まりあはマリアを想う その1


 端本まりあの武器は記憶だ。


 仕事上、占いだとか心霊だとか、そんないかにもな眉唾系雑誌にも目を通している。その手の雑誌でもしばしば見られるテーマに前世の記憶と言うのがある。


 生まれ変わり。転生。人の魂は時を越えて繋がっていく。その接続の記憶。連綿と続く魂の物語。


 はあ? なんでそんな都合良く過去の人間ばっかりなのさ。


 まりあは思う。時間と言うものは上から下に落ちる細い滝のように不可逆な流れを持っている訳ではない。上下どころか前後左右に交差し、ねじれ、歪み、ありとあらゆる角度を作って常に移動している平面だ。


 前世の記憶物語。そこに書かれているのはすべて嘘だ。デタラメだ。創作だ。


 前世が人間とは限らない。過去だとも限らない。異世界の異形の生き物だってあり得る。


 まりあには前世の記憶があった。それはダイレクトなものであり、夕べ見た夢よりも鮮明で、あまりにも現実的なものなのだ。


 まりあの前世は異世界の女騎士マリア・フリオンだ。乾き切った豆が浮いた塩のスープを啜る毎日の可哀想な貧乏騎士だった。


 まりあはその前世の記憶を、マリアの物語を誰かに伝えたいと子供の頃からずっと思っていた。マリアを絵に描き、彼女の言葉をノートに綴り、騎士達が生きた世界を一本の叙述詩としてまとめていた。


 その五感で感じ取れるような精密なデッサンと感情豊かに書き上げられた異世界の騎士達のリアルな生き様の物語は高く評価され、まりあは小さいながらも新進のゲーム制作会社に就職し、ゲームのグラフィックデザインを任されるまでになった。


 MMORPG『ブリリアント・ストーリーズ・オンライン』の追加シナリオ第二弾『ゴッド・スピード・エピソード』は異世界の女騎士マリア・フリオンの物語だ。


 ようやくここまでたどり着いたよ。まりあはマリアを想った。ゲームの中でだけど、美味しいものいっぱい食べさせてあげるからね、マリア。




 きゅるる。


 腹が鳴った。ゲームの中とは言え、食べ物のグラフィックにちょっと気合いを入れ過ぎたか、まりあは自分で描いたラーメンのグラフィックに腹を鳴らしてしまった。


 ちらり、腕時計を見る。細い手首に大き過ぎる文字盤はぐるっと回ってあっちの方を向いていた。手首を捻って時間を確認。八時ちょっと前だ。


 もう八時か。そりゃお腹も鳴るはずだ。


 作業場を見回しても誰もいない。ただ一人、ゲームディレクター、開発主任の宮原宗馬を除いて。


「宗馬さん、あたしお腹が空きました。もう帰ってもいいですか?」


 まりあはストレートに言った。宗馬に対して小細工は効かない。いつでも直球勝負だ。宗馬は直球には直球で返してくれる上司だ。


「おう、もうこんな時間か」


 宗馬も腕時計を確認して言った。


「いいぞ。帰って眠っておけ。まだまだ先は長いんだ」


 ゲームの大型アップデートはもう告知済みだ。今更締め切りを先延ばしなんて出来やしない。それでも、寝不足で作業するよりは一旦帰宅してしっかり睡眠を取った方が作業効率はいいはずだ。


「はい、お疲れっした」


 上司の気が変わらないうちに姿を消してしまおう。仕事大好き人間の宗馬はきっとこのままずっと作業場に居座り続けるだろう。その巻き添えを食えば、食事も睡眠もままならない。


 まりあは椅子にかけていた上着を引っ掴み、デスクの足元に転がしておいたバッグを脚に引っ掛けて立ち上がった。


 そのまま宗馬のいる方を見ないでサイドステップを効かせてオフィスを出る。


 よし、呼び止められないで一発で脱出成功だ。さっさとうちに帰って、ごはん食べて、寝てしまおう。お風呂は後回しでいい。騎士時代も身を清めるよりも空腹を満たす方を優先させていたし。そして適当な時間にまた出社すればいい。


 オフィスビルを出ると、朝陽が眩しかった。今日もいい天気になりそうだ。あ、お洗濯しなきゃもう着るものがなくなるわ。そうだ、パン屋にも寄らなきゃ。


 そしてまりあは、さんさんと降り注ぐ朝陽の中にこっちをじいっと見つめる一人の女の姿を見つけた。赤眼鏡に赤いネクタイが黒いスーツスタイルにとても目立っている。


 まりあと視線が合い、ぺこりと頭を下げる赤眼鏡の女。頭のてっぺんで結んだお団子ヘアがもっさりと揺れた。


 まりあは一目見て解った。あの赤眼鏡は転生ハローワークの、あたしをこの食べ物がいっぱいの異世界へ転生させてくれたあいつ。


「ノーラ!」


「まりあ! 覚えててくれた?」


 ノーラの顔に自然と笑顔が咲いた。転生ハローワーク職員をやってて、一番嬉しい瞬間だ。転生者が自分を覚えていてくれる。こんなに誇らしい気持ちになる時はない。


「忘れるはずないでしょ? 豆が浮いた塩のスープを分け合った仲じゃないの」


「誰だそいつは」


「ウソよ。あたしの新しい人生を決めた一杯のラーメン。忘れないよ、ノーラ。味もビジュアルも衝撃的だった。今でもあの店に月一で通ってるよ」


 月一は行き過ぎだ、とつっこみたいがぐっとこらえるノーラ。まりあはノーラの両手を取ってぎゅうっと握りしめた。


「こんなとこでどうしたの? ノーラも死んだの? 転生したの?」


 いやいや勝手に殺さないで。転生ハロワ職員は物理的に不死身なの。


「まりあが元気にしてるか様子を見に来たの。聞くまでもないけど、どう、幸せに生きてる?」


「そりゃあもう、毎日が美味しくてハッピーよ」


「それはよかった、って、何で朝八時に会社帰りなのさ。こっちは夕べの夜八時から待ってたわ!」


「八時に朝も夜もないよ。八時は八時。今日は八時まで仕事するって決めてたし」


 さすがは宗馬。あなたの可愛い部下も立派な社畜に成長してるわ。


 朝陽がオフィスビルの窓ガラスに乱反射してキラキラと眩しい爽やかな世界で、きゃっきゃと手を握り合う二人の女。一人は外国人風のノーラ。一人はハーフのまりあ。ちょっと目立ち過ぎるか。


「ねえ、まりあ。仕事上がりで疲れてるとこ悪いけど、どこか寄らない? お茶しながらお喋りしたいな」


「うん。すぐそこに美味しいラーメン屋あるよ」


「朝八時からハイカロリーはちょっと」


「もう背脂チャッチャッ系で濃いよ」


「私がしたいチャはそのチャじゃないの」


 まりあがきゅっと眉をしかめて、それでもどこか楽し気に言う。


「相変わらずいちいち言い返してくるのね。じゃあ、あたしんちに来ない? ちょうど食材を買って、スタッフみんなの分もごはん作ろうとしてたとこなの」

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