにして考えて、やがて答えた。


「不完全燃焼って感はあるっすね。まだまだ俺の実力を出し切っちゃあいないぜ」


 アーサーはシャドウボクシングをばばっと決めて言った。


「僕もだ。まだハンマーの一発しか殴っていない。いけるよ。魔王いけるって」


 もふもふした頬毛を撫でつけながら曜市も続いた。


「って訳だ。ノーラ、おまえはレイノとその悪魔っ子を連れて外に出ろ。後は自分達に任せな」


 今度はノーラがきょとんとする番だった。いきなり現れて何を言っているんだ、この社畜は。


「このダンジョンの責任者は自分だ。ダンジョンマスタリーの管理人も自分だ。仕事が終わるまで、誰にも自分の仕事の邪魔はさせない」


「仕事ってね、あのね、宗馬。魔王の一件は私の仕事でもあるの。素人は引っ込んでてもらいたいの」


「そう言うところ、おまえにも社畜センスがあるな」


「社畜センスなんて言葉、初めて聞くわ」


「いいんだよ。おまえが転生先を斡旋し、自分達を派遣させて、魔王を完全封印する。それでおまえの仕事も、自分達の仕事も完了する。どうだ?」


 ノーラに返す言葉はなかった。ノーラ自身が現世に介入し続けるのも転生ハローワーク憲章に抵触する恐れもある。こいつら、結局最初から最後まで私に迷惑かけっぱなしのとんでもない転生者だったわ。


「ノーラ、俺が魔王を倒したら今度こそハーレム展開だからな」


 アーサーが膝の屈伸運動をしながら軽く言う。


「レイノくん、もし僕が戻らなかったら、異種族間安全保障機構と僕の弟、妹達のオークをよろしく頼むよ。君がリーダーとなり、この地に留まり、再び魔王が目覚めないようダンジョンを監視し続けてくれ」


 曜市がレイノに握手を求める。


「はい。それが俺の生きる理由となるでしょう」


 レイノは曜市のもふもふとした大きな手をしっかりと握り締めた。


「それとな、ノーラ」


 宗馬がメタルフレームを中指でたんっと弾いて言う。


「悪いが、このゲームは三人用なんだ。ノーラが介入する余地は元々ないんだよ」


「……そう言うと思った。いいわ。いってらっしゃい。アーサー、曜市、宗馬、転生ハローワークで待ってるからね」


 最強のニート、意識高い系ゲーム廃人、絶対社畜の三人は魔王が消えたダンジョンの奥底へとゆっくりと歩き出した。




 そして、その後彼等の姿を見た者はいなかった。

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