第5章−[8]:左の頬をぶたれたら
中間試験が終わってから1週間が過ぎた。
そして俺の日常は何事もなかったかのように試験前と変わらぬ日常へと戻っている。
当然、生徒会活動と弁当交換会も通常運転真っ盛りで、しかも試験明けだというのに疲れた様子もなく、むしろ以前にも増して元気だったりする。
唯一違いがあるとすれば、それは俺が5教科90点以上という課題をクリアしなかったことにより2ヶ月後に俺が生徒会を去るということくらいだろうか。
しかし、そのことは今のところ夏川先生以外は誰も知らない。
まぁ、教えていないので当然だが。
とはいえ、それも今日の放課後には知れることになる筈だ。
何故かというと、今日の午前中に全ての採点済みの答案用紙が生徒に返されていて、それに合わせ今日の午後に試験結果の上位20名が昇降口横の掲示板に張り出されるからだ。
そうなると、当然、生徒会でもこの話題が出ることは容易に想像できる。
ただ、それを知ったところで大した問題ではない。
たかだか使えない生徒が一人抜けるだけのことだ。これは必然であり、逆に今まで俺がいたことの方が不自然だったのだ。彼女達も『ふ〜ん。仕方ないね』という反応をする程度だろう。
だから冷静沈着に淡々と結果を語れるだけでいい。
それで全てが元通りだ。
『キーン コーン カーン コーン』
今日の全ての授業が終わったことを告げるベルが鳴る。
それじゃあ、俺も全てを元に戻すために生徒会室に赴くとしよう。
そして俺は鞄を肩に掛け教室を後にした。
ただし、いつもとは違うルートを通って生徒会室に向かう。
それは昇降口を経由していくためだ。
平均点を目指した俺には直接関係のない場所なのだが、今回に限っては確認しておきたいことがあるのだ。
俺が昇降口に差し掛かると、掲示板の前は多くの生徒で賑わっていた。
その中には野次馬もいるのだろうが、おそらく多くは20位内を目指している生徒なのだろう。所々から『やったー』『ああ、今回もダメだった』などの声が聞こえてくる。その光景はさながら高校入試の合格発表のようだ。
そう言う俺は野次馬組だが。
「おお、新見、お前も来たのか?」
誰かが俺の名を呼ぶ。しかし俺はその声を華麗に無視して掲示板の方に進む。
「え〜っと、新見さん? 聞こえてます? 日出君がいますよ〜」
あぁもう、ウザい! 人の前に回り込むな!
太陽が人の周りを回ってどうするんだ。それだとガリレオが困るだろうが。
「聞こえてない」
「あれぇ? 聞こえてるよね? 今返事したよね?」
「してない」
「いやいや。してるよね? って、無視するなよ。泣くぞ!」
「ほほぅ。泣け! ほら泣いてみろ!」
「やだ。泣かねぇし。絶対泣かないし!」
泣くとか泣かないとかどっちだ?
大体、そのリアクションはなんだ? お前は何を拗らせたんだ?
「はぁ、で、日没、なんか用か?」
「日没じゃないし! 日出だし!」
「ああ、もう分かったから、何の用だよ?」
「掲示板見に来たら新見がいたから声掛けただけだし」
ええい、いじけるな!
それだと俺がお前を虐めてるみたいだろうが。
俺はやられる方には耐性はあるが、やる方には耐性がないんだよ。
「で、お前は掲示板を見たのかよ?」
「まだだし」
「ええい、ウザい! ほら見るんだろうが、俺は行くぞ」
「ああ、ちょっと待ってくれよ。俺も行くから」
はぁ、どうして俺がこいつと一緒に行動しなくちゃいけないんだ。
ホントに疲れるから勘弁して欲しい。
俺と日出はちょうど空いた群衆の裂け目を潜り抜け、掲示板の前に陣取った。
そしてランキングに目を通す。
《2年生中間試験上位者名》
1位:若松(わかまつ) 双葉(ふたば)
2位:伊藤(いとう) 伊織(いおり)
…
…
…
う〜ん………。
生徒会の加入条件を聞いて予想はしていたが、改めてこうやって見るとはやり驚かされる。
だって、実態は置引犯に暴力魔だぞ。天然バカに武闘派少女が1位と2位だからな。
驚かない方がどうかしている。
「若松先輩と伊藤先輩はやっぱり凄いな」
「ああ、驚きだ」
「驚き? 驚くことはないだろ? それにしても、あれほど美人で賢くて天真爛漫な先輩が彼女だったら幸せだろうなぁ」
こいつの脳内シアターにはあれが天真爛漫と映っているのか。
やっぱりこいつの眼は節穴だな。全くもって真実を見ようとしていない。
あれは単なる天然散漫だ。
「ああ、お前の頭がな」
「えっ、新見何か言った?」
「何も言ってねぇよ」
俺は視線を掲示板に戻して今度は1年生のランキングに目を通す。
《1年生中間試験上位者名》
1位:愛澤(あいざわ) 愛衣(あい)
2位:琴平(ことひら) 琴美(ことみ)
3位:速水(はやみ) 達也(たつや)
4位:日出(ひので) 明(あきら)
…
…
…
どうしてこうも世の中は間違ってるのだろう。
今度は氷の女王と毒舌ロリが1位と2位だ。
おい、教育庁のお偉いさん。もっと人格形成に時間を取った方が良いと思いますよ。
でないと俺にみたいなボッチが強化されるから。
「ああ、速水に負けたのかぁ。いいとこいけたと思ったんだけどな」
「負けたも何も、お前の名前なんて載ってないだろ」
「えっ? 何言っているの? あるだろ。4位のとこに!」
「はぁ? あそこには日出って書いてあるだろ」
「俺の名前は日没じゃないし! 日出だし!」
おお! 俺が日没って言わなくてもツッコミやがった。
こいつの学習能力すげえ! 伊達に4位を取ってないな。
「ところで、なんで新見の名前がないの?」
「だから言っただろうが、俺は非才だって」
「えぇ?! まさか実践してるのか?………、まぁ、その方が1位が空くし、いいけど。でも、そしたら俺は実質5位ってことじゃん。それは地味に効くわぁ」
こいつの妄想癖にはつくつぐ呆れさせられる。
IF、IF、IFって、どれだけパラレルワールドが存在するんだよ。
お前はどこぞのマッドサ◯エンティストか?!そのうち我が名は鳳◯院◯真とか言い出すんじゃないだろうな。
電子レンジと携帯引っ付けるなよ。持ち運べなくなるから。
「何を訳の分からないこと言ってんだよ。結果が全てだろうが」
そう。結果が全てだ。このリストの中には当然の如く俺の名前はない。
そして俺が此処に来た目的の人物の名前もなかった。
さて、目的も果たしたし生徒会室に向かうとするか。
俺が掲示板に背を向け歩き出そうとした時、その人物の姿が目に入る。
「恵(めぐみ)残念だったね」
「恵頑張ってたのに。また、次があるよ」
「うん。ありがと」
その人物は俺が此処へ来た目的の人物でリストに名前のなかった人物、『恵那(えな) 恵(めぐみ)』だ。
既に採点済みの答案用紙は手元に帰っている。
その上で彼女が此処にいるということはそれだけの結果を得ているということだ。
ただ、残念ながら上位20名には入れなかったようだが。
「恵那さんも頑張ってたみたいだよな。まぁ、試験前の1週間だけだとリストに載るのは難しかったみたいだけど」
「ああ、そうだな。でも、頑張ったんだし良いんじゃないか」
「え、何? さっきは結果が全てって言ってなかった?」
「それとこれとは話が違うだろうが。それに………、結果も出てるしな」
「結果?」
「ああ、此処に来たってことが結果だろ」
彼女は此処にいる。それは簡単なことじゃない。
この高校が進学校であることを考えると、彼女はそれなりに勉強ができるのだと思う。
しかし上には上がいる。手が届かない存在がいる。
彼女は自分ができるが故に、その存在に劣っていることが認められなかったのだろう。
だから琴平を敵視し攻撃しようした。しかし自分より優秀な存在に直接挑んでも勝ち目はない。そこで彼女が選んだ方法は、自分が優位に立てる南條(なんじょう)を標的にし、琴美グループを蹴落とすというやり方だ。
人を引き摺り下ろすことによって自分は変わっていないのに恰も上に立ったように錯覚させてくれる。そんな簡単で手っ取り早い、自己顕示欲を満たすことだけを目的とした方法を選んだのだ。
ところが今、彼女は努力しその結果を確かめるために此処にいる。
外に下に意識を向けるのではなく、内に上に意識を向けた結果、此処にいる。
リストに載っていなくてもそれは充分な結果と言っていい。
「それって結果って言うのか?」
「はぁ? 努力できる場所があって納得できるまで努力したんなら、それは充分な結果だろうが。結果は眼に見えるものだけじゃないからな」
「………それ、新見が言う?」
「はぁ? 何が言いたんだよ?」
「いや。人のことは見えてるのに………、って、まぁ、いいや。新見だからな」
「はぁ?」
「いや。いい。それじゃあ、またな」
なんなんだ、あいつは?
俺が自分のことを分かってないみたいな言い方しやがって。
しかもいつも好き勝手言って何処かに行きやがる。
そんなことを思いながら日出の背中を追っていると、一瞬、恵那と視線が交差する。
………
「ふんっ!」
って、あれ?
今、すっごい目付きで睨まれなかった?
しかも唾を吐き捨てるように視線を切って捨てましたよね?
う〜ん。これはひょっとして俺がタゲ取っちゃた? 琴美からタゲ奪っちゃった?
やっぱりボッチのヘイト奪取は最強だよな。
仕方ない。ここは琴美貯金に貯めておいてやろう。琴美いつか返せよ。
◇◇◇
「おはようございます」
「ニット君、はっふぉー」
「ニット、はっふぉーだ」
「ニット、はっふぉーです」
「新見君、おはようございます」
「おお、新見、邪魔してるぞ」
俺が生徒会室に入ると一人だけ浮いている人物がいた。
それは例えるなら可憐に咲き誇る彼岸花の中に咲くトリカブトのようだ。
って、どっちも毒花か。
「夏川先生、どうしているんですか?」
「そう邪気にするな。私は君の味方だ」
いや。敵視はしてませんよ。敬遠はしてますけど。
「そりゃあ、意味不明なフォローありがとうございます」
「ああ。それじゃあ、新見も来たことだし結果を聞こうか」
「何の結果ですか?」
「そんなものは決まっているだろ。中間試験の結果だ」
こいつは何を言ってるんだ? 俺の結果なら知ってるだろうが。
それとも何か? 寄って集って俺を罵倒したいのか?
俺はお前らのストレス発散のためにボッチをしてるんじゃないからな。
崇高なボッチ精神を舐めるなよ。ボッチ神に謝れ!
「その前に、先ずは勝負の結果からです!」
「はぁ? 琴平、何の勝負だよ?」
「なんですか。忘れたのですか? これだからニットはバカと言われるんです」
久方振りに登場したと思ったら、初っ端から毒舌全開ですか!?
「それ、こびと平、お前が言ってるだけだけどな」
「?! ちょーっと待て! 今、『小人(こびと)』と言いましたか! なんですか! クズトの分際で喧嘩を売ってるのですか?!」
「こら、こども平、クズトって誰だ?『かずと』は碌に言えないのに『クズト』は言えるのか?」
「こ、今度は『子供(こども)』って言いましたね! 分かりました! いいでしょう! あなたがそのつもりならその喧嘩買ってやろうじゃないですか!」
よし来たか! そうは問屋が卸さない!
俺は俺の襟首を琴美に掴ませまいととっさに身構えた、のだが………、
………
琴美の手は俺の襟首を掴むことなく………、
「やっぱりカストはまだまだですね。私がそんな安い挑発に乗ると思いましたか? 残念でしたが、私は大人の階段を登ったのです」
琴美は腰に手を当て踏ん反り返ってそんなことを宣い出した。
顔が引き攣ってるけどな。相当我慢してない?
それ、階段を登ったんじゃなくて、よじ登ったんじゃないか? お前の階段がクライミングウォールに見えるぞ。
それにカストってなんだよ? ファミレスみたいになってんじゃん。
「おい。琴平、何か悪いものでも食ったのか? 何を拗らせた?」
「な、何も食ってないし、拗れせてもないわい!」
「いや。何も食わなきゃ死ぬだろ? というか背が伸びないぞ?」
「お、お前は! お前にはデリカシーがないのですかーーーーー!」
………
「………って、やっぱりぶら下がってんじゃねえか! 大人の階段はどこに行ったんだよ?」
………
「………って、照れ隠しに懸垂するなぁーーーー!」
「あはは。相変わらず楽しそうだな」
「これのどこが楽しそうなんですか?!」
「まぁ、新見、琴平も楽しみにしていたんだ。ちゃんと聞いてやれ」
こいつは知恵の輪のリベンジに燃えてただけだと思いますけどね。
それにわざわざ結果を聞かなくても勝負は決まってるでしょ。
「分かりましたよ。じゃあ、琴平、結果を言えよ」
「わ、分かれば良いのです。で、では先ず現代文からです」
「ああ。で、何点だったんだよ?」
「ははは。聞いて驚くのです。94点です! で、ニットは何点だったのですか?」
「97点だ」
「えっ? あ、いや。次です次! 次は英語1です」
「分かったから点数言え。点数」
「私の点数は92点です!」
「俺は96点だ」
「えっ? えっ? えっ? ちょっと待つのです! おかしいのです!それは絶対おかしいのです!」
「はぁ? 何がおかしいんだよ?」
「だ、だってニットは上位20名に入っていないですはないですか! そ、それなのにどうして私より点数が高いんですか?!」
確かに俺は平均点を目指した。そしてそれは叶えられている。
ただし、それは1教科ずつではなく全教科トータルでの話だ。
全教科の点数を足し、それを教科数で割った点数が各教科の平均点の平均点になっている。
簡単に言うと90点以上がある代わりにその分平均点より低い点数の教科があるのだ。
これによって上位20名には入っていない。
「俺はジェネラリストじゃなくてスペシャリストなんだよ。まぁ、得意分野と不得意分野があるようなものだな」
「そ、そうですか………?」
こいつはよく分かってないようだ。
「そ、それは、ひょっとして他の教科は点数が低いということか?」
「はぁ、まぁ、そういうことですね」
琴美の代わりに伊織先輩が質問してきた。
琴美、この察しの良さを見習え!
なんなら爪の垢を貰って煎じてやろうか? 足の親指なんかどうだ? 絶対腹壊すぞ。
「そ、そうですか………? そ、それなら、つ、次は数1です」
「ああ、俺は90点だ」
「ははは。よし! よしよしよし! そうでしょうそうでしょう!」
琴美はさっきまでとは一点、意気揚々と嬉しそうに胸を張っている。
「えっ? お前何点なんだよ?」
「私は勿論100点です!」
って、あれ? これは誤算だ。
数1は配点の低い問題がなく最低でも10点程度の問題が多かった。
だから俺は90点ギリギリを狙い、琴平も1問は間違うだろうと踏んでいた。
その結果、俺の計算では数1が同点となり勝負は引き分け。何も無かったことにする予定だったのだ。
ところが、あろう事か100点だと?
ということは…………、
「次は物理です!」
「えーっと、琴平、何点だ?」
「どうしたのですか? 怖気付きましたか? 私は95点です!」
ああ、やっぱり。
俺は現代文と英語1に点数を振った分、帳尻合わせで他の教科は低くなっている。
「俺は91点だ」
「ははは。やりました! どうですか。私の勝ちです! 参りましたか!」
クソッ! 琴美は理系が得意だとは思っていたが、数学の100点は予想外だった。
まぁ、100点を予想できていたとしても対処はできなかったけどな。
「いや、琴美君。まだ4教科だぞ? あと1教科残ってるじゃないか?」
勝ったと騒いでいる琴美に対して伊織先輩が狼狽えた様子で問い掛けてきた。
「ああ、ニットは化学の試験は受けていませんからね。聞くまでもないです」
「「「えっ?」」」
琴美の言葉で双葉先輩、伊織先輩と愛澤が驚きの顔を浮かべている。
おそらく、こいつらは今までの会話で気が付いたのだろう。
「??? 皆さん、どうしたのですか?」
琴美は本当に察しが悪い。というか理解力が乏し過ぎだろ。
「ああ、新見は化学の試験は受けてないな。私が病院に連れて行ったからな」
「「「えっ?」」」
って、夏川ちゃん? その発言は不要でしょ?!
今は試験結果の話をしてるんだから、要らないことを吹き込むな。
「ひょっとしてあの時の右手の………?」
伊織先輩が俺の右手首の包帯を横目で見ながら問い掛けている。
「ああ、そうだ。病院に着くなり手術室に運ばれて10針も縫われた」
いやいや。その言い方おかしいでしょうが。あなたが縫われた訳じゃないですからね。
「10針………。で、大丈夫なんですか?」
「新見、どうなんだ?」
「もう大丈夫ですよ。あれ以来傷は開いてませんから」
「だそうだ」
「ニット君、本当に大丈夫なの………?」
「ええ、大丈夫です」
「本当に? 本当だよね? ………もう………嘘は、やだよ………」
双葉先輩が悲しそうな顔をしている。
だから言わなくてもいいことは黙ってればいいんだ。ホントにこいつは余計なことをする。
「ええ、本当ですよ」
俺は軽く右手首を振って問題がないことをアピールした。
「よ、良かった」
だからそんな顔をするな! これは俺の自業自得だ。
「新見君、分かりました。信用します。ですが………」
愛澤が双葉先輩と伊織先輩の方を伺っている。
それに合わせて双葉先輩と伊織先輩の面持ちも神妙なものへと変わる。
「そ、そうだ、ニット! さっきの話だが、ひょっとして………」
「ええ、そうですね。残念ながら力及ばずです」
「「「………」」」
「??? 皆さん、どういうことですか?」
琴美は目紛しく変わる話題に付いてきていないようだ。
まぁ、琴美は俺が女子生徒とぶつかった現場にはいなかったので当然だが。
しかし、今の話題はそれじゃあないんだけどな。
「琴美ちゃん。新見君は90点以上が4教科しかないんですよ」
「えっ?………、どういうことですか?」
「先程、新見君はスペシャリストだから他の教科の点が低いと言ってました。それはおそらく琴美ちゃんとの対戦教科に絞ったという意味だと思います………。そうですよね?」
さすがだ。ただし、少し訂正しておく。
「それは少し違う、かな。俺の得意分野がたまたま対戦教科に合致しただけだ」
「そ、そんなことはどうでもいい。それより1教科足りないと………」
「まぁ、そういうことになりますね」
俺は当初、5教科90点以上という課題には参戦せずに全ての教科で平均点を取るつもりでいた。生徒会から離れるつもりでいた。
しかし、夏川先生や日出、双葉先輩の話が頭にこびり付いて離れなかった。
俺に望むことは許されない。望んだところで何も与えられない。だから何度も頭の中から追い払おうとした。でも、振り払おうとすればする程、それは俺の中に入り込み蝕み続けた。その結果、俺は気が付けば5教科でだけは90点以上を取ることを選択していたのだ。
だが、そんな身勝手で優柔不断で都合が良いことなど誰も許さない。そして神様も許してはくれなかった。
「でも、ニット君は怪我で試験を受けられなかったんだよね………」
「???」
「怪我なら理由もあるし、5教科でなくても4教科で良いんじゃないかな?」
こいつはバカか?!
自分が何を言っているのか分かってるのか?!
「いやいや。足りないものは足りないでしょ!」
「でも………、ニット君は化学も90点以上取るつもりだんでしょ?」
「そんなの結果ですよ。試験を受けてても取れたか分からないじゃないですか!」
「回答正解率100%の奴がよく言うな」
「えっ?それは、どういうことですか?」
「ああ、新見は間違った回答をした問題が1問もないんだよ」
「それって………」
「ああ、回答した問題は全問正解。だから回答正解率100%だ」
「「「「えーーーーー?!」」」」
だから余計なことを言うな! これ以上掻き乱すな!
「そんなの普通でしょうが。分かる問題だけ答えるのは当たり前じゃないですか!」
「そうか?」
「そうですよ!」
「でも、だったら、ニット君は90点以上取れたってことだよね?」
「それは分かる問題ならってことです。分からなければ解けませんよ」
それじゃあダメなんだ。それは俺の望むものじゃない。それだと俺は胸を張れないんだ。
「大体、そんな例外を作るべきじゃないでしょ!」
「そんなことないよ」
「そんなことありますよ。将来それで何を言われるかも分からないじゃないですか!」
そうだ。将来、内申点欲しさに90点以上が取れそうになければ風邪だと嘘を吐く奴が出てくるかもしれない。何事も悪用する奴がいる。そして、その悪用がばれた時にこの例外を作った奴が責められる。良かれと思ってやったことでも、その時々で眼に付く一方向だけを見て責め立てる。世の中そんなものだ。
そんな自己犠牲はやめてくれ………。
「双葉はそんなの気にしないよ。それよりニット君が一緒にいる方が大事だよ」
だから、頼むから、………もうやめてくれ!
それは好意でもないんでもない。単なる優しさだ。
俺は俺の傷を舐めて欲しんじゃない。そんなものはいらない。
俺の欲しいものはそんなものじゃない。
それじゃあ、ずーっと笑って一緒にいられないん、だ………。
「それだとダメなんです。これは俺が招いた俺の責任なんです。俺が知っていればあの時病院に行けたんです。化学の試験も受けれたんです」
俺はバカなのかもしれない。肩肘張って拒んで何かを投げ捨ててるだけなのかもしれない。
その結果、夏川先生のように彼女を苦しめているのかもしれない………。
それでも、やっぱり俺は譲れない………。
その時、何も言わず俺の前に椅子を持ってきた琴美がその上に立って俺に向かい合ってきた。
なんだ、琴美? 俺は今、お前に構ってやる暇は………
バチンッ!
そして琴美は無言で躊躇うことなく平手で俺の頬を打ち抜いた。
「あいあい!」「琴美君!」「琴美ちゃん!」
こいつ何をするんだ!?
俺が文句を言ってやろうと琴美の方に視線を向けると、ぶたれたのは俺の方なのに、何故か琴美の顔が苦痛に歪んでいる………。
………
「………あなたのような弱虫は………、とっとと逃げればいいです!」
「………弱虫って………、俺は逃げてないだろ」
「逃げているではないですか! 責任? なんですか、それは? 自分の所為にして逃げてるではないですか!」
「それは逃げてるとは………」
「逃げてます! 何が責任ですか! だったら此処にいてその責任を返せばいいではないですか! 返す勇気がなくて逃げてるではないですか! それともあなたは此処に居たくないのですか?!」
「それは………」
「双葉先輩は、私達は居て欲しいと言っているではないですか! なのに………、何故逃げるんですか?!」
「………」
「そんな………、そんな意気地なしは、とっとと何処かに………行けば………」
「新見、琴平にそれ以上言わせるな!」
「………」
夏川先生がとっさに琴美の言葉を遮るように声を掛けてきた。
しかし、俺は何も言葉が出ず、逆に静寂が場を支配する。
「琴平、大丈夫だ。こいつは何処にも逃げやしないよ」
「でも………」
「大丈夫だ。そもそも新見は逃げる必要もない」
「「「「「???」」」」」
「その、なんだ。新見には責任すらないんだよ」
「どういうことですか? これは俺は招いた結果ですよ」
「いや。怪我の病院代だが、若松先生に確認したところ説明していなかったようなんだよ」
「えっ? それって………」
「まぁ、そういうことだ。だから新見だけを責められんのだ」
「「「「???」」」」
夏川先生は状況を理解していないであろうメンバーに、俺が何故怪我を黙っていたのか、学校で怪我をした場合の保険について説明されていなかったことなど、試験最終日に起こった一連の流れを説明している。
「ああ。それでお姉ちゃんは試験の最終日に夜遅く落ち込んで帰ってきたんですね」
「ああ。みっちり3時間も教頭先生に絞られたからな。若松先生も三上先生も、私も魂を持って行かれた気分だったよ。今も思い出すだけで……、ふぅぁ………」
おぉ、夏川先生の口から白い靄が出てるよ! 赤鬼の魂も白いんだな。
「せ、先生、大丈夫ですか?!」
「あ、……ああ、大丈夫……だ。と、そういえば新見、君は教頭先生と知り合いなのか?」
えっ? 教頭先生?
教頭先生と言えば………、確か、俺が入学当初に出した部活新設申請の意図を見抜いた切れ者の………、俺がライバル認定した先生だった筈だ。
でも、これを知り合いとは言わないよな。
「いえ、話したこともないですよ。なんなら顔も覚えてませんから」
「顔ぐらいは覚えておけ。この学校の教頭だぞ。でも、そうか。しかし、あの怒りようは尋常じゃなかったがな。まるでモンスターペアレンツさながらだったが………」
何それ?! 教頭先生がモンスターペアレンツって、それ単なるパワーハラスメントだろ。
どうりで夏川先生でも魂が抜かれたわけだ。
「夏川先生?」
「あ、そうだったな。話が逸れてすまん。でだ、そういうことだから、今回は学校責任として4教科90点という例外を適用しても良いと考えている。新見、君はどうだ?」
どうだと言われても困る。
そもそも俺が他の教科でも90点を取っていればこんな事態は起こらなかった。
そいう意味では俺の自己責任はなくなっていない。
しかし………、
俺は琴平の方に少しだけ視線を向け。
「それなら俺も、異存はありませんよ」
そう答えた。
ああ、そうだ。
琴美にぶたれた時点で俺が選べる道は決まっていた。いや。この場合、選ぶ道は決まっていたというべきか。
「ニット君!」「ニット!」「新見君!」
「カストのくせに最初からそう言っていれば良いのです!」
「煩い! カスト言うな! こもの平」
「こ、こ、こ、こ、『小者(こもの)』とはなんですかーーーーー!」
「あはははは。やっぱり君達は楽しそうだな」
「どこが楽しそうなんですか?!」
そうは言ったものの何故か家に帰った時のような安心感が俺の心を包み込む。
俺にはまだ分からないことだらけだが、此処に居れば分かっていけるのかもと、少しの期待感を抱かせる。
「しかし、そうすると新見君と琴美ちゃんの対戦も4教科ということになるのでしょうか?」
ここで愛澤が悪戯っ子のような顔で呟いた。
「うむ。そうだな。そもそも5教科の発端は生徒会メンバーの条件が元だからな」
「えーーー?! ちょっと待ってください!」
「そうだね。ニット君の遣り甲斐を出すための勝負だったしね」
「えっ? いや、それは………」
「そうですね。なら、引き分けってことですね」
「に、ニットまで何を言ってるんですか!」
あぁ、琴美の奴、余程リベンジに燃えていたのか涙目になってやがる。
まぁ、とはいえ、こいつには嫌な思いをさせたしな………。
「でも、今回は俺にも責任はあったし、勝敗は別として1つ言うことを聞いてやるよ」
「「「えっ?」」」
「そ、それは本当ですか?!」
って、変わり身早過ぎだろ。さっきまでの泣き顔は何処に行ったんだよ。
それに勝負は引き分けのままだぞ。こいつはそれでいいのか?
「ああ」
「な、なら、今度の土曜日に、わ、私と、そ、その………、私の買い物に、付き合うの、です!」
「「「「え、えーーーーー?!」」」」
こいつはバカか!
ちょっといい顔親したら何を言い出すんだ!?
自分の物ですら碌に買ったことがない俺が、それも女子の買い物に付き合えるか!
それ、どんな拷問だよーーーーー!
「えへへ。へへ」
「新見、頑張れよ!」
煩い! お前は俺の味方じゃなかったのかよ。
ああ、やっぱり此処から逃げ出したい!
誰か俺を、異世界召喚してくれぇぇぇぇぇぇぇええええ!
第5章 −完−
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