端本まりあの場合


 端本まりあは思う。


 『ブリリアント・ストーリーズ・オンライン・シーズン2・ゴッド・スピード・エピソード』は神に見放された男達の物語だ。


 幾度となく訪れる絶望の死を受け入れて、悪意に満ちた魔女の力で転生を繰り返して戦争の渦に魅入られたかのごとくに身を躍らせる戦士達の物語だ。


 シナリオ途中で女騎士のマリアが美味しいものを食べるミッションがあったりするが、概ね宗馬が敷いたレールの上を課金しながら危うく疾走するゲームシステムを踏襲し、新たに他のプレイヤーに出資して見返りにレアアイテムをもらう冒険者ファンドや、プレイヤー同士が直接バトルを繰り広げるダンジョンマスタリーシステムを導入し、まりあのオンラインゲームはサービス再開を果たした。


 ゲーム開発のプロジェクトリーダーであり、尊敬できる上司であり、一際優れた社畜であった宮原宗馬はもういない。失踪扱いされていたまりあが社会復帰し、新しいリーダーとして『ブリリアント・ストーリーズ・オンライン』は再び走り出した。




 異世界のダンジョンで業務用冷蔵庫の中に押し込まれたまりあは、ふと気が付くと懐かしき転生ハローワークにいた。


 何時ぞやと同じく無機質で白い空間にぼおっと天井を見上げる無気力な人々が佇んでいて、仕切りのあるカウンターで何人かが慌ただしくキーボードで何やら打ち込んでいたり、相談者を説き伏せるように話をしていたり。


 前回まりあが転生した時との違いと言えば、まりあの頭上に輝く光の輪っかがない事ぐらいだった。


 自分だけ安全な場所にいるわけにはいかない。みんなの元に戻らなければ。と、周囲を見渡しても業務用冷蔵庫の金属質の扉は見つけられなかった。


 そうか。もう転生ハローワークに来てしまった以上は元の異世界には帰れないのか。


 それに自分のようにケンカの仕方も知らない人間があの場に戻ったとして、足手まとい以外の何者でもないだろう。あの騎士さん、レイノの覚悟も無駄にしてしまうかも知れない。


「あたしはどうしたらいいのさ」


 光の輪っかがない以上は、前回の転生の時のようにぴんぽーんと光って呼び出しを食らう事もないだろう。転生ハローワーク職員も転生希望者も、まるでまりあがその場にいないかのように注意も払わない。


 途方に暮れて、白い部屋の隅っこで膝を抱いて小さくうずくまっていると、パタパタと慌てて駆け寄る足音が聞こえてきた。


「ああ、いたいた。ごめんね、待った?」


 待ち合わせに遅れてきた友達がそうするような、ぽんと親し気に肩を叩かれて甲高くてややかすれた声がかけられた。まりあが泣きそうになってそっと顔を上げると、すぐ近くにお団子ヘアに赤眼鏡があった。


「生きてる人間がここに来るのなんて初めてよ。さあ、さっさと死のう!」


 ノーラだ。えっ、待って。死のう?


「いやいや、何よ、急に、ええーっ?」


 ぶるんぶるん首を横に振るまりあ。そのせいでちょっと涙がこぼれてしまう。


「ここは死者のための場所。ここで転生するか消滅するか決めるの。まりあはイレギュラーで生きたまま迷い込んじゃったから、さっさと死ぬか、ここを出て行かないと。でないと、不法滞在者処理人がやって来て、強制的に、ウフフッ」


「強制的にってキーワードで笑っちゃうってやばいよ、ノーラ」


「いいから。とにかく早くここからいなくならないと」


 ノーラがぐいっとまりあの手を引っ張って立たせる。


「でもあたし、みんなが戦ってるってのに、あたしだけ安全な場所に逃げるなんて」


「ここは時に作用されない場所なの。ここにいるって事は、もうあの時もその時もなしよ。何十年も経ってるかも知れないし、まだ何年も先の出来事かも知れないし」


「でもでも、ノーラなら何とか出来るんでしょ?」


「うっせえな。まりあはそんなわがまま言う子じゃなかったでしょ」


 ノーラは笑顔のままスーツの内ポケットからまだ光っていない白い輪っかを取り出して、問答無用とばかりにまりあの頭上にセットした。あっ、とまりあが抵抗しようとしたが、もう遅い。ノーラは慣れた手付きで一枚の光ディスクをくるりと回して見せ、ぱくんと開いたまりあの頭上に光る輪っかにディスクを乗せた。


「強制理解装置、オンッ!」


「ひゃんっ!」


 で、まりあは気が付いたら自分のアパートのベッドに横たわっていたのである。




 『ブリリアント・ストーリーズ・オンライン』のサービス再開に至って、過労死して異世界転生を遂げた宗馬の代わりに何人かのスタッフを募集した訳だが、その中の一人にまりあはどこかで出会った事があるような、気になる新人がいた。


「あ、まりあさん、新しいモンスターのデザイン画まとめました」


 その小柄な姿はまるで女子中学生のようで、くりくりとした天然パーマの髪色は栗色、肌は病弱かと思えるほどに青白く、いつもおどおどとして瞳をふるふると震わせている新人だ。名前は凛々子と言った。


「はい、ご苦労様。九時には仕上げるとか言ってたのに、まだ七時じゃない。さすがにリリコは仕事が速い」


 凛々子はビクッと身体を震わせて、一歩二歩と後ずさって言った。


「あ、別に早く帰りたいから急いで仕上げたんじゃないですよ」


「大丈夫、解ってるって」


 どうにも凛々子は被害者意識と言うか、後ろめたい発言が多い。モンスターデザインに関してはまさに天才的な能力を発揮しているって言うのに、その控え目過ぎる性格は何とももったいないな、とまりあは思った。


 そういえば、異世界で宗馬さんがこき使っていた悪魔っ子がこんな感じの子だったっけ。まりあは懐かしさすら覚えた。


「さあ、早く終わったんだから、もう帰って寝ておきなさい」


「あ、え、いいんですか?」


「いいよ。もう朝の七時だもんね。十五時に出社すればいいから、お風呂入って寝ちゃいなさい」


 窓の外からさんさんと朝陽が眩しく差し込んでいる。午前九時には終わるかと思っていたが、凛々子のおかげで少しはゆっくり眠れそうだ。社畜の朝は早い。と言っても朝になったら眠るのだが。


「あ、はい、では、お先に失礼します」


「はい、気を付けて帰ってね。パンの耳ラスク作って持ってくるから」


 さて、と。あたしもいったん帰ろうか。まりあは椅子の背もたれに身体を預けてうーんっと伸びをして、逆さまに見える窓の外の風景を見つめた。


 宗馬さんは今どこで何をしてるのかな。またどこか異世界に転生でもしたのか。


 そういえば。転生と言えば、最近になってプレイヤー達の中で噂になっているNPCがいるのを思い出した。やたら意識の高い発言が目立つNPCで、かなり高度な人工知能か、運営陣の誰かが操作しているんじゃないか、何者かがゲーム内に転生したのではないかと言われてるキャラクターだ。


 まりあ自身そんな意識高い系NPCも人工知能もデザインした記憶はなく、ゲーム中でまだ出会った事もないのだが。


 そのもふもふとしたオレンジ色の毛並みのオークは、NPCネームを何て言ったっけ?

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