第4章−[2]:休日も鬼門で満ち溢れている
俺は今周囲をキョロキョロと見渡しながら自転車に乗って少しずつ街中を走っている。
最近はかなり春らしさも過ぎ往き少し暖かくなってきた所為か歩道と道路の境に植え込まれている街路樹も緑が目立ち始めてきた。
冬の様相とは異なり、これが同じ道だとは思えないぐらいに街並みが明るい。
おそらく道を行き交う人の顔が明るい所為もあるのだろう。
そしてそんな春から初夏へと移り変わる陽日に当たっているとじんわりと汗が滲んでくるが、これも自転車に乗っていると爽やかな風が当たり、街並みの明るさと合い間見合ってなんとも清々しく感じられる。
俺がそんなことを考えながら走っていると、歩道で重そうな荷物を持って困っている様子のお婆さんを見掛けた。
ここは若い者としては助けないといけないだろう。
俺はそのお婆さんに近付き、
「どうされました?何かお手伝いしましょうか?」
と声を掛けた。
「あっ、すみませんね。このアタッシュケースが歩道の溝に挟まってしまって」
よく見ると道路にできた小さな亀裂にケースの駒が挟まってしまっている。
おいおい。お役所の皆さん、こういう所は直ぐに補修して頂かないとこうやって困られるお年寄りが増えますよ。まぁ、ビンボーで税金を大して納めてない俺が言えないけど。
「それじゃあ、手伝いますよ」
俺はアタッシュケースの底を持つと駒が壊れないように丁寧にアタッシュケースを引き上げ亀裂から駒を外して、亀裂のない歩道部分にアタッシュケースを下ろす。
それにしても小さめのアタッシュケースとはいえかなりの重量があったのだが、何が入っているのだろうか?アタッシュケースだから旅行用品だろうか?もし着替えだとしたら数日分はありそうだ。まぁ、今日はゴールデンウィークの最終日なので、何処かに旅行にでも行った帰りなのかもしれないな。
「ありがとうございます」
「いえいえ、こういった溝には気を付けてくださいね」
俺はそう言うとまた自転車に跨りその場を後にする。
えーっと、他に困っていそうな人はいないかな?
えっ?何故、俺が困っていそうな人を探しているかって?
そんなのは簡単な話だ。
って、人の不幸を喜ぶためじゃないからな!いくらボッチでもそこまで腐ってないし!
これは、これから向かう待ち合わせの目的地にできるだけ遅れて着きたいがために他ならない。というか、できることなら行きたくないまである。
ところがボッチの俺には行かないという選択肢は与えられていないし、ましてやその俺が万が一にも待ち合わせに遅れてみろ?!それはもう恐ろしい事態が待ち受けていることは考えるまでもない。それこそ想像しただけで泣けてくる。
だがしかしだ!もしも俺が困っている人を助けていて遅れたということなら誰も責めることはできないだろう。しかも本当に人助けにもなるので一石二鳥だ。
これこそが俺がゴールデンウィーク中に必死に考えた完璧な作戦なのである。
そしてこの作戦を決行するために俺は目的地に行くさながら周囲をキョロキョロと見渡しながら自転車で走っているという訳だ。
まぁ、ここまで言えば大方の想像はできると思うが、ゴールデンウィーク最終日で俺が行きたくない場所といえばただ一つ。
そう!それは伊織先輩の家だ。
今日は5月5日。伊織先輩の誕生日ということで伊織先輩宅でパーティーなるものを行うそうでボッチの俺は拒否権なしの強制参加を仰せつかったのだ。
はぁ、やっぱり行きたくないよ〜。まるで死地に赴く戦士のような気分だぞ。
だって仕方ないだろぉ。ボッチ経験の長い俺は人の家に行った経験など殆どない。これだけでもハードルが高いのにそれに加えて女性の家に行くんだぞ。
棒を持たずに棒高跳びをするぐらいに高過ぎだ。飛び越えずに余裕で潜れるし!リンボーダンスにすらなってないからな。って、あれ?これハードルの比喩になってないか?
はぁ、とはいえ、そうそう困っている人っていないんだよなぁ。
もうそろそろ伊織先輩の家だというのに先程のお婆さん以外に困っている人を見掛けないし、このままでは少し遅れた程度で着いてしまう。
完璧な作戦だと思って意気揚々と家を出てきたのだが、やっぱり人の不幸を頼るのは間違いだったみたいだ。ここは素直に諦めて反省しよう。
◇◇◇
俺は今、この辺りでも一際大きな純日本風のまるでこの家だけが江戸時代からトラップしてきたかのような感じの家の前に立っている。
家の敷地を取り囲む外壁は俺の身長より高く、外壁の上には瓦が敷き詰められていて、その外壁の丁度中央辺りに木造の重厚な門がある。そしてその重厚な門の横には通用門と思しき小さな引き戸の扉もあり、そこにインターフォンという何とも門の造りにはそぐわない近代的なものが取り付けられている。
それにしてもデカい家だ。この家に比べれば俺の住んでいるアパートの一室なんて犬小屋以下にしか思えない。
いったい俺の家は幾つ入るんだろう?ひょっとしてお風呂で泳げたりするのか?もしそうならお風呂だけで俺の家よりデカいことになる。
これは水道代や光熱費だけで俺の家の1ヶ月の総支出を超えていそうだな。恐るべし伊藤家!
えーっと、此処で良いんだよな?
俺が重厚な木造りの門の横に掲げられている表札を見ると、そこには達筆な書筆で『伊藤』と書かれている。間違いなさそうだ。
俺は覚悟を決めてインターフォンのベルを鳴らす。
『ピンポーン!………、ガチャ!』
『はい。どちら様でしょうか?』
インターフォンから清楚な女性の声が聞こえてきた。
「あの〜、伊藤先輩と一緒に生徒会をさせて頂いている新見と申します」
おぉ!俺って型苦しい挨拶もできるじゃないか!偉いぞ!
『おお、ニートか。待っていたぞ。通用口から入って家の扉の所まで来てくれ』
………、な〜んだ、伊織先輩だったのか。頑張って損した気分だ。
「はい。分かりました」
俺は言われた通り通用門を潜り、飛び石の敷かれた通路を通って家の扉まで向かう。
それから扉の前で暫く待っていると伊織先輩が扉を開いて出てきた。
「ニート、よく来てくれた」
「………」
「うん?どうした?何かあったのか?」
「いえ、そのぉ………、えーっと、どうして道着なんですか?」
「ああ、これは、そのぉ……だな」
伊織先輩は何故か頬を朱に染め恥ずかしそうに下を向いてしまう。
「??? その、なんですか?」
「あ、ああ……、ニートとの練習試合が楽しみ……でだな……」
えーっと、それって純情そうな乙女モードで言うことですか?
まるで初めて海に遊びに行く子供がワクワクして前日に水着を着てしまうような感じを醸し出してますが、むしろ気合い入りまくりで俺をフルボッコにする気満々なんじゃないんですか?
「………、すみません。それじゃあ、俺はこれで帰らせてもらいます」
「あっ、ああ〜、待ってくれ〜!」
俺が丁寧にお辞儀をし踵を返そうとしたところで慌てて伊織先輩が呼び止めてきた。
いやいや。全国3位の方にそこまで気合いを入れられたら問答無用で帰るでしょ!
「新見君、今日は伊織先輩のお誕生日ですのでお付き合いして差し上げてください」
「うんうん。いおりん楽しみしてたんだよ〜」
「そうです。ニートは要りませんが、伊織先輩の誕生日プレゼントは置いて帰るべきですね」
いつしか伊織先輩の後ろには双葉先輩と愛澤と琴美までもが揃っている。
時間に厳格な彼女達のことなので遅れずに到着していて家の中にでも居たのだろう。
「おい、琴平!それは帰れと言ってるのか、帰るなと言っているのかどっちだ?」
「あ、あなたはアホですか?そ、そんなことも分からないのですか?!そ、そのぉ……、プ、プレゼントを置いてから帰れと、い、言っているのです」
「琴美ちゃん、みんなでパーティーしてからでしょ!?」
琴美の言葉に対して愛澤が言葉を発すると同時、キーーーーーーーーン!っと一瞬で場が凍り付く。怖い怖い怖い!
それにしても愛澤が他人の家でもこの空気を作り出せることには驚かされてしまうが、今はそれ以上に琴美の迅速さの方に驚かされる。先日も思ったのだが、こいつはいつの間にテレポートを身に付けたんだ?
って、だ・か・ら!俺を盾に隠れるなっ!俺も怖いんだからな!俺の母ちゃんの次ぐらいには怖いんだからな!
大体、そのテレポートを身に付ける前に愛澤を怒らせない術を身に付けろ!
「ま、まぁ……、そういうことならお邪魔させてもらいます……」
こ、今回は、し、仕方ないので、愛澤の冷気に免じて居ることにしてやろう。決して愛澤に背を向けるのが怖いわけじゃないからな!勘違いするなよ!
「ホッ、良かった。それじゃあ入ってくれ」
「はぁ、それじゃあ失礼します」
俺が伊織先輩に促されて玄関の扉から入ろうとした時、
「おい、ニート!何をしているのですか?道場はそっちではないです。こっちですよ」
「えっ?いや、玄関は此処だろ?」
「あなたは何を言っているのですか?!そこは住まいの方の玄関で道場は向こうです」
琴美が指差す方を見ると、そこには住まいとは別棟の大きな平屋の建屋が立っている。
「ちょ、ちょっと待て!それは何か?このまま先に練習試合をするって言うことか?」
おいおいおいおい!俺は5駅分も自転車で走って此処まで来たばかりだぞ?
田舎の1駅を舐めるなよ。それを5駅分もだぞ。少しは休ませてくれ。
「確かに……、伊藤先輩も道着のままでは落ち着きませんね」
「うんうん。そうだね。今日の主役が道着じゃダメだよね。やっぱり主役はエレガントじゃないとね」
「そうでしょう。そうでしょう。では道場に向かいましょう!」
えーっと、ここでも俺の意見は聞かれないんでしょうか?
それともどこかでラグりました?最近、俺の扱いがぞんざい過ぎませんかね?
って、ああ、そうですか!そうですか!ボッチに人権はないんでしたね!?将来絶対ボッチによるボッチのための政党を立ち上げてやる!ボッチだから当選しないけどな。
◇◇◇
俺達が道場に到着すると道場の上座に位置する所に綺麗な姿勢で正座する男性の人影が見える。
その男性の歳は40代ぐらいだろうか?グ◯ップラー◯牙に出てくる愚◯独◯風の強面で空手の道着とは違う合気道風の道着を着ている。
誰なんだろう?上座に座っているということはここの師範か館長に当たる人だろうか?
そして俺達が道場の敷居を潜ると、その男性は正座したままの姿勢で殺気立った眼光を俺の方に向け睨んできた。
その風貌と佇まいで睨まれると、まるで今すぐにでも飛び掛かられそうな気がしてならない。
なんだ?なんだ?チョー怖いんですけど!
………
あっ!こいつはひょっとして俺の財布を狙っているのか?
睨みを効かせて近付いてくる奴はその後獲物を壁際まで追い込むと壁ドンを喰らわせ『俺達、貧乏なんだけどお金貸してくれない?』と言ってくると聞いたことがある。
俺の財布には現在130円という大金が入っていて、これは今晩の食材分100円といざという時用の予備金30円だ。これを取られてしまうと我が家の今晩の食事がまたまたお茶漬けサラサラになってしうことになるので何としても死守しなければならない。
俺は咄嗟にズボンのポケットに入っている小銭入れを握り、それと同時にこの男性を睨み返す。
こういう時は威圧に負けたら最後根刮ぎ持って行かれてしまうからな。
………
その男性は一通り俺に眼光を飛ばすと、スクッと立ち上がり此方に向かって近付いてきた。
「君がニート君かね?噂は予々娘から聞かせてもらっているよ」
「お父様、う、う、噂などしておりません!」
えっ?お父様?伊織先輩がお父様と言ったということはこの男性は伊織先輩のお父様ってこと?
………、
全然似てねぇーーーー!野獣が妖精を産んじゃったよ!こういうのを突然変異て言うんだろな。
「あっ、伊藤先輩のお父様でしたか?いつも伊藤先輩にはお世話になってます。因みに僕の名前は新見です」
俺は日頃の感謝の意と礼儀を込めて少し仰々し目に深々と頭を下げて挨拶をした。
「ああ、礼儀正しい子だね。そんなに頭を下げなくても良いよ。これからも娘と仲良くしてやってくれ」
伊織先輩のお父様はそう言うと、右手を俺の方に差し出して握手を求めてきた。
「いえいえ、仲良くして頂きたいのは僕の方です」
俺は今度は日頃の『ニート』と『はっふぉー』のディスりを止めて仲良くして欲しいとの思いを込めて返答し、お父様の手を取り握手する。
………
痛い痛い痛い!何?なんなんですか?そんなに力を入れてこいつは俺の手を握り潰す気か?
さっきまで娘と仲良くとか言いながら眼は笑ってないし、やっぱり俺の財布を狙ってるのか?!
これだけの家を維持していくにはお金が掛かるだろうしな。130円という大金に目が眩むのも分からなくはない。
しかし俺も握力ならそれなりに自信がある。
日頃は俺の作戦のためにベールに包んではいるが、今握手している相手はお父様であって他の奴等にはどの程度力を入れたのかは分からないだろうし、それに何より130円の死守の方が優先だ。
俺は負けじとお父様の手を握り返しに掛かる。
………
おぉ!さすが空手道場をしているだけはある。俺が握り潰せないとはお父様もなかなかの握力の持ち主のようで、先程からお互い口は笑っているが眼ではバチバチと火花が飛び散るような睨み合いと握り合いを続けている。
「ニート君、なかなかやるじゃないか!?」
「新見です。僕なんてまだまだですよ」
クソッ!思った以上にしつこい奴だ。徐々に汗が滲んできたし、このままだと今日一日掌が使い物にならなくなってしまう。
俺のそんな思いを察したのか、伊織先輩が琴美を呼んで耳打ちすると同時、琴美が俺とお父様の間に割り込んできて………、
「うっ!」「うっ!」
俺とお父様はどちらからともなく掌を離しその手を股間に当てると勢い良く飛び跳ねた。ピョン!ピョン!ピョン!
おい、こらーーー!琴美!幼気な少女がそんなことをやってはいけません!
琴美は恍惚とした眼でうっとりとしているが、ひょっとして先日の伊織先輩の武道場室での制圧騒動の際に、この味を覚えてしまったんじゃないだろうな?
ダメだぞ!幼女にはまだ早いです!
あぁーーー!それにしてもこいつに手加減という言葉はないのか?!涙が出てきたぞ(泣)
お父様と俺が道場中を飛び回り一通り痛みが治まった頃、お父様は今度は道場の真ん中に正座させられ伊織先輩から説教を受けている。
今のお父様は最初に見た時とは違い背中から力が抜け落ちて丸まりなんとも情けない格好になっている。これは10才は老けたんじゃないかな?
「お父様は何をしているのですか!私との練習の前にニートの掌が潰れたらどうするのですか?!」
えっと、練習の後なら良いんでしょうか?その前提いりませんよね?
「あっ、いや、ついつい………、というか、あれは潰れんぞ?」
「何を言っているのですか?!潰れてからでは遅いのです。大体、日頃から素人相手に力を使ってはいけないと仰っているのはお父様ではありませんか!」
「いや、それだとお父さんの掌が………」
「何をバカなことを言っているのですか!?素人相手に潰れるような鍛え方はされていないでしょう!もっとマシな言い訳をしてください」
「………」
「いいですか!以後気を付けてください」
「でもなぁ………」
「分かりましたか!いいですね!」
「は、はい!………」
これは一本あったな。世の中の父親というものは娘に勝てないというが本当らしい。
そして伊織先輩はお父様への説教を終えると俺の方に向き直り、
「ニート、父が無茶をしてすまなかった」
と頭を下げてきた。
「あっ、いえ、掌は大丈夫でしたので気にしないでください………」
伊織先輩の後方から『お前は何を言ってるんだ。お前も潰しにきてただろうが。シラを切るな』的な視線が飛んでくるが、これは無視しておこう。何しろ俺は今は作戦決行中で何もできない子に成り果てているからな。
「では、そろそろ練習を始められては如何でしょう?」
「あっ、愛衣君、そうだな。忘れていたよ」
えーっと、愛澤さん?今のこの流れって、練習を飛ばしてすごーーーく自然に次に移れるシチュエーションだったと思うんですけど違ったかな?
それなのにどうして戻しちゃうかな?俺にはさっぱり分かりませんが?
クソッ!このアマ!本性は氷の魔女なんだろ?!悪魔なんだろ?!絶対そうだろ!
「ニート、それじゃあ、体操服に着替えてもらって良いか?着替えは隣の更衣室を使ってくれ。それと、念のため、この防具も一緒に付けておいてくれるか」
予め急には道着が用意できないと聞いていたので体操服は持ってきたが………
手渡された防具は、フェースマスク、胴当て、肘当て、膝当て、それに籠手と脛当てのフルセットだ。
えーっと、これって、どう見ても完全防備ですよね?
確か今日って型の練習に付き合うんですよね?俺の聞き間違えですか?
「防具ですか………?でもこれって………」
「ああ、念のためだ。万が一当たって怪我でもしたらニートのお母様に申し訳ないからな」
いやいや。そこは母はどうでも良いので俺の心配をしてください!
本当に頼みますよ。信じてますからね!
はぁ、しかしさっきの伊織先輩のお父様と言い、何故か危険な臭いしかしてこない。
どうもこの家は俺にとって鬼門以外の何物でもないようだ。こんなことなら前以て風水の本を立ち読みしとくんだったぞ。
それにしても愛澤覚えてろよ!お前が話を引き戻した恨みは絶対忘れないからな。
こうなったら琴美だけじゃなくて愛澤預金通帳も作ってやる!
あぁ、この後の展開を想像したら体操服になんて着替えたくないよ〜。
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