「しばらく そのままで おまちください」
と電子音声に言われて、だるまさんがころんだ並みに静止してた奴は手を挙げろ。
(・∀・)ノ←
……6歳くらいまでだよ?
発達障害があると、言葉を文字通りに受け取ってしまう、とよく言われる。
たとえば、「お上の犬」とは動物ではなく人間のことである、なんて辞書にはあまり載らないだろう。
それでも大抵の人が、「犬」と言われて動物以外のものを連想し理解することができる。
発達に凹凸が大きいと、そうした慣用句が飲み込みづらいのだ。
実際、幼いころの私は「そのまま」を1ミリも動かずその場に静止することだと考えていた。
また別の子だが、ことわざや慣用句を指して、こんなことはありえないから受け入れられない、と主張していたらしいのを聞いている(ちなみに小学校で高校数学を解いていたくらい知能の高い子である)。
言葉の意味内容は知っているが、そこに含まれる守備範囲や連想、ニュアンス、反語的な使い方などが実感できないのである。
それはどこか、母語以外を話す時の心もとなさに似ている。
どれほど充実した辞書があっても、歴史や文化を紐解いても、会話における言葉の印象や違和感はそうそう掴めるものではない。
東京と大阪の間でさえ、キツいと感じる言い回しは違うのだ。まして異国はなおさらである。
言い換えれば、知らない文化の只中で空気なんて読めやしないのだ。
どんな背景事情があろうと、暴言で傷つけてきたことは赦さない、と語る人がいる。
思ったことを留めもせずに言ってしまう人は、往々にして狙った暴言より人を傷つけてくる、と嘆息する人もいる。
私はADDの傾向もあるので、こうした話を見かけるとなんとなし落ち込んでしまう。
相手を傷つけることを、考えなしに言ってしまうことも、衝動性に勝てず口から出てしまうことも、見た目の結果は同じだからだ。
誤解されがちだが、発達障害のない人ばかりが傷つけられているわけではない。向こうだって割と無礼なことを言うし、無理解に傷つくのはお互いである。
だからといって、発達障害者が聖人や天使というわけでもない。嘘もつくしごまかしもするズルさはある。その辺は人によりけりで、多分非発達障害者と大差ない。
だから、怒るなとは言えない。その感情は正当だから。
難儀だな、とも思うけれど。
怒りを抱え続ける人は強い人だ。
幸せに生きられるのに修羅を選ぶ、自己犠牲の人だ。
私は弱くていい。
字義の外を漂うあいまいさは、そのまま人の豊かさに見える。
言葉は事物を切り取り世界を描くけれど、切り取るがゆえに拾えないことがたくさんある。
それゆえに、正確であろうとしてあいまいになるという、不思議な事になっていったのだろう。
今でもATMは言う。
「しばらく そのままで おまちください」
それが、ATMでの処理が終わるまでこの場から離れないでください、という意味なのはわかっている。大人だもの。
わかっているけど何となくじっと動かないでいるのは、三つ子の魂なんとやらの都合だろうか。
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