想像力の欠落と、私が小説を書くのを止めていた話。

 コンテスト参加作品を見ていたら、小説を書くことについて書いていくシリーズがいくつか見受けられたので、昔語りをしようと思う。


 私が初めて物語を作ったのは2歳の頃だ。

 自分で絵をかいた横に、私が話したらしいお話を親が書き添えたもの。

 現物があるので知識として見知ってはいるけど、やったことは覚えていない。


 私が自覚して小説を書きあげたのは、中学生のときだ。

 何も知らずに地元の同人イベントに連れていかれ、そこに渦巻くエネルギーに打たれてのことだった。

 当時はまだネットが普及していなくて、創作系のイベントも地方にはなかなかなくて。

 イベントに参加することだけが、表現欲の発散方法だったのもあるんだろう。


 中学以来、私の周りには常に複数人の作り手がいた。

 当たり前に上手な絵や漫画をかく仲間たちの中で、私はポジショニングとしてテキストを選んだ。

 あの頃買った同人誌に、小説があったかわからないけれど、少なくとも絵よりは何とかなると思えたんだな。

 なにより、書き上げた処女作を、尊敬する先輩にものすごく称賛されたのが大きかったと思う。


 二次創作から始まって、布教されたろくごまるにに衝撃を受けて(あんな改行しまくっていいんだ!)、黎明期のライトノベルを読み漁った。

 高校からオリジナルで書きはじめて、大学では厳しい目に揉まれて、公募する長編を書き上げたことも2回ある。

 多分今読むと支離滅裂なんだけど(笑)原稿あまり残ってないんだよね……


 プロ志望のメーリングリストに登録していたこともあるし、大手専門学校の無料講座を目当てに東京や大阪へ出かけたこともある。

 よくある話として、私も当たり前に職業作家を目指していた。


 長年の夢を辞め、筆を折った理由は2つ。


 大学で心身を壊して、エンタメ作家の激務に耐えられるか不安になったこと。

 そして、地元で発達障害だと診断されたこと。


 当時のいくつかの本では、「発達障害(特に自閉系)は人の心がわからない、感情を認識できない」とされていた。

 人としての複雑な心がわからない障害だから、相手をないがしろにするような振る舞いになるんだ、と。


 もしかしたら、私が取り違えたのかもしれない。当時は今よりあちこち発達してなかったから。

 それでも、思ったんだよね。



 人の心がわからない奴に、小説が書けるわけないじゃん。

 だって、人を描くものなんだからさ。



 それから5年以上の間、私はオリジナル作品を書かなかった。

 代わりに二次創作はたくさん書いた。

 なんだかんだで10年近くかけてきたスキルを、錆びつかせたくなかったんだ。

 既にあるキャラクターを書くのには慣れていたし、周りに喜ばれやすいしね。


 同時に、キャラクターをパターンとして書くやり方や、物語の盛り上げ方、心理学にも手を出した。

 心の動きを知識として知っておくと、それまで理不尽の連続としか思えなかったドラマに、少しだけついていけるようになった。


『ラピュタ』や『ナウシカ』の全体の流れを把握したのもアラサーになってからだ。

 それまではシーンを飛び飛びで覚えてはいても、どうしてそういう展開になったのか、全然理解していなかった。

 これは私の目や耳の発達が偏っていたせいもあるのだけれど、ここでは割愛する。


 実は今でもわからない(何を感じとればいいのか困惑する)作品はけっこうある。

 それが友人知人のであると、気まずさが半端ないと同時に、自作に違和感がないかいつも不安になってしまう。

 何せこちらは、妄想はできても想像力に障害があるからだ。

 その中には、こちらの言動に対して相手が何を考えどう振る舞うか想像できない、というのも存在する。


 以前「片方が相手のことを忘れていて、もう片方はその理由を知っているが言えない2人組」を書いたときにはすこぶる大変だった。


 互いの記憶も知識も前提も違う中で、この状況ならこう考えているからこれを話して、それに対して相手はこの状態だからいつもと違ってこう感じた上でこっちを返して……というのを、初稿を書きながら何度も検討し続けたからだ。


 有名な「アンとサリー問題」に今でも一瞬つまる私が、無茶をしたものだと思う。

 無事発表したけれど、未だに不自然でないか不安になることがある。



 そんな私がオリジナル作品を再度書き始めたのは、結局、白紙を埋めていくのが私の幸福だったからだ。


 創造の海で、幻影を言葉に落としていく。

 それは、私が取り出すまで形を持たなかったものだ。

 私すら知らない、姿。

 書くことで手に取れるようになっていく営みを、私はとても幸福だと感じる。

 ……現実の寝食を見失う、諸刃の行為ではあるのだけれど。


(むしろみんなどうやって生命維持と創作行為を両立させてるの? なんで原稿しながら現実社会に意識が留まっていられるの?? 修羅場で頭が飛んでるとかじゃなくて、ただ書いてる間世界のリアリティが仮想現実より下回ったりしないのなんで???)


 閑話休題。

 今は小説を書くのに大層な理由が必要でないから、気楽な書き手でいられて幸せな時代だと思う。

 デビューしなくてもブラウザと通信費があれば発表はできるし、くたばってしめぇ、なんて言われないもんな。


 気づけば人生の半分以上、フィクションを書き続けてきた。

 ここまでくると習い性みたいなものだから、多分私は書けなくなるまで書き続けるんだろう。

 その言葉で少しでも救いになる人がいたら、私はとても嬉しい。

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