幼い孤独たち(あるいは幼い私の記憶した偏り)
私と彼女は「夫婦」であった。
校舎の端の非常階段をねぐらとし、1階から地面へと降りる場所を私が、1階から2階への踊り場を彼女がそれぞれの居室とした。
もっとも私の場所はキッチンとダイニングと玄関を兼ねていたので、今思うとずいぶん不公平な配分だった。
階段はコンクリートらしく冷たく、全体がくぐもった緑色で、橙色の縁がついていた。
「夫」である彼女は「朝」になると階段を降りてきて、私が機械任せにした「食事」をとり、黒いジャンパーをまとって自転車で「出勤」していく。
鮮やかな黄色の自転車は、私が母からゆずられたものだったが、私は毎度律儀にその自転車を持っていった。
「夫」が外にいる間、私は地面と階段の境に腰かけて、そばに立つ背の高い木々を眺めていた。
葉先のとがった針葉樹で、エビフライみたいだといつも思っていた。多分モミの一種だったろう。
自動掃除機はその頃概念すら知らなかったが、食事も食器洗いも壁に埋めた機械任せで「皿」すらなく、そこだけ私の趣味でSFじみていた。
しばらく眺めていると「夫」が戻ってくる。
「食事」を出し、向かい合って食べるふりをすると、「夫」は早々に上の部屋へ引き上げていった。
私がそちらに上がることはなかった。嫌がられた、ような気がする。
律儀に食器を洗浄機に入れ、私はキッチン兼ダイニング兼玄関兼地面と階段のつなぎである冷たい床で横になる。
そうして、「夫」が起きだしてくるまでじっとしているのだ。
「朝」がきて、「夜」がきて。くり返し。くり返し。
上で彼女は横になってただろうか。「夫婦」というごっこ遊びの中で。
……夫婦と言うには、あまりに寒々しいその行為を、私たちは長いこと続けていた。
彼女の母親は看護婦だった。
父親の話は聞いたことがない。
8歳の彼女はいつも不良少年のような格好をして、けれど細い薄茶の髪はいつも三つ編みだった。
その薄茶色と黒のジャンパーで、私は彼女の見分けをつけていた。
だから、ふいに再会した時にはずいぶん驚いた。
私は日曜にとあるコンクールに出た(そして予選敗退した)後で、教師の隣で中学校の制服を着ていた。
同じく中学生の彼女は休日らしく私服を着ていた、と思う。
格好も覚えていないほど驚いたのは、私が彼女を完全に忘れており、彼女は私を即座に見つけ出したらしいことだった。
そういう時には「随分変わったからわからなかった」くらい言いなさい、と後で母に言われた。
いつも遊んでいるほど仲が良かったのだから、失礼でしょう。
彼女を思い出すとき、色濃いのは「夫婦」だったあの頃のことだ。
細い三つ編み、黒のジャンパーで、孤独に自転車で「出勤」する後ろ姿。
あるいは脱いだジャンパーを肩に引っかけ、拒むように上階へと戻っていく足取り。
私はただそこにいた。
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