第6章−[6]:人の中に巣食う鬼
「あら、お客さんかしら? 困ったわね」
「お母さん、私が出ます」
琴美はそう言うと、今し方入って来た柄の悪い四人組のところに向かって行った。
「すみません。今は準備中ですので後程またお越しください」
「はぁ? 何言ってんだ? 俺達ゃ客だぞ」
「はい。それは分かっていますが、今は準備中で店は営業してませんので」
俺の所からでは入り口付近の会話までは聞こえないのだが、何やら琴美が低姿勢で四人組に対して頭を下げているのだけははっきりと分かる。
あれ? 琴美の奴、店員らしい振る舞いもできるじゃないか。
こういう時用にちゃんと毒舌収納ボックスも持ってたんだな。
だったら常にそれを常設していればいいのに。
ひょっとして据え置き型の収納ボックスなのか?
持ち運びには耐えれらない程度の耐久性しかないとか? それってダンボール以下じゃん。
「はぁ? お前、バカじゃないのか? 客が来たんだから開けろや」
だが、当の四人組はというと。
琴美の頑張りにも関わらず一向に帰る素振りを見せようとしない。
それどころか何やら琴美に文句を言っているように見える。
って、お前らバカか? 早く帰らないと収納ボックスが壊れるだろうが。
壊れたらちゃんと回収してくれるんだろうな?
「お母様、私も行って来ましょうか?」
おぉ、やっぱり伊織先輩も耐久性に疑問がおありですか。
ですよね〜。琴美を知ってれば不安になりますよね〜。うんうん。俺には分かりますよ。
「伊織ちゃん、ありがとうね。でも喫茶店の娘たる者、これぐらい出来なきゃだしね」
ところが、琴美のお母さんは琴美の方を眺めながら優雅にそう返答した。
えっ? それ、危険じゃないですかね?
琴美ですよ? 『我こそは天下無双の毒舌にしてロリっ子』とか言っちゃいそうな奴ですよ?
放置して大丈夫ですか?
しかしまぁ、俺達がそう思ったところで、親であり店の経営者であるお母さんが口を出さない以上、第三者が出しゃ張る訳にもいかない。
伊織先輩もそう思ったのか成り行きを見守るように椅子に座り直した。
う〜ん。でも、いいのかなぁ?
本当に大丈夫だろうか? あいつらが大人しく帰ってくれればいいけど。
「お兄ちゃん、どれにするのぉ〜?」
「あ、ああ、琴音」
俺達が琴美の方を気にしていると、琴音が無邪気に問い掛けてきた。
琴音は琴美のことなど一切気にした様子もなく楽しそうにメニュー選びに専念している。
「ああ、そうだなぁ? 琴音は何がいい?」
「え〜っと………」
こいつは本当に琴美のことが気にならないのか?
それとも既に結果が見えているから気にしてないとか?
ひょっとしてその歳で悟りの境地を開いたのか? ねえ? そうなの? 琴音は仙人まで登り詰めたのか?
って、そんなわけはないか。
しかし強ち冗談とも言い切れない。確かに毎日見ていると変わったことでも普通に思えてくるしな。
うんうん。それも有り得る気がする。
「開けろと言われましても、すみませんが、今は店長もおりませんので」
「だからよぉ〜。お前、何様のつもりだ? あぁ? 客が開けろと言ってんだろうが」
「おい、雅史(まさし)。小学生相手に何舐められてんだよ。早くしろや」
「あ、剛田(ごうだ)さん、すみません」
「しょ、小学生………」
「なあ、お嬢ちゃん、俺達客なんだわ。分かるか? つべこべ言わずにさっさと席に案内しろや」
「お、お嬢ちゃん………」
「ああ? なんだ、このガキ、さっきからブツブツと………」
「どうした? ビビっておしっこでも漏らしそうなのか?」
「おいおい。店ん中でおしっこはまずいだろ。おむつしてるか?」
「あーはっはっは。おむつはねえわ〜」
「お、お前達は………」
「はぁ? なんだこのガキ! 今なんて言った!?」
「私は小学生ではない! 高校生だ!」
「「「「「!!!」」」」」
俺達が琴音に気を取られていると、その声は突然聞こえてきた。
あちゃー。とうとう収納ボックスが崩壊したか?!
やっぱりダンボール以下だわ。
これじゃあ持ち運びには耐えられないな。なんなら据え置きも難しいぞ。
とまぁ、こうなることは予想していたが、それにしても、あいつらは琴美に何を言ったんだ?
「はぁ? おい、こら、ガキ! 何言ってんだ?」
「あーはっはっは。それで高校生? 背伸びし過ぎだろ」
「おい。お嬢ちゃん、あんまり大人を舐めるなよ」
「はん! 何を言ってるのですか! あなた方の方がガキではないですか! なんですか、それで怖がらせているつもりですか?!」
先程までとは異なり双方共に声のトーンが上がっていて此処まで会話が聞こえてくる。
そして言葉の節々に『ガキ』だの『お嬢ちゃん』だのと言った単語が含まれている。
これは完全に琴美の嫌う単語だ。
どうも琴美は自分の背が低いことに異常な程のコンプレックスを抱いているようだ。
先程までいた会長さんに対してもそうだったが、身長に結び付くようなことを言われると途端に収納ボックスが崩壊しているのがその証だろう。
う〜ん。俺は小さいのも魅力だと思うけど。
しかし、こうなると誰か止めに入った方が良いんじゃないか?
「おい、こらチビ。誰がガキだ?!」
「チビとはなんですか! ガキはあなた方に決まっているでしょう!」
「おいおい。お前、俺達をガキ呼ばわりして覚悟は出来てんだろうな?」
「な、何を言ってるんですか!? お、脅しですか!?」
「俺達ゃ客だからな。ここまで虚仮にされて黙ってられねえって言ってんだよ」
「そ、それなら、や、やれるものなら、や、やってみるがいいです!」
「そうか。じゃあ、雅史、少し教えてやれや」
「ええ、そうですね。俺達に逆らったらどうなるか教えてやりますか」
俺の周りではみんなも心配そうにその光景を眺めている。
伊織先輩に至っては今にも飛び出しそうな勢いだ。
だが、琴美のお母さんはそれでも動こうとはしていない。
お母さん、まだ助けに行かないんですか?
ひょっとして琴美に少し痛い目を見させて反省させようとか思ってないですよね?
と、その時。
四人組の一人が先程まで会長さんが座っていた席に残っていた水の入ったガラスコップを手に取り。
ザァーーーーーーーー!
琴美の頭の上でそのコップをひっくり返した。
「あーはっはっは。雅史、それはいくらなんでも酷くね」
「ああ、お漏らししたみたいじゃないか。あーはっはっは」
あ〜あ。そうか。やってしまったか。
お母さん、人には痛い目を見ても譲れないものがなるんじゃないですかね?
ガタッ! ガシッ!
「お、お兄ちゃん?」
「に、新見君?」
「「「………」」」
タ、 タ、 タ、………
「はぁ? なんだ、お前は? 俺達に………」
「「「!!! はっ、はわぁ!」」」
ザァーーーーーーーー!
琴美が水を掛けられるところを見た瞬間、俺の頭の中は真っ白に染まり、気が付くと琴美に水を掛けた奴の頭に同じように水を掛けていた。
「て、てめえ! 何しやがんだ!」
ああ、そうか。俺もやってしまったのか。
どうも中学時代に培われた条件反射がこんなところで出てしまったようだ。
いや。正確には理不尽を嫌う俺の中に巣食う鬼が顔を出したという方が正しいかもしれない。
しかし一度外に出てしまった鬼はその鳴りを潜めることはい。
俺の意識はしっかりとしているのに体は俺の言うことを聞こうとはしない。
そして俺は琴美に水を掛けた奴の胸倉を掴み、そのままそいつを持ち上げた。
「うっ、ぐっ………」
持ち上げられた相手が足をジタバタさせながら踠き苦しんでいる。
その光景はしっかりと認識できる。
このまま持ち上げ続ければこいつはいつか意識を失い、そして下手をすれば………。
「がっ、がぁ………」
だが俺の体は俺の意思とは無関係に動き、相手が幾ら踠き苦しもうともそれを止めようとはしない。
「あ、あがぁ………」
俺はこの感覚を知っている。
俺は過去に2度程、自分の体なのにまるで横からそれを傍観しいるような感覚に囚われた経験がある。
1度目は、俺が中学1年生の時に60〜70km/hで走る車に撥ねられ、ボンネットの上に乗った後、車の急停車と共に前に十数メートル投げ飛ばされ地面に落ちた後も同じぐらい転がった時だ。
あの時、俺の体は俺の意思とは無関係に勝手に受け身を取っていた。
ボンネットに乗り上げた時と地面に叩きつけられた時、それとその後、勢いで地面を転げている最中に受け身を取り続けていたのを鮮明に覚えいている。
おかげで俺は左腕の肘に小さな擦り傷を負った程度で済んだのだが、その後冷静になった俺が真っ先に抱いたのがこの感覚への恐怖だった。
そして2度目は、俺が中学2年生の時。
俺がある先輩から校舎裏に呼び出された時のことだ。
俺の目の前には俺を呼び出した先輩と取り巻き二人が立っている。
取り巻きの方は俺と同じ2年生だろう。2年生のフロアで見掛けたことがある。
三対一か。
しかもこの三人は数的優位を確立した上に、ご丁寧に武器まで持っている。
取り巻きの一人はベルトらしきものを振り回していて、もう一人は手にナックルを装着し、そして先輩はというと鉄パイプ持参だ。
「お前が新見か?」
えっ? 今更?
えーーー!? それはないわー。
自分で呼び出しておいて本人確認って、遅いわー。
そんなこと聞かれても、『はい、そうです』って答え辛いだろ。
もう少し答え易い質問にしてくれないかな?
いきなり緊張感台無しだわー。
う〜ん。それにしても情け無い奴等だ。
数だけでは不安で武器まで持ち出さないと喧嘩の一つもできないのか?
こういう奴は一度相手にすると勝つまで絡んでくるのでできれば相手にしたくない。
ここは早々にお暇(いとま)させて頂いた方が良いだろう。
「え〜っと、すみません。俺、忙しいんで早く帰りたいんですけど」
「はぁ? こら新見! てめえ、ふざけてんのか?!」
俺は先輩の方に向かって喋ったのに何故か取り巻きの一人が答えてきた。
「いや。ふざけてないけど? 本当に帰りたいんだけどな」
「はぁ? 舐めてんのか!?」
「いやいや。お前の顔なんか舐めるかよ。バッチい」
「なんだ、こら!」
「おい。お前ら静かにしろ」
「は、はぁ。すみません」
おぉ、なかなかに統率が取れているじゃないか。
これが恐怖政治というやつか?
でも三人掛かりの武器持ちだけど。プー、クスクス。
「おい、新見。今の間に頭を下げるなら許してやるぞ。早く帰ってお母ちゃんのおっぱいでも飲みたいんだろ?」
う〜ん。俺の母ちゃんは乳なんか出ないけどなぁ。
って、お前の母ちゃんは出るのか? 凄いなぁ、おい!
「あはは。先輩はバカですか? おっぱいなんて出るわけないじゃないですか」
「ああ、てめえ誰に舐めた口聞いてんだよ!」
「いやいや。だって冗談にしてもおかしいだろ。おっぱいだぞ? ないない」
「はぁ? 冗談だと!」
「お前ら黙ってろ。おい、新見。随分バカにしてくれるじゃないか。だったら試してやろうか? お前の母ちゃんも女だろ?」
「「あーはっはっは。それはいいですねぇ」」
「はぁ? 今、なんて言った?」
「ああ、なんだ? 母ちゃんのこと言われて怒ったのか? お前、マザコンか?!」
「こいつん家、母ちゃんと二人っきりですからね」
「ああ、そうだったよな。母ちゃんが夜寂しくなった時にこいつが相手してんじゃないですか?」
「だったら俺達が試しても問題ないよな。なあ、新見!」
今思えばその一言が切っ掛けだった。
あの頃の俺は自分の能力を隠してもいなかったし、飛んで来る火の粉は振り払っていた。
だが、いつもなら相手が戦意をなくす程度に小突くだけで済んでいた。
ここまで冷酷な感情に支配されることはなかった。
それは俺を妬み恨んで喧嘩は売ってきても、その矛先はあくまで俺に向けられたものであって、俺以外に危害を及ぼうそうとする奴がいなかったからだろう。
しかしこいつは違った。ニヤけた面で俺の母に危害を加えると言ってきたのだ。
そうか。だったらこんな奴が存在していて良い訳がない。
俺がそう思った瞬間、俺の頭の中は真っ白になり、気が付くと俺は取り巻きの一人の腕を背中側に回して締め上げていた。
「は、がぁ………」
そして俺はその取り巻きの手から強引にナックルを奪い取る。
「何をしや、がっ………」
俺は両手からナックルを奪い取るとそいつを放り投げるように突き飛ばした。
それから俺は奪ったナックルを自分の手に嵌め、ナックルが使い物になるかを確かめるように両拳を打ち付け合った。
カーン!
そのナックルには外側に金属の棘のような物が付いているのだが、それが打つかり合い甲高い金属音を走らせる。
しかも俺が力一杯打ち付け合ったにも関わらず、拳を覆う部分が相当高価な衝撃吸収材で出来ているのか、俺の拳には痛みも衝撃も走ってこない。
これなら何を殴っても俺の手が傷付くことはないだろう。
俺はそれを確認した後、顔だけを先輩の方に向け先輩の顔を睨みつけた。
睨みつけると言っても俺の顔には感情と言えるものは一切ない。
無感情な視線で眺めているに過ぎない。
しかし俺の体からは抑制されることのない殺意が滲み出ていているのが自分でも分かる。
その俺に睨みつけられた先輩の顔には先程のまでの余裕の色はなく、代わりに俺の方を見ながら冷や汗を流し怯え震えている。
俺はその殺意と共にゆっくりと先輩の方に向かって歩き始めた。
まるで獣が獲物を冷静に冷淡に追い込んでいくかの如く。
ゆっくりと、ゆっくりと、静かに。
「く、くるな。くるなよ」
それに合わせるように先輩もゆっくりと後退る。
俺から視線を外せず足元を探りながら少しずつ後退る。
それも束の間、校舎の壁が先輩の後退を阻んだ。
「あ、は! あ、あ、わぁぁぁぁぁ!」
その刹那、追い詰められた先輩は持っていた鉄パイプを振り上げ、俺に向かって勢い良く振り下ろしてきた。
「ぐ、ぐぉらーーー。死ねやーーー!」
だが、残念ながらその鉄パイプが俺を捉えることはなかった。
何故なら先輩が振り下ろした腕は、俺の手によって受け止められ、そのまま俺の腕に絡め取られるように俺の脇へと収まったからだ。
そうか。殺しにきたのか。これで俺が殺しても文句は言われないか。
冷たく静かな声が俺の頭の中を横切る。
「は、離せよ。い、いでぇーーー。くっそぉ、離れろぉぉ!」
俺に腕を取られ逆関節を決められた先輩は、なんとか俺から離れようと踠き始める。
反対側の手で俺に殴り掛かり、脚で俺の脛を蹴り飛ばし、なんとか俺から離れようと踠いている。
しかし、俺に腕を取られた状態で繰り出される攻撃に威力はない。
むしろそれは俺に正当防衛という口実を与えているに過ぎない。
そう。それは自ら死への階段を登る行為に他ならない。
俺はそんな先輩の可愛い悪足掻きを軽くいなしながら、俺の脇に収まっている腕を更に締め上げた。
ミシッ!
それはまるで彼がどこまで耐えられるのかを確認しているかの如く、少しずつ、少しずつ、力が加えられていく。
ミシッ!ミシッ!
そしていよいよ先輩の腕が限界に達した時。
「ひ、い、ぎゃーーーーーー!」
その声と共に先輩が手に持っていた鉄パイプが手から零れ落ちた。
それと同時、先輩の顔から完全に血の気が引き、恐怖心だけが彼の心を支配していゆくのが伝わってくる。
武器がなくなったのがそんなに怖いか?
それとも、これから起こることに恐怖しているのか?
大丈夫ですよ。まだまだこの程度のことを恐怖とは呼びませんから。
さて、それじゃあ、これから俺のターンを始めようか。
正当防衛という名の元に。冷静に冷酷に。
怖がることなど許されない。それはお前が望んだ結末だ。
俺の中の何かがそう囁いた。
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