社畜 VS 魔王
「曜市! 援軍よ! さっさとその化け物ムカデ片付けて悪魔っ子を確保しなさい!」
ノーラの甲高いハスキーボイスが騒乱のコロシアムの空気を切り裂いて曜市の耳に飛び込んだ。巨大ムカデ戦士の尻尾に組み付いて、しかし身体の大きさに負けてズルズルと引きずられていた曜市はハッと顔を上げた。
扉が開け放たれた業務用大型冷蔵庫の側に腕を組んで仁王立ちしているスーツ姿のノーラがいる。その後ろに隠れるように小さくなっているまりあ。援軍って言ったか? どこに? そして、誰が?
「援軍って、誰か来るのか?」
悪魔っ子のミッチェとリリはまた新たなクリスタルモンスターを創造していた。今度のは少量のクリスタルを使ったカラスとトカゲが混ざった雑魚的なモンスターだが、やたら数が多そうだ。次から次に生み出されている。
現状ではI.K.A.H.O.の戦闘員だけで場を制するのも厳しそうだ。アーサーはレイノに動きを止められて闘技場から出られそうにない。援軍が来るのはありがたいが、一体どこの誰が助けに来ると言うのか。
「懐かしき兄弟達との再会に咽び泣きなさい」
ノーラが声を高く宣言する。その言葉と共に、業務用冷蔵庫からのっそりと一体のオークが姿を現した。華奢なノーラの倍近くもありそうな体躯を窮屈そうに押し曲げて冷蔵庫をくぐり抜け、もふもふとしたその全身の毛はちゃんとリンスしてくれるシャンプーの香りを放ち、巨大なプードルみたいな顔付きで白いベレー帽とスカーフを意識高そうに斜めに着こなして、もふもふオークは野太い雄叫びを上げた。
しかもその雄叫びは一体だけのものではなかった。幾重にも幾重にも積み重なり、轟音と化してコロシアムを震わせ、その場にいるすべての視線と意識を掻き集めた。
「あのオークは……!」
曜市にはわかった。それともう一人、アーサーも直感的に理解できた。あのオークは転生者だ。ノーラがこの異世界へ派遣した転生者だ。その魂は、ともに過ごした時間はとても短いものだったが、広い海に生まれて一緒に泳いだマンボウだ。東尋坊のマンボウ達だ。
「さあ、キングマンボウと呼ばれた偉大なる王の兄弟達よ! 再びこの異世界の地で王と共に戦え!」
ノーラが叫ぶ。雄叫びは未だ止まず。業務用冷蔵庫から次の腕が伸びた。
「兄弟達! この世界のオークに転生したのか!」
曜市はあの広い海でマンボウの王として生きていた時間を思い出した。弱肉強食の世界を生き抜くためにマンボウ達に高い意識を植え付け、世界のルールを変えたあの栄光の時間をともに過ごした兄弟達と再び一緒に戦える。こんなに喜ばしく誇らしい事はあるか! いや、ない!
「あいつら全部元マンボウかよ。あれ全部がこっちの世界に来たってのか」
アーサーにとってはついさっきの出来事だ。ノーラに転生させられる時、アーサーの後ろに白い影達がずらりと並んでいたが、それらはすべてマンボウ達だったのだ。そしてノーラの手にかかり、この世界で新しい人生を、オーク生を謳歌すべくやって来たのだ。
業務用冷蔵庫から次々と雄叫びを上げるオーク達が躍り出て来た。異種族間安全保障機構の白いベレー帽とスカーフをまとい、それぞれ筋肉の塊のような腕に思い思いの武器を持ち、強固な肉体にさらに革の鎧を装備し、もふもふの体毛を震わせて冷蔵庫から飛び出してくる。
「意識高い系マンボウの早期転生希望者、その数108体! 曜市、使いこなしなさい!」
ノーラが軍師のごとくに腕を振るう。108体の巨体オーク達は闘技場に一気に雪崩れ込んだ。
「早期退職希望者みたく言わないでよ」
曜市はいったんムカデ戦士の尻尾を放し、ざざっとバックステップで距離を置いて場の状況を確認する。
ムカデ戦士は数多くの手に持った剣と盾とで逃げ惑う一般冒険者達を薙ぎ払いながらまりあへ向かって突き進み、悪魔っ子ミッチェとリリによって産み落とされているカラストカゲは鋭い爪で冒険者達を追い立てていた。
ノーラとまりあを取り囲んでいた冒険者達も散り散りに逃げ出し、今や彼女らはコロシアム観客席最上段にぽつんと取り残されている。そこへ業務用大型冷蔵庫から飛び出して来たもふもふのオーク達が108体、完全武装でいつでも戦える。当然高い意識を持っているはずだ。
闘技場ではアーサーとレイノがお互いのSレアアイテムをぶつけ合い、文字通り火花を散らして戦っている。豊富なガチャアイテムに恵まれたレイノが力で押せば、身体能力に勝るアーサーが技で押し返し、その決着はすぐにはつきそうにない。
さあ、どうする? 灰谷曜市。オークの王は自身に問うた。目指すオークの高みに到達するためには何をすべきか。
「場を制圧するぞ、兄弟達!」
コントロールだ。世界を支配し、そこに規則正しい秩序をもたらすためには場をコントロールする力が必要だ。
「東尋坊でのパフォーマンスを思い出せ! ラインフォーメーション!」
元マンボウである白ベレー帽をかぶったオーク達は曜市の号令にピシャリと叩かれたように反応した。マンボウ時代には東尋坊を訪れた観光客相手によくフォーメーションを組んで泳ぐ練習をしたものだ。
「ライン、トリプル!」
手持ちの武器を胸に掲げて、オーク達は足音も揃った脚さばきで一糸乱れぬ三列縦隊を作り出した。
「最前列の3人はアーサーくんの補佐へ回れ! 最後尾の3人はノーラとまりあさんの保護だ!」
「了解であります!」
オーク達は声を揃えて元マンボウの王の命令に従う。
「右翼列は観客の誘導を! 怪我人を優先的に屋外へ避難させろ! 左翼列はカラストカゲどもの鎮圧だ! 一匹たりとも逃すな、叩き潰せ!」
「はい、直ちに!」
三列縦隊の右翼列と左翼列が渡り鳥が列をなして飛ぶようにコロシアム内に拡がっていった。
「残った中央列のみんなは僕とともに戦え! このムカデ戦士を制圧する!」
「はい、喜んで!」
だだっ広い空間は暗闇に包まれて、スポットライトを浴びるように光の舞台がぽつんとあり、そこに大きな箱が置いてある。周囲は冷たい岩肌に囲まれて、目の届く範囲には何の動きもない。まったくの静寂の世界だ。
「ロシア製の個人用核シェルターだ」
宗馬が一つのモニターを指して言った。ソロモンはその大きな箱が映ったモニターを眺めながら、足を組換えて、背もたれに身体をもたれかけて溜息をついた。安っぽい回転椅子がぎしりと鳴いた。
「つまり、解りやすく言うと?」
「ロシアってのは武力によって世論を支配するような大国だ。核シェルターってのは、効果範囲内の物をすべて焼き尽くし、その後10年以上も草木一本も生えない土地にしてしまうような兵器から身を守る居住用の箱だ」
「最悪な兵器を持つ大国が自分だけは助かろうと作り出したとてつもなく頑丈な箱だって事は解りましたよ」
ソロモンがやれやれと首を振る。この宮原宗馬と言う異世界人はやたら面倒くさい言い回しをする。しかも、こちらの理解度を試すかのようにすべてを言い表さない。
「頑丈なだけじゃない。箱の中は世界中のどこよりも安全なんだ。それが地上と繋がっていない密閉された洞穴に設置されている。そしてあの洞穴の場所は自分も知らない。リリだけが行き来出来る。これがどう言う意味か解るか?」
宗馬は頭上にぼんやりと光を放つ天使の輪っかを気にしながら言った。むんずと無造作に掴んで引っ張ってみるも、光の輪は宗馬の頭から決して離れない。
「完全なる監禁、ですかね」
ソロモンはマグカップを口に運び、底に溜まったぬるいコーヒーを飲み干した。
「言っておきますが、その強制理解装置は被験者の手では絶対に外れませんよ」
「だろうな。勝手に外せたら転生ハローワークの意味がなくなる」
宗馬もマグカップを傾ける。溶け残った砂糖のじゃりっとした触感を唇で味わい、ピンっと光の輪っかを指で一つ弾いてソロモンに向き直った。
「そう、そうだな。完璧な監禁だ。おまえが望む魔王は、今は名もなき少女の中に居座り、あのシェルターで眠り続けている。誰も起こせないし、仮に目覚めたとしてもシェルターから出る事は出来ない」
「あの洞穴がどこにあるか誰も知らない以上、魔王なんて存在しないも同然ですね」
「それが自分に託された仕事だからな。このダンジョンの運営も然り、魔王の管理も然り。そして仕事を続けるためには、魔王にはあの状態のまま在り続けてもらわなくては困るのだ」
「困る? ただの仕事でしょう?」
ソロモンが眉をしかめて裏返った声を上げた。宗馬も同様に眉間にしわを寄せて返す。
「すべての社会人にとって会社は忠誠を誓うべき絶対的な存在だ。そして会社とは仕事を適切に処理して運営されるものである。すなわちすべての社会人にとって仕事は必要不可欠であり、命よりも優先される最重要事項なのだ」
宗馬はどんっと言い切った。
「あなたの世界の仕事観は理解の範疇を越えてますね。ぶっ飛んでます」
「そいつの言う事をまともに受け取ってはダメ。そいつは社畜って呼ばれる特殊なカテゴリーに属するイキモノなの」
突然現れた第三の甲高い声にソロモンも宗馬も驚いて振り返った。モニターが明滅するコントロールルームに、いつの間にかお団子ヘアのシルエットが佇んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます