第2章−[5]:俺の選択肢と先生の選択肢

俺は今、昇降口の手前で、女性の体育教師に肩を掴まれ呼び止めらている。

本人曰く『偶然バッタリ出会った』とのことだがとのことだが、到底偶然だとは思えない。俺の頭の中で警報が煩いぐらいに鳴り響いている。

ここは警戒しておくに越したことはないだろう。


「どうだ、新見。学校には慣れたか?」


先生は柔かな笑顔で話しかけてきた。

垂直跳びの時の『羅生門の鬼』ような形相ではない。


「はぁ。まぁ、そうですね」


ボッチだから慣れる訳ないだろ。

それにこの高校には、天然ビッチにイジメ教師、そして置引き犯に早とちり狂暴痴女と毒舌ロリ、あとはボッチ先輩達しか居ねえだろうが。慣れたら怖いわ!

そんなことを噯気にも出さず、俺も柔かな笑顔で答えた。


「そうか、それは良かった。一生に一度の高校生活だ。満喫しないとな」

「えぇ。そうですね」


満喫?何だそれ?マン喫なら知ってるぞ。お金のない俺は行ったことないけど。

それにても、なんだこれ?至って普通の会話だぞ?

まぁ、教師だからな。それが当たり前なんだが。それに生徒を気遣うあたり、案外良いところもありそうだ。

ひょっとして、本当に俺が偶然通り掛かっただけなのか?

そんなことを考えていると、


「そういえば新見。先程の君の体力測定の記録を見せてもらったよ」

「はぁ、そうですか?」

「ああ、全ての種目で平均並みだったな」

「まぁ、俺はごく普通の高校生ですからね」


と、そんなことより、何もないなら、もうそろそろ帰りたい。


「先生、そろそろ帰りたいんで肩から手を退けてもらえますか?」


同時に肩を掴んでいる先生の手を払う仕草をする。

しかし先生は手を退けるどころか、さらに手に力を入れて肩を掴んできた。

何?少し痛いんですけど。


「しかし、君はどうも特に運動が足りてないみたいだ」

「そうですか?普通だと思うんですけどね?特にこの高校って進学校ですよね。運動不足の生徒は多いんじゃないですか?」


早く返してくれ。

俺はそんなに暇じゃないんだ。帰ってボーッとするんだから。って暇か!


「そうか?そうだなぁ。例えば、普通の高校生が100mを走ると、後半の50mの方が前半50mより速いんだよ。まぁ、余程体力がない奴は別だがな」

「???、それがどうかしたんですか?」


なんのことだ?言っていることがさっぱり分からない。


「おや?今ので分からなかったか?さっきの君の走りは明らかに後半50mの方が遅かったからな。それを言ったつもりなんだが」


揶揄かよ!難しい表現するなよ。

小学生が聞いたら分からないだろ。って、分からなかったか俺は小学生並み?

あっ、少し心に刹那さが……(泣)


あれ?でもなんで先生は俺が100m走で後半手を抜いたことを知ってるんだ?


「えっ、あっ、そうなんですか?じゃあ、俺は余程体力がないんですね。あの100m走はかなり疲れましたし」

「そうだろうな。走り幅跳びの時も途中で脚が攣ったみたいだしな」


何?何?何?こいつなんでそこまで知ってるの?


「あ、ああ……、あれは、かなり痛かったですね。参りましたよ」


おいおい!何か話の流れがおかしいぞ?!

ドンドン追い込まれてる感がハンパない。


「そうだろうな。あと垂直跳びの時は上じゃなくて、ボードに向かって飛んでしたな。それでボードに激突したんだろ?体の軸が相当ぶれてる証拠だ」

「あ、ああ……、それは…、ありますね。たまに真っ直ぐ歩いてるつもりでも道路脇の溝に嵌るんですよ。はっ、はっ、ははは(汗)」


追い込まれてる『感じ』じゃなくて、確実に追い込まれてる。

ヤバい!ヤバい!ヤバい!気が付いた時には既に囲まれるとか、こいつやっぱりイジメの天才だ。やはく脱出しないと。


「それにても、100m走で疲れてたのに、何故、その後普通に走れたんだ?走り幅跳びの後もすぐに走ってたよな。あれは気の所為だったか?それに確か君は自転車通学だったな?真っ直ぐ歩けない奴に自転車通学の許可は問題があるかもしれないな」


先生は肩を掴んでいる手に更に力を込めて言ってきた。

しかも口は笑っているのに、目が笑ってない。

いかん!これもう詰まってる。しかも職権濫用までしてきやがった。

クソッ!俺のさっきの感心返せ!少年の純情な心を弄びやがって!

ああ、鼓動がかなり早くなってきた。


「き、気のせいですよ。そ、それに真っ直ぐ歩けないといってもごく稀にです。そ、そうです…、前に真っ直ぐ歩けなくなったのは、確か……10年前ですよ。そう!10年周期なんですよ。今日がたまたまその10年周期の日だったんです」


もう言い訳がグチャグチャだ。自分でも何を言っているのか分からない。


「ほう、そうか?私の勘違いかぁ?また10年周期とは奇妙な病気だな」


先生は勝ち誇った顔をしている。

うう、この後のお説教タイムが目に見える。ついでに母のお説教も(泣)


◇◇◇


俺は今、職員室の隣の生徒相談で、先程の女教師と向い合せで座っている。

これから予想通りのお説教タイムが始まるのだ。


「さて、君とは話すのは初めてだな。君とじっくりと話す前にまずは私の自己紹介をしておこうか」


じっくりって何?そんなに話したくなんですけど…。


「私は、夏川(なつかわ) 夏美(なつみ)、女子の体育の教師をしている。それと同時に生徒指導の担当もしてるんだがな」


えっ?生徒指導?生徒を虐めるような先生が?どう考えてもあなたが指導される立場でしょ?!

どうにもこの学校の教育システムに疑問を感じてくるんだが。


「俺の自己紹介も要りますか?」

「いや。それは大丈夫だ。既に名前とクラスは知っている」

「そうですか。分かりました」

「それでは自己紹介も済んだことだし、本題に入ろうか。君は何故、ここに連れてこられたか分かってるな」

「はぁ、まぁ。先程の体力想定で手を抜いたことへのお説教ですよね」

「うむ。手を抜いたことは認めるんだな。感心だ。しかしお説教をする気はないぞ」

「えっ?お説教じゃないんですか?なら何なんですか?」

「そうだなぁ………、取り敢えず、事情聴取といったところか」


お説教と事情聴取とどう違うんだ?

お説教するにしても、結局、話を聞くんだから同じことじゃないのか?

それに下手な言い訳をしたら、どの道お説教だろ?


「では早速だが、君が何故手を抜いたのかから教えてくれるか?」


まぁ、『疲れていたから』といった回答もないではないが、先程の昇降口でのことを考えると夏川先生相手にはそれでは安直過ぎるだろう。

どう答えたものか………。


「あっ、言っておくが、既に君の中学の内申書は読ませてもらっている。隠し立ては無用だぞ」


えっ?何で?いつ読んだんだよ?体力測定の後の短時間では無理だよな。

ということは、事前に調べてたのか?ひょっとして最初から狙われてた?

そういえば、お説教ではないと言っていたが、陰湿なイジメが目的か?


「まぁ、そう警戒するな。虐めたりなんかしないから安心しろ」


クソッ!さっきから何なんだ?人の心を読みやがって。お前はエスパーか?

まぁ、ここまで入念に下調べされていることを考えると、先生の言う通り隠し立てしても無駄な気がする。


「分かりました。素直に話しますよ」

「うむ。良い心掛けだ」


そして俺は、小学校高学年から中学の頃を思い出しながら簡潔に、

・俺の母が病弱で家庭が超ビンボーであること

・超ビンボーが故に付き合いというものができず、友達が離れていったこと

・俺の高スペックが災いして、恨み嫉みを向けられたこと

・大学への進学はできないので、高スペックが必要ないこと

・喧嘩を吹っ掛けられたにも関わらず、返り討ちにしたら、俺が怒られたこと

………詳しくは、プロローグを読んでください………

などを説明した。


「なるほど。それで君は目立たぬように手を抜いたということか」


「まぁ、そういうことですね。でも、これも仕方ないことです。人なんて誰しも自分勝手なもので、自尊心を守るために自分の思いに忠実に行動する生き物ですからね。攻撃できる対象がいれば攻撃もしたくなるんでしょう。別に不思議なことでもないですし、斯く言う俺も同じですからね。それに、歴史を見ても人なんていつの時代も同じようなものですよ。ただ、時代ごとの価値観が異なるために、ものの見方と正しい事の基準が変わっているだけです。まぁ、これが最善の策ってやつですね」


「むふ。よく考えているな。しかし、攻撃するだけが人ではないからな。人のために行う行為はいつの時代も良いものだと思うぞ」


「そうかもですね。でも、それを蔑みと感じる者もいれば、迷惑だと思う者もいますしね。そういった人からすれば、行う側の自己満足って思ってると思いますけど、そういった人に対して行う側の人はどう思ってるんですかね?『何を偉そうに』だとか『素直に受け入れろ』『じゃあ、自分で何とかしろ』『後で泣きついても知らんぞ』『放っておけないから』とか自分本位なことを思ってないですかね?中には思ってない人もいるでしょうけど。まぁ、これも大概捻くれた見方だとは思いますけど、でも、時代の背景や時の権力者や思想によっては良いことと思う人が少数派だった時代もありますし、今の時代はそれを歓迎する者が多いから正しいってことじゃないですか?俺も歓迎する内の一人ですし良いことだと思いますから異論はないですけど、ただ、立場によっても違う見方があって、必ず良いものだと決めつけるのは依怗だと思いますけどね」


「なるほど。よく見ている。しかし、人間は一人では生きていけないのも事実だろ?そういった意味でも協調性というのは大事ではないか?そこから産まれる人への思いやりは大切だと思うがな」


「そうですね。俺もそれには同感ですよ。もし『俺は自分一人の力で生きている』なんて思ってる奴がいたら、アマゾンの奥地に一人で置いてきてやりたいですしね」


「うむ。アマゾンの奥地はないだろうがな。しかし、君の言っていることは間違ってはいないな。だが、君の言う『人は自分本位でありながらも、協調性は必要で、しかも全ての考えが正しい』ということを現実に適用したなら、それはあまりにも複雑怪奇な社会が出来上がってしまうとは思わないか?残念ながら人間はそこまで賢くもなければ包容力豊かでもないからな」


「そうですね。俺もそんな世の中ができるとは思いませんよ。だから多数決という判断基準があるんでしょうし、少しでも同調者を増やそうとするんでしょうから。その結果が例え理不尽で人を傷付けるものだとしても正しいとするんでしょうしね。俺が手を抜いてるのもそれが多分にありますから」


「なるほど。しかし、そこまで考えていながら、君は大きなことを見落としているな」


見落とし?えっ?見落としてるの?何を見落としてるんだ?

そりゃあ、俺も自分が正しいとは思っていない。人の考えに答えがない以上、正しいなんてものはありえない。それにもし見落としているなら受け入れるべきだ。


「えっ?見落としですか?それって何ですか?」

「そうだな。結果から言ってしまえば、多数決で決まったことでも答えは一つではないということだよ。この場合、君が手を抜くことだけが答えではないということだ」

「はぁ?」


確かに答えが一つではないということは理解できる。だからと言って他の答えがあるとも思えない。

いや。俺にお金が少しでもあれば選択肢は確実に増大する。しかし、俺にはそれがないために、同時に選択肢も与えられていないのだ。


「例えば、そうだな。君もリア充になれば良いということだよ」

「いや。そんなことができるならとっくにやってますよ」


そうだ。それができれば俺もボッチなんてやっていない。

しかし、超ビンボーな俺の場合、これはある種回避不可能な強制イベントなのだ。


「そうか?君は考え過ぎるが故に、固く考えていないかね?」

「はぁ?」


「分からんか?リア充と言っても全ての人間と親しくしている訳ではないということだ。だから仲の良い者同士でグループを組む。実際のところリア充とはそういった仲の良い者同士が集まったグループを示しているのだよ。言葉は悪いが君の言い方を借りれば、自分の同調者を得るための集団だとも言えなくもないな。そしてそれは何も現実の世界だけではない。立場上、推奨はできんがネット上でも同じことだ。ただ、それが現実の世界であれば目に見えて身近な周囲に影響力を与え易いからリア充と呼ばれているに過ぎん。まぁ、この身近な周囲というのが曲者なんだがな」


「言っていることは分かりますが、だからと言って仲の良いグループを作るのは簡単じゃないですよ。それに、できたとしても、そのグループが弱ければ、結局のところ同じことじゃないですか?」


そうなのだ。もし俺に共感できる仲間ができたとしても、そいつは俺と同様の超ビンボーな奴だろう。そんな奴は滅多に居ないし、仮に居たとしても、そんな奴等が組んだとことろで、なんの影響力もない。


「うむ。そうだな。残念だが、力の暴力や言葉の暴力は存在するし、それによる勝ち負けも存在する。同調者を得るというのは裏を返せばそういうことだ。でも、必ずしも弱い訳ではないだろ?人は一人よりも複数の方を警戒するし、攻撃もし難くなる。そしてグループに入っていることによって認めたりもする。それに、もしグループ内に一人でも力のある者が存在すれば尚のこと攻撃される機会は減るしな」


歯には歯を目には目をというやつである。

俺も飛んでくる火の粉は払うし、屈する気はない。しかしそれは理不尽なことを行使された場合の話だ。

常日頃から理不尽な攻撃を防ぐために、俺も理不尽な行為で防衛するのとは違う。それでは理不尽な行為を自分がするということになってしまう。


「まぁ、確かにそうかもですが、少し悲しい考え方ですね」

「確かにな。だが、身を守れる一つの方法ではある。それに君が手を抜くことが悲しくないことだとは思わんがな」


確かに言われる通りだ。必ずどこかには歪みが生じてしまうのは理解できる。結局、自分が何を許せるかの話なのだろう。

しかし、仮に先生の方法を選択したとしても、大きな問題が立ちはだかる。


「言われることは分かります。気に入りませんけど。ただ、さっきも言いましたが、仮にその方法を選択しするとしても、グループを作るのは容易ではないですよ。それに俺は既にボッチですし、今更、攻撃対象の俺をグループに受け入れるところはないでしょうから。大体、俺には遊びに行ったりの付き合いなんてできませんよ」


「だから君は見落としていると言っている。まぁ、私の言葉が悪かった所為もあるが、君はそもそも何か勘違いをしているようだからな」


「はぁ?勘違いですか?」


何だ?どういうことだ?さっぱり分からなくなってきた。


「そうだな。実際に君にリア充になれとも、君が思う理不尽なことをしろとも言っていない。『例えば』と言っただろう。それに、すぐに成れるものでもないしな。ただ、周りがそう思えば良いというだけだ。まぁ、教師の立場としてはこれ以上は言い難いな」


「リア充ではないのに、そう見える方法ってことですか?」


「まぁ、簡単に言えばそういうことだ。まだ分からんか?まぁ、ここから先は実際に経験した方がより理解ができるかもしれんがな」


なんだよ、その勿体付ける言い方は?分かれば苦労なんてしていない。

さっさと教えて欲しいものだ。


「すみませんが、今の俺には分からないですね」

「まあいい。ここは生徒指導者たる私が一肌脱ごう。私を信じて私の案に乗ってみたまえ」


いきなり『乗ってみたまえ』と言われても、今の状況では判断要素が少な過ぎる。

しかし、この先生が無理やり俺の考えを強制しようとしている風にも思えない。

選択肢の一つを与えようとしてくれているなら、乗っても良いのかもしれないが、それにしても判断が難しい。

ならば………、


「今の俺には想像できないですが、でもまぁ、理不尽なことをしなくて、俺が理解して納得するまで手を抜いても良いってことなら」


なんとも卑怯な方法だが、今の俺にはこの回答しかできない。


「ああ、構わんとも。経験するまでは信じられんだろうからな。では、早速だが、私に付いて来てくれるか?」

「はぁ、まぁ、乗ると言いましたからね」


そして俺と先生は生徒相談室を出た。

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