「就職できてないんだもんねえ」そうして私は発達"障害"になった。

 今でも時々思うのは、2008年の診断当時に就職できていたら、私は"障害"として診断されていなかっただろう、ということだ。



 医者にもさまざまなスタンスというものがあるらしい。

 同じ患者でも、行政支援を受けるために「障害」と診断する人もいれば、仕事につけているのだから「障害」とするのは不適切だ、と考える人もいる。


 診断の乱発が問題視されている面もあり、特に必要がなければ(たとえば日常生活に自力で対応できないほどの苦労がなければ)障害名をつけない場合もあるようだ。


 また、どんな人間も多かれ少なかれ発達の偏りがない訳でもないので、うっすら疑わしい程度の(ように見える)患者は、経験があっても判断が難しいという。


 発達障害者と同じような反応や行動をとるから、といって、その人に脳機能の大きな偏りがあるとも限らない。

 刺激に過敏すぎる、脳に小さな傷がある、精神的に病んでしまっている、などなど、一見似たようなふるまいでもその原因は様々だ。


 素人にできるのはせいぜい「何かおかしいな?」と違和感に気づくことくらいで、診断はもう医師にまかせるしかない。



 私の場合、まだADHDより「ジャイアン」や「片付けられない女」の方が知れ渡っていた頃に疑ってたものだから、思い込みじゃないかと諭されたことも、検査自体を断られたこともあった。


 今なら一番に地域の発達障害者センターを調べて、はっきりさせたいので診断を受けたいと訴え、病院を紹介してもらうだろう。

 けれど、当時はまだ発達障害についての法整備すらできていなかったので、耐え切れなくなった私はある日、目についたクリニックに駆け込んだ。


 脳神経科に()


 思いきり系統違いだった。

 しかしそこで診断のできる医師を紹介してもらえたのだから、縁とはどうなるかわからない。


 念のため言うけど真似はしないように。



 社会生活において、自力ではどうしようもないほどの障りがある。

 その状態を指して"障害"と呼ぶ。


 それを診断するのは医師だけれど、診断を受けてどうするかは私たちそれぞれの人生だ。

 個人的には、医療より行政や民間の支援を頼った方が、生きるのを楽にする上で役立ちやすいと思う。


 診断を受けていなくても参加できる当事者会や、相談にのってくれる心理カウンセラーもいる。

 行政は仕事関係の支援に重点がおかれやすいけど、普段の生活がどうしようもないと仕事なんてできないので、生活支援を紹介してくれる場合もある(期待値は低めで)。


 とにかく、困っているならどこかの支援につながるのが一番かな、と私としては考えている。



 発達障害者は「助けてくれ」と人に求めることが難しい。

 難しいのに、求めないと支援にも情報にもつながれないジレンマがある。


 助けを求める難しさは、たぶん支援者側の考えとは少し違う。


 本質でないところで自動どうどう巡りが起こってしまったり、訴えを本気にとってもらえない態度になってしまったり、そもそも人間を人間と思えなくて伝わるように話せなかったり。

 それ以外の、私の予想もつかない困難もきっとあるだろう。


 それでも、声は届くと信じてほしい。

 私の言葉があなたに行き着いたように。


 叫ばなければ、そこにないのと同じだと思われてしまうから。

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