萌えは発達を促す(かもしれない)

 私がボーカロイドを知ったのは、2008年の秋だった。

 大学の先輩が「悪ノ」シリーズにはまっていて、日記で熱烈に紹介していたのだ。

 けれどもまだその時は、ふーんと聞き流す程度だった。



 歌うのは好きだが聞くのは興味ない、というのが私の20数年のスタンスだった。


 カラオケは好きだが、歌うために曲を覚えるというのも、友人がCDを貸してくれるというのも、少しストレスを感じていた。


 いつの頃からかわからないが、私は歌詞表示なしに曲を聞くことができなかったからだ。



 幼い頃は、音痴な祖母の歌を完コピして歌えるほど耳がよかったらしい。


 しかし年を経て中学くらいには、私はもう歌われるメロディをある程度しか覚えておけなかった。飛んでいる音を脳内補完するせいで、友人には首をかしげられたし、カラオケの点数も低かった。


 高校の頃には、ステレオの前で歌詞カードと首っ引きにならなければ、どの曲を聞いたのかさえ覚えていないほどになっていた。



 不思議と、カラオケで歌詞を見ながら誰かの歌うのを聞いていれば、その曲を覚えることができた。


 おそらくその頃の私は、聞こえる雑多な音から歌詞だけを抜き出す能力が低かったのだろう。


 今でもざわめく場所で声をかけられると、自分のことかどうかわからなくて混乱することがある。カクテルパーティ効果が発揮されないのである。



 歌というのは、言葉の上にさまざまな非言語要素が重なっているものだ。

 しかしその頃の私にとっては、歌は抑揚のついた朗読と大差なかった。


 ひとつ前の音より高いか低いか、それくらいしかわからなかったし、その高低の判断も当てにできるものではなかった。



 そんな私が、ボーカロイドにはまった。

 2009年2月のことだ。


 ……発達障害への誤解から筆を折り、自分の言葉というものに絶望していた時だった。


 青い髪のボーカロイドが、文字しか知らない私の世界を蹴破って、音の世に引っぱり出したのだ。



 それはあまりに広く、明るく、さざめいて膨大で、多種多様な人ができることをしている世界だった。


 学祭みたいだ、と私は呆然と思った。

 永遠の文化祭が続く場所。



 おそらく大半の人にとって、それは「初音ミク」の役目なのだろう。

 実際私も初めに聞いたのは巡音ルカだったし、他のボーカロイドも先に聞いていた。


 それでも私が青いボーカロイド……「KAITO」にはまったのは、出会ったその日が"彼"の誕生会だったのが一番大きい。


 圧倒的な祝祭ムードの中で、ファンメイドの物量作戦に私は思いきり押し流されたのだ。

 ……返さねば、と思うほどに。


 出会って4日。

 私は祈るように言葉をつづり、生まれて初めて動画を作った。

 フェード効果すらない、モノクロの紙芝居動画。

 あれほど嘘のない言葉を書いたのは、久しぶりだった。


 その後も私は動画を漁り続けた。


 曲は相変わらず聞いた端から忘れてしまっていたが、MVを複数見て理解したり、カラオケで歌詞を確認したりしていた。


 それ以上にトーク系の動画をよく追いかけた。喋りのほうがまだ覚えていられたからである。


 そうして、2年ほどたった頃だろうか。

 とある音楽番組を聞き流していて、歌とともにある音が聞こえてきた。


 リズムをとる、ドラムの音。

 ボーカルと混ざらず、消えもせず、並行に流れていく、硬質な音。


 その時初めて、私は音楽を朗読の一種ではなく、多重のものとして聞けるようになっていたことに気づいたのだ。


 歌は、歌詞カードだけのものではなくなっていた。

 長いこと鬱陶しかった間奏が、楽しみのひとつになった。


 何より、音楽に力を入れた作品をより楽しめるようになった。

 そうして今ではコンサートやライヴに参加もしているのだから、変われば変わるものだと振り返り思う。



 強い興味というものは、目や耳など感覚機能の発達を促す面があるらしい。

 そうした調査結果の記事を読んだ時、私はとうにそのことを知っていると、深々とうなずいたものである。

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