第5章−[6]:此方を取れば彼方が取れず
俺は今、四つ這いの格好で見知らぬ女子生徒の上に覆い被さっている。
俺の両手は丁度彼女を挟んで彼女の両肩上部辺りにあり、逆に俺の右脚は彼女の二つの脚の間に割り込むように挟まっている。
この光景を誰かが見たら校内でふしだらな行為に及ぼうとしている男女にしか見えないだろう。それ程までに境界線すれすれアウトの光景だ。
俺が何故このような状態になっているかと言うと、
4時限目終了と同時に俺はお昼の弁当交換会のために集合場所に向かっていた。
おそらくいつもの健全な状態であればこんなことにならなかったのだろうが、今日の俺はいつもと少し違っていたのだと思う。
俺の頭の中に夏川先生と日出、それに双葉先輩が代わる代わる登場して好き勝手なことを言っては消えていくのだ。
それに加えて双葉先輩の吹聴の所為でJK軍団に襲撃されたことや、双葉先輩がこの雨の中弁当を取りに帰ったことなどが頭の中を駆け巡っている。
これだけ俺の辞書にないことが重なるとさすがにきつい。
きついと言っても辛いとかではない。正確には理解できないことが不安なのだ。
俺は自己分析力には自信がある。俺は俺の中で最善の選択肢をしてるつもりだ。
しかし、彼らの行動と言動は俺のそれとは余りにも食い違っていて、俺の知る何にも当て嵌まらない。
その所為で俺はぼーっとしながら廊下を歩いてしまっていた。
そして、俺が部室棟の廊下から階段へと抜ける曲がり角を抜けた時、
ドンッ! バタン! バリンッ!
俺の下にいる女子生徒とぶつかり、その拍子で今この体制になっているという訳だ。
って、いかん! こんな分析をしている場合ではなかった!
下から顔を真っ赤にして口元に手を当て俺を凝視している恐るべしJK様がいらっしゃる。
おお、これは完全にお怒りMAXですね!
まぁそれも当然だろう。突然見知らぬ男性がぶつかってきたかと思えばそのまま押し倒しされて、その上覆い被ってきたのだ。
うん。これは明らかに通報されてもおかしくないレベルの犯罪ですよね?
ああ、これで俺の人生は終わりか。一生を暗い檻の中で暮らすのか。これならサナトリウムの方が良かったなぁ。
って、そうじゃなーーーい!
俺は咄嗟に身を起こして立ち上がる。それに合わせて彼女も身を起こした。
さすがの俺もこの状況には少し動揺してしまったようだ。
「あ、あの、すみません。ぼーっとしてて………」
「いえ、だいじょう…ぶ………、あ、あ、きゃゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!」 バタンッ!
えっ? どうして? その反応をするには遅くない?
俺はもう立ち上がってるよね?
俺の残像がまだ絡みついてました? それとも俺の後ろにリュ○クでも見えました?
俺にはバーストリ◯クもデス○ートもないですけど?
う〜ん。それにしても悲鳴だけじゃなく気まで失うとはどういうことだ?
俺ってそんなにキモい変質者に見えますかね?
それって俺の存在全否定ってやつじゃないでしょうか?
さすがの俺もここまで見事に心を折りにこられたのは初体験だ。
しかし、ここまでくるとむしろ清々しいと思えるのは何故だろう? 俺ってひょっとしてドMなの? もしかしてリア充に近付いてる?
ポトッ!ポトッ!ポトッ!
あれ? 何処からか水滴が落ちる音が聞こえてくる。しかも超至近距離から音がする。
何処かで雨漏りでもしているのだろうか? そんなに古い校舎じゃない筈だが?
って、そうじゃなーーーい!
今はそれどころじゃないな。現実逃避は程々にして、まずは彼女が無事かどうかを確かめないと。
俺は気絶した女子生徒を抱き起こそうとして右手を差し出した。
………………
あ、ああ、なるほど。そういうことか。
彼女はこれを見て悲鳴を上げて気を失ったのだ。
しかしこれは困った。これだと彼女に触れることができない。って、変な意味じゃないぞ! 気を失っている女子高生に悪戯しようとか考えてないからな! いくら俺でも本当に檻の中に入りたくないし!
「新見君、今、悲鳴が聞こえましたが何かありましたか?」
俺がどうしたものかと思案しているところにタイミング良く愛澤が駆け付けてきた。
俺は右手をブレザーの内側に入れてから愛澤の方に振り向いた。
ちゃんと伊織先輩から集合場所が伝わっていたようだ。伊織先輩のこういうところは本当に助かる。
「ああ、愛澤か。丁度いいところに来てくれた」
「………、新見君、彼女は?」
「ああ、此処で俺とぶつかってな。それで悲鳴を上げて倒れた拍子に気を失ったみたいなんだ」
「彼女は大丈夫なんですか?」
「俺も確認したいんだけどな。下手に触れない方が良いかと思ってな」
「そうですね。その方が良いかもしれませんね。確認なら私がやりますので」
「えっ? いや、そうじゃなくて。下手に起こしたりしない方が良いだろって意味だけど?」
「あ、ええ、そうですね」
俺は今、明らかに変質者扱いされた気がするんだが?
まぁ、今は時間がないのでスルーしておくが、愛澤貯金には仮記載しておくからな。
「ああ、で、愛澤携帯持ってるだろ? 悪いけど先生を呼んでくれないか? あ、それと其処に置いてある弁当を双葉先輩に渡してもらえると助かる。あと、その床の赤い絵の具の水溜りは後で俺が拭くから。それとぶつかった拍子に彼女が持っていた花瓶が割れたんだけど、後で弁償するから彼女の教室と名前を聞いといてくれるか?」
「???」
「悪い。俺はちょっと急用で行かなきゃいけないところがあるんだよ。申し訳ないけど頼まれてくれ」
俺は愛澤にそれだけ頼むと足早にその場を立ち去った。
◇◇◇
先ずは、先程女子生徒とぶつかった場所から一番遠くて人気のない水飲み場に向かう。
しかし、こういう時に限ってどの水飲み場にも人がいたりするのだ。
どうして俺はこうも運がないのだろう?
まぁ、昼休み時間なので仕方がないと言えば仕方ないのだが。
ええい。みんなには悪いがここは諦めて使わせてもらおう。
俺はその中でも一番人気がなさそうな水飲み場の蛇口を捻って水を出し手と腕を洗い始めた。
それと同時、水飲み場にいた数名の女子生徒が『きゃー、きゃー』という奇声を上げ、蒼白な顔をして何処かに逃げ去ってゆく。
う〜ん。やっぱりこうなるよね?
でも、その扱いは酷くないですかね?
新見菌は接触感染以外ではうつりませんよ? なんなら接触感染もないからね。だって接触しないし。
って、水飲み場を使っただけで俺の心を折らないで!
俺は人気のなくなった水飲み場に一人佇みながら黙々と手と腕を洗い続けた。
俺は単に赤い絵の具を落としているだけなのに。
今は春で外は雨だというのに空っ風が吹き荒ぶ。うぅ、心が痛いよ。
俺が手を洗い出してから数分、もうそろそろ良い頃だろう。
俺は水道の蛇口を閉めて自分の手と腕を眺めてみる。
うん。しっかりと新見菌も洗い流されているようだ。これなら問題ない。
完璧! ピカピカ! 我ながら良い手際だ。新見菌はこうやって駆除しましょう!
◇◇◇
「すみません。お邪魔します」
綺麗に手と腕を洗い終えた俺は保健室と書かれた部屋の扉を開けた。
「うん? どうしたの? 怪我でもした?」
今、返答してきたのは保健室の先生で、この学校でも美人で有名な先生だ。
この先生目当てに授業をサボって保健室に通う生徒もいるという噂まである。
髪はさらっとしたストレートロングでスタイル抜群。しかも羽織っている白衣はまるで彼女のために存在するかの如き似合いようだ。色に例えるなら女神色? 何色だろ?
それにしても、どうして保健室の先生ってみんな美人なんだ?
これは解明すべきラノベ高校七不思議の一つだよな。今度是非とも解明してみたい。
まぁ、俺としてはお昼休みで保健室に誰もいないことを期待していたのだが、やはり俺は運に見放されている。
「あ、いえ、そんなに大したことじゃないんですけど、少し擦り剥いてしまって」
「あら、何処を擦りむいたの? 診てあげるから診せて」
「あ、いえ、自分で出来ますから大丈夫です。すみませんが、消毒液と傷薬、それと絆創膏とできれば包帯を貸してもらえないですか?」
「包帯?」
「あ、手首を擦りむいたので動かないように念のためです」
「そう………? 分かったわ。それじゃあちょっと待っててね」
よし! ここは無事にクリア!
うん。俺って天才かもしれない! ニパッ!
そして俺はお願いした物一式を先生から受け取ると、先生には見えないように背を向け手早く処置を完了した。途中、消毒液が俺にも効くことが判明したが、それはまた別のお話で。
「すみません。ありがとうございました」
「うん。気を付けてね」
コンプリーーーート! パンパカパーーーーン! お見事!
これにて俺の急用は完了だ。
◇◇◇
急用は完了したとはいえ、まだまだやる事は残されている。
先ずは愛澤に気絶した女子高生の容態の確認だな。
それと女子生徒とぶつかった際に溢れた赤い絵の具を吹いて、それからこの女子生徒の所に謝りに行く必要もある。しかも気絶までしている相手を愛澤に任せてしまっているので、彼女達のお怒りは相当なものになっていることが予想される。自業自得とはいえ気が重い。
それに………、あの花瓶って幾らぐらいするのだろう? 何食ぐらい晩飯をお茶漬けにしたら弁償できるのだろう?
はぁ。考えるだけで気が滅入ることばかりだ。
俺がそんな憂鬱な気分で女子生徒とぶつかった場所に戻ってくると、そこには双葉先輩と伊織先輩に愛澤、それと夏川先生が俺を待っていた。
「あ、夏川先生、すみませんでした」
「ああ、ぶつかった相手を放置して何処かに行くのは感心できんな」
「はい。それは重々反省してます」
「で、何処に行っていたんだ?」
ここで隠しても保健室の先生に会っているので無駄だろう。
「ちょっと保健室に」
「そうか。気絶した相手を差し置いてか」
「そうですね。それは悪いと思ってます」
これは素直に俺が悪い。本来なら先に気絶した相手を保健室に運ぶべきだ。
分かっていたこととは言え、我ながらに釈明の余地がない。
「うむ。分かっているならしっかりと誠意を持って彼女に謝りたまえ」
「はい。分かりました。で、その気絶した彼女は……?」
「ああ、彼女なら暫くして気が付いたから体にどこも問題ないことを確認して教室に戻らせた」
「そうですか。それは良かったです。本当にすみませんでした」
「それは彼女達に言いたまえ」
俺は夏川先生の言葉で双葉先輩と伊織先輩、それと愛澤の方に体を向けると深々と頭を下げて「すみませんでした」と謝った。
しかし彼女達は何も言わず無言のまま困惑した表情で俺を眺めている。
それはそうだろう。夏川先生が言ったように俺は最低な行動をしてしまっている。
しかも自らではなく夏川先生の言葉を受けて初めて彼女達に頭を下げたのだ。
これで快く許せる奴などいないだろう。
「よし。では、もう一つ質問だが、あの赤い液体はなんだったんだね?」
俺が赤い絵の具の水溜りがあった場所を見ると、そこには既に絵の具はなく、薄っすらと跡が残っている程度にまで清掃されていた。
この4人のうちの誰かが拭き取ってくれたようだ。申し訳ない。
「あれは赤い絵の具じゃないんですか?」
「そうか? なら、その赤い絵の具は何処から出てきたんだ?」
「いや。彼女が持ってたとか?」
「あれほど大量の絵の具をか?」
「それは俺にも分からないですが………」
「彼女にも確認したが彼女は持ってなかったと言っていたが?」
「だったら割れた花瓶に入っていたとか? 花瓶の破片に赤い絵の具が付いてましたからね」
「そうか? まぁ、いいだろう」
「そうですね。分からないものを考えても仕方ないですし」
「うむ。ところで………、この右腕の包帯はどうしたんだ?」
夏川先生はそう言うと俺の右手首に巻かれた包帯の少し上辺りを掴んできた。
『うっ、ぎゃーーーーーーー!』
そ、それはやめて! さすがの俺でも涙が出ちゃうから! 擦り傷だけど涙が出るから!
「あ、ああ、さっきぶつかった時に擦り剥いたんです」
「擦り剥いた? そうか。これを治療するために保健室に行ったのかね?」
「あ、はい。そうです。大したことはないん、ですけどね」
って、お願い! もう離して!
背筋を流れる脂汗が尋常じゃなくなってきてるから!
「うむ………、どうした? 泣きそうな顔をしているが?」
「そ、そんなことはない……ですよ」
「そうか? かなり痛そうな気がするがな」
ああ、クソッ! 痛そうと思うなら離してくれ!
こいつは絶対ドSだな。典型的な苛めっ子だ。人の弱点を嗅覚で感じ取って攻めてきやがる。
しかし、これぐらいのことで俺が弱音を吐くと思うなよ。
我が家の家訓は『病は気から。人間の自然治癒力を侮るなかれ』だ!
我が家のヒーリングスキルを舐めるな!
赤い絵の具にしたって、たかだか献血2回分程度の出血だ。
サービス精神旺盛な俺にはこんなの全然大したことじゃない。
それより、もし病院に連れて行かれるようなことになれば病院代の方が我が家にとっては死活問題となる。そこに花瓶の弁償代まで加わえると我が家は一家心中真っしぐらだ。
そっちの方が泣けてくる。
痛くない! 痛くない! 痛くない!!
「いや。大丈夫ですよ。それに保健室でちゃんと治療してもらいましたから。本当に大したことはないですから」
「大したことはないのに気絶した女性を置いて行ったと?」
「それは本当に反省してます」
ああ、クソッ! この流れは完全に自爆コース以外の何物でもなくなっている。
「ニット君、本当に?」
「ニット、信用していいのか?」
「新見君、本当ですか?」
『………』
頼むからそんな眼で見ないでくれ。
これはさすがに辛い。彼女達が怒ることは分かっていたが、頭で考えるのと実際とでは全然違う。
しかし彼女達の言い分も最もだ。いや。むしろ彼女達の言い分のみが正しいと言っていい。同じ生徒会のメンバーが気絶した女子生徒を放置して自らの傷を治療しに走ったのだから不信感を抱くのも頷ける。
しかし………、
もう一度同じことが起きたら俺は間違いなく同じことをする。
俺には彼女達の期待に応えることはできない。
俺には彼女達の問い掛けに対する答えがない。
「すみません」
俺にはそう答えることしかできなかった。
「ニット君、本当に大丈夫なんだよね?」
「ニット、本当に問題ないんだな?」
「新見君、本当に擦り傷なんですよね?」
えっ? 大丈夫? 問題ない? 擦り傷?
こいつらは何を言っている? 何のことを言っている?
まさか俺の心配をしているのか?
いや。そんな筈はない。俺は人として最低のことをしたばかりだ。しかも俺は次も同じことをする。そんな奴が心配される道理などどこにもない。
大体、俺の傷のことはバレてない筈だ。
「ええ、大丈夫です。本当に反省してますから」
ああ、やっぱり俺は最低だ。
嘘の上に嘘を重ねて何重にも重なった嘘の言葉を吐くしかできない。
何が『俺だけは俺を好きでいよう』だ。どの口がそんなことを言った?!
俺は最低のクズだ。俺には自分すらも愛する資格なんかないじゃないか。
「新見、もし何かあったら私のところに来い。それが条件だ」
「分かりました………」
「よし。それと割れた花瓶だがな。弁償の必要はない。あれは学校の備品だからな」
………、あの花瓶が学校の備品?
そんな筈はない。見た目にあれ程の花瓶が備品なわけがあるか!
どうしてだ? どうしてお前は嘘をつく?
「あの花瓶が学校の備品だと言うんですか?」
「ああ、そうだ! 私が言うんだから間違いない」
ああ、クソッ! どうしてお前はそんな顔をする? どうして嘘を通そうとする?
お前の嘘は許されるのか? 俺の嘘は許されないのに。
『………』
俺はこんなにも苦しい想いをしているのに、何故、お前はそんなにもカッコ良く見える?
俺は無様な姿しか晒していないというのに………。
「そうですか………。それは助かります」
「ああ、分かればいい」
分からない。俺には何かが欠けている………。
俺はいったいどうしたらいいんだ?!
「うん。それじゃあ、今からみんなで一緒にお弁当を食べようか?」
えっ? 何を言った? またしてもこいつは…何を………。
こいつは……、俺の弁当を食べていないのか?
『キーン コーン カーン コーン』
双葉先輩が発した言葉のすぐ直後、昼休み時間終了のベルが鳴り響いた。
俺は間違いなく俺の弁当を置いて行った筈だ。
雨の中授業をサボって取りに帰るほど俺の弁当を食べたかったんじゃないのか?
わざわざ父親のところにまで交換しに行ったんじゃないのか?
それなのにどうして食べてない?
俺にはさっぱり分からない。こいつらの行動原理が全く理解できない。
俺には何が足りないんだ? 俺はどうれば理解できるようになる?
いや。違う。理解なんてする必要はない筈だ。俺は常に一人なのだから。俺には資格がないのだから。
なのに、どうしてこうも不安になる?
どうして理解できないことがこんなに不安になるんだ………。
◇◇◇
時間というのは無情にも過ぎてゆく。
俺の感情など、俺の不安などどこ吹く風とばかりに置き去りにして過ぎてゆく。
そしていよいよ今日から中間試験が始まるのだ。
俺の参戦しない中間試験が………。
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