自分が「何」なのか、探しています。
ただの変わり者の偏屈の臆病者なのか、
医学的に何らかの線引きをしてもらえば楽になるのか、
こんな自分をどう扱っていけばいいのか。
外国語会話が少しも上達しないのは、
他人との対話への欲求が低すぎるせいだと気付きました。
日本語を書く力と漢文読解への執着は、
会話と正反対に異常に強いのです。
そんなアンバランスがたくさんあって、
過去の失敗を思い返しては眠れないとか、
苦しいシーンを書く間は無自覚に指を噛んでボロボロにするとか、
音楽を聴きながらの作業が昔から全然できないとか。
作中の言葉を、体感的に理解できるところもあれば、
うまく想像がつかないときもありました。
読みながら苦しくなるときもありました。
多様性がある、ひとりひとり違う。
発達障害という大雑把な括りの内訳は、
すごく複雑で、一般化できないものなのだと。
わからないなりに、丁寧に読ませていただきました。
たくさんの、なまの言葉を、ありがとうございました。
説明の難しい「感覚」さえ、読みやすい文章でした。
感覚的には理解できなかった「感覚」を、
時間をかけて不意に習得できた瞬間の驚きの描写が、
とても好きでした。
探して選んで組み立てられた「飴乃言語」それ自体、
すごく好きでした。
色々な経験をされてきたのですね。
同様の病気で人知れず苦しんでいる読者の同情を引き共感を得ながら、一般の人にこういう人もいると訴えかける強い思いも感じました。
そういうあなただからこそ、環境に合わない場所で悩みながら仕事を続けている人の痛みが分かるのではないでしょうか。
読み込んでいくほどにあなたの精神的な幼さを感じます。
文章力や表現力は素晴らしいのに病気に立ち向かおうとする意志の強さを感じられません。
今までを省みてもう一度頑張ってみようという勇気を感じられません。
発達障害者はあなたのような人ばかり、そういうマイナスな印象だけが残ります。
あなたは働いてきた中で自信に繋がるものはなかったのですか。
会社が求めるのは利潤ばかりではありません。あなたのような病気の人を雇う時に考えるのはハンデを抱えた人が精一杯働く姿勢です。辛い時はいくら休んでもいい。それでも私はこの会社をやめたくないという意欲。
それこそが周囲の理解となります。そういう発達障害者なら大歓迎である事を述べておきます。
とある企業の人事担当より。