正直すぎて絵がかけなかった話
私が自分の絵の技量を見限ったのは、4歳か5歳かの頃だった。
今でもまざまざと思い出せる、同じ教室の女児がかいたお姫さまの絵。
そのお姫さまは、ぱっとわかるほどきちんとメイクをしていたのだ。
私にはその技法が、見ても全然わからなかった。
以来、絵をかく授業が苦痛になった。
図工に限らない。社会や理科、夏休みや修学旅行でだって、違和感だらけの絵をかく行為は求められる。
けれど、何度親に「きちんと見なさい!」と怒られようとも、私には観察という行為がさっぱり身につかないままだった。
今思えば、あの頃の私は詳細を観察できるほど、脳が発達していなかったのだ。
全ての情報はフラットにデータ化され、どれにも最重要の札が下げられているせいで、逆に価値を落としていた。
そうして小学生の私は、「なんかこれっぽい形だったような」というものを作り出しては、自分の技量の無さに幻滅していたのである。
中学生になると、デッサンやスケッチといった概念を学んだ。
しかし「見たものと明らかに違いすぎる」と自他ともに認めざるをえない現実に、余計に絵をかくことが苦痛になった。
ひとつには、私に3Dを把握することが難しかった点がある。
絵の中の立体感というものが、私は自力ではさっぱりわからなかった。
そもそもまず遠近の感覚がつかめず、いまだに物の大きさを、特に奥行きをよく勘違いするほどだ。
もうひとつは幸か不幸か、周囲に絵のうまい人間が大勢いたことだった。
オタクの世界ではよくあることで、今見ても達者な漫画絵をかける人や、中学生にしては上手い人が、ありふれてそこらにいたのである。
下手に目が肥えた分、さらにかく気をなくしていった。
それでも、トレスというものを知ったり友人に迫られてかいたりと、中学時代が一番絵をかく機会が多かった。
ちなみにまったくほめられなかったし、抽象化できないせいで画伯にもなれなかった。
私の技術はそこで止まった。
変化は大学でのこと。
絵を見るのが好きな友人に展覧会に誘われたり、旅先では必ず美術館をめぐる先輩に連れられたりとしているうちに、私は絵を見られるようになっていることに気がついた。
具体的には、鑑賞のために細部と全体をスムーズに行き来できるようになっていたのだ。
それまではなんというか、色がどの位置に置かれているか程度はわかったのだけれど、細部も全体もまったく頭に残っていなかった。
たまたま目に入った風景を眺めているのに少し似ていた。
絵を見られるようになった私はしばしば展示にでかけるようになり、ある日の旅先で偶然モネの絵に出会う。
彼らの起こした印象派は美術史における革命だったが、私にとっても同等の衝撃だった。
長年の疑問への答えが、そこにあったからである。
絵をかくのはいつも苦手だったが、一番困ったのは風景画だった。
目を上げるたびに、わずかに見えるものが変わるからだ。
時がたてば刻々と光が変わり色が変わり影が変わる。
目線の角度で見えるものの高さや位置が変わり、視界では収まっているものが収まらなくなってしまう。
揺らぐ空気が線の位置を曖昧にして、どこで区切ればいいのかわからなくなる。
正確にかかなければ、と思い込んでいた私は、そのたびに下書きをやりなおすせいで、非常に時間がかかっていた。
なぜ人が物をすらすらかけるのか、私には不思議でしかたなかったのである。
モネの絵は、そこにひとつの答えをくれた。
輪郭なんて曖昧でいい。
実体への正確さにもとらわれなくていい。
ただ見えるものを、伝わるようにかけばいい。
そこにごまかしが多少あったとしても、らしく見えればそれでいいのだ。
肩の荷が下りた気がした。
今でも旅先などで美術展に行くが、自分では全然かいていない。
ただ時折、無性に何かがかきたくなる時があって、その場合は小物を見ながらラクガキしている。人工物は直線が多くて、形が単純なことが多いのでありがたい。
絵をかくことは、目に見えるそのままを正確にトレスすることではない。
まず立体を平面に落としこむ時点で無理がある。細部はあちこち歪むものだ。
写真だって、ピントの外はぼけるのである。
お姫さまのメイクの謎はいまだに解けない。
知っているのは、視界に正直すぎると絵がかけない、ということだけである。
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