宮原宗馬の場合 その3
ここは薄ら寒いな。
宗馬は不意に気付いた。ここは、つい今さっきまでいた転生ハローワークではない。陰気に薄暗く、どこかカビ臭さが渦巻いているようで、じっとりと粘りがある冷たい空気で満たされている。
ああ、そうだ。ダンジョン管理人とやらに転職したんだったな。いや、転生だったか。
「……誰か、いるのか?」
宗馬は薄闇から染み出るように近付いて来る人影を見つけた。
「あ、あの、どちら様ですか?」
おずおずと、その小さな人影は震える声で言った。宗馬は反射的にスーツの胸ポケットの辺りに手を伸ばした。ある。ポケットがある。ちゃんと愛用のアオヤマのスーツを着ているし、お気に入りのディーゼルの腕時計もしている。てっきりあの白い患者着のままだと思っていた。ハローワークの赤眼鏡の女め、なかなか気が利くじゃないか。
「あ、どうかしましたか?」
小さな人影は宗馬の胸ポケットをまさぐる動きにビクッとなって、小さな声がますます消え去りそうになってしまう。
「いえ、すみません。申し遅れました。自分は宮原宗馬と申します」
スーツの胸ポケットから名刺ケースを取り出し、前職の下請けゲーム制作会社の物だが、その怯える小柄な人影へ丁寧に一枚差し出した。
「この度はダンジョンの管理、及び運営を担当する人員を募集されている件で、ぜひその詳細をお聞きしたいと思いまして参りました。お忙しいところ申し訳ありませんが、ご担当の方はお手隙でございますでしょうか?」
「あ、はい。ご丁寧にどうも」
宗馬は目の前の小柄な人影が少女のような顔立ちをしているのにようやく気が付いた。大きくてつり上がった猫のような瞳は金色で、その肌はツヤのある薄紫色、こめかみの部分にちょんと小さな角が一対ある。それほど露出度の高くない出来損ないのバレリーナのような格好をしていて、どこから見ても普通の少女ではなかった。
なるほど、これはファンタジーだな。宗馬は素直に思った。
「あ、まさかこんなに早く召喚が成功するなんて思ってなかったので、ごめんなさい、びっくりしちゃって。私はリリと言います。私があなたを、ソーマさんを召喚しました」
「召喚?」
「あ、はい。あの、……はい」
転生ではなかったのか? しかしまあ、記憶、経験、能力、年齢とすべてを引き継いで転生するとなると、特に年齢的な意味合いで色々と齟齬が生じそうだ。この召喚と言うシステムの方が何かと都合がいいんだろう。宗馬は深く考えるのはやめて、リリに訊ねた。
「それででして、現在までのこのダンジョンの運営方針と言いましょうか、クライアントである魔王様のシステム上のご希望な点などがあればお伺いしたいのですが、今、お時間よろしいでしょうか?」
「あ、その、魔王様は数日に一度目を覚ますかどうかで、今は覚醒を待っている状態でお話は出来ません。私で良ければ、お話させていただきますが」
「では、自分は採用と言う事でいいんですか?」
「あ、そうですね。そんな言葉を借りれば、採用ですね、はい」
よし。宗馬は心の中でガッツポーズをとる。再就職決定だ。これで明日からの飯の心配はいらない。死んでもまた働ける。
「あ、もう魔法陣から出ても大丈夫ですよ」
宗馬の足元には、確かにファンタジー系ゲームや漫画でよく見かける、謎の言語で方程式のようなものが立体的にびっしりと書き綴られていた。
ふと、宗馬は床の材質が天然の洞窟のような土塊ではなく、ヨーロッパの古城などでよく見られるタイル張りのような切り出した石で敷き詰められているのに気付いた。
「ダンジョンと言われましたが、ここは洞窟ではないんですか?」
「あ、はい。私達は打ち捨てられた古い教会と、その地下墓地に魔王様を匿いました。思っていたよりもかなり大規模な地下墓地で、隠れるにはちょうどいいダンジョンとなってます」
リリが壁にかけられた今にも燃え尽きそうなロウソクから燭台へ火を移しながら言う。
「あ、こちらへどうぞ。まずは何か飲み物でも用意しますね」
何をふざけたことを。宗馬は思わず一喝しそうになった。飲んでる場合か。こんなカタコンベごときじゃすぐに攻略されて、魔王を倒されてダンジョンクリアー。また職を失ってしまう。
「勇者とやらは頻繁に攻撃を仕掛けてくるものなのですか?」
「あ、いいえ。魔王様は今はまだ覚醒されていません。なので、宿主の人間もまったく普通の人間として生きています。私達魔族は地下墓地で人間と平和に暮らしてるって体を装って、なんとか見逃してもらってる感じですね」
「バレたら速攻で潰されますね」
「あ、はい。なので、一発逆転を狙って異世界から助っ人を召喚しようとして、そして、あなたがいらっしゃいました」
そんな他力本願でどうする。それでは完全に人任せで、自分達は何も仕事していないに等しいではないか。宗馬は召喚部屋から出て行こうとしたリリを呼び止めて、真正面から叱りつけるように言ってやった。
「そんな消極的な仕事の仕方は褒められたものじゃないな。他に、何か特別に勇者対策は?」
「あ、いえ、対策と言うか、魔王様がいるとは知らずにやって来た冒険者を撃退するための努力は日々積み重ねていますが」
「しかし、これと言った成果は出ていない、と言う訳だな」
「あ、成果は、まだ、頑張っている最中ですので、……はい」
宗馬の強い口調にますます縮こまってしまうリリ。
「努力が認められるのは学生の時分までだ。努力の跡が見られれば学校側は点数をくれる。しかし、君はすでに社会人なんだぞ」
「社会人、ですか?」
「社会に出れば努力なんて皆当たり前のようにしているんだ。他人との実力差は成果、結果でしか表せないものだ」
宗馬は腕組をして背の低いリリを上から叩きつけるように睨んだ。
「結果が出なければ、どんなに努力しても仕事をした事にはならない。解るか? 学校では点数を貰えたかしれないが、クライアントは成果のない君にいくつポイントをつけてくれるかな」
「あ、いえ」
「いえ、じゃない。仕事を依頼され、成果を出せず、クライアントにどう報告するんだ? 教えてくれ。報告するのは自分なんだぞ。部下が努力しましたが出来ませんでした、で通用すると思うか? それでクライアントは納得して報酬を支払ってくれると思うか?」
「あ、……はい。すみません」
どんどん涙声になっていくリリ。大きな金色の瞳がうるうると揺れる。宗馬はなおも口調を緩めずに続ける。
「すみません、じゃない。仕事もせずに報酬を払ってもらえるかどうかと聞いているんだ。どうした? 自分の言っている事は間違っているか?」
「あ、あの、……いいえ」
「会社として君を雇っている以上は給料を支払わなければならない。君は仕事もせずに給料を貰える訳だな。仕事もしないで食う飯は美味いか?」
リリの大きな目はついに決壊した。大粒の涙がボロボロとこぼれ出す。宗馬は声のトーンを落として、もう一歩リリに近付いて穏やかに言った。
「……大丈夫だ。我々は同じ会社に属しているんだ。一緒に仕事しているんだ。自分もちゃんと君をサポートする。君は自分の仕事をして成果を出せばいい。どうすれば成果を出せると思う?」
リリは涙をこぼしながらふるふると首を横に振った。口を真一文字に結び、宗馬をじっと見つめる。
宗馬はリリの細い肩に手を置いて、膝を曲げて目の高さを合わせて、抱きしめてやるような優しげなオーラを出して包み込んでやる。
「働こう」
リリが涙を拭って、宗馬の視線に応えるように頷いた。
「社会のため、会社のため、ともに働こう。やれるか、なんて聞かないぞ。やるんだ。一緒に頑張っていこう。自分がついている。失敗しても構わない。とにかく成果を出すんだ」
「ハイ! 私、やります! 頑張ります!」
リリが強く頷いて、ハッキリとした声で言った。その金色の瞳を見つめながら宗馬は心の中で呟いた。
よし、洗脳完了。しっかりがっつり働けよ。悪魔ッ子ちゃん。
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