補章:3年後の私の話。
望外のコメントと感想をいただいていたことに本日(つまり2020/02/24)気づき、これはコメント返しにすると大変ウザいことになるぞ、と考えて3年ぶりにカクヨムを開いている。
ここの怖いところは、大変直書きしやすいのでバックアップとりづらいことなんだよね……知らない間に機能追加されてたけど。閑話休題。
この連載を書き出したのは2016年の就労支援のころなので、実はそろそろ4年が経とうとしている。
その間に私は、障害者雇用で就職し、退職し、転職した。
職場の相性というものは障害の有無を問わないようで、前の職場とはどうしても折り合えなかったし、今の職場は結構楽だ。
無くても苦労するところを、有るからさらに苦労する。
それだけのことを飲み込むのに、なんだかんだで干支ひと回りかかってしまった。
*
私たちは、残念ながら無能じゃない。
天才ではないかもしれないし、有能でもないかもしれない。
ただ、障害があろうと、傷があろうと、あらゆるネガティブ要素を抱えても、残念ながら無能じゃない。
だから余計に、苦しいんだ。
そんなことを、最近は考えている。
*
人は行動しか見ないし、結果しか知らない。
自分がやることしか伝わらないのは、呪いにも救いにもなることだ。
動かなければ何も変わらない、それは自閉持ちにとってひどく落ち着くことだけれど、変わっていいのだと、より楽になっていいのだと、許すことだけはしていきたいし、してほしい。
そんなことを、考えることもある。
*
私の思考はあいかわらず時系列が断片的で、おかげで電子書籍化をずいぶん放ってしまっていて、今では考えが違うところもちまちまある。
エッセイ再開を考えることも、ちらっとあるのだけれど、多分もうそれは「私」の話になってしまうので、発達障害の人の話を聞きたい、というのとは違うんじゃないかと思うのよね。
そう、3年の月日をかけて、私は今では「私」にだいぶ近づいた…のではないかと思う(あれ?)
転院先にカウンセリングが併設されているのもあり(そう、精神科の転院もしたんだった)、私自身の特性を「私の一部」にできてきている感がある。
最近は、ADHDゆえと思われていた特性は自閉的こだわりだったのでは、という新たな話が浮上していて……まあ、診断名がよくわからないのは今も続いているけれども。
目玉が生まれたときからそこにあるように、私の特性は当たり前に私の中にあって、私の人生に影響を及ぼしている。
それでも、特性が人生のすべてを握っているわけじゃない。
時代や土地柄や環境調整の方がずっと大きいし、きっとタイミングや相性もある。
だって私、WAISⅢの結果だけ見たら、こうして話のつながる長文を書けてるわけないんだもんな。今の担当さんに解説されるまで知らんかったけど。
同じ知能を使うプログラミングやタスク管理は壊滅的だし、「本を書ける時点でその著者の手法は高度すぎます」まで言われたし。
なお2018年にNovelJamという無茶ぶり小説制作イベントで、掌編「たそかれ時の女神たち」が審査員賞いただいてます。買ってください←
要するに、特性は人生の一部でしかない。
肌の色や質感の影響は大きいけど、骨格や筋肉や体脂肪、姿勢や髪型あたりの方が、外見イメージにはもっと影響するのに似ている。
変えられない、けど、「全部」じゃない。
*
とりとめなく書いてしまったけど、結局言いたいのはひとつだ。
あなたが、あなたとして、あなたの人生を楽しむことを、私は願っています。
返信に代えて
飴乃ちはれ
高機能発達障害の私の時間は非連続につらなっている。 雨昇千晴 @chihare
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