「コミュ障」を名乗る奴は大体ただの怖がりだ。

 と、障害持ちとしては思う。


 自己開示の怖さを軽んじてる訳じゃないんだよ。

 傷つかず傷つけずに育つのは無理な話だし、ショックの大小も人それぞれだ。


 昔武道の先輩に「殴られる覚悟なしに殴るな!」と言われたことがあるけれども、目的のために死を覚悟で踏み込むのって怖いよな。それは当然だ。


 でも、それは「障害」なんだろうか。


 もしかしたら障害物競争に使うようなノリで、「障害」と称しているのかもしれない。

(だとしたら個人的にはややこしくて困るなあ)


 文脈を読む限りでは、障害者に当てるのと同じ意味のように私は感じるのだけれど。



 コミュニケーションの怖さや不慣れさは、勇気と知識とまともな努力で、ある程度どうにかなる(と思いたい)。


 でなきゃ実用書コーナーに、マナーだの会話術だのコミュニケーションのルールだのといった本が、大量に並ぶわけがない。


 存外みんな、誰かとの交流に悩んでいる。


 けれど、発達障害に含まれる「コミュニケーションの障害」は、私にはそうしたものと質が違うように見えるのだ。



 自閉系の人は他人の立場をつかみづらい、というのはよく言われる話だけれども。


 まず、今見えている人の形をしたモノが、独自の五感と思考と感情を備え自立して動きながらこちらを観察し判断している、ということから知らないことがある。


 ちなみに私は21歳の初冬まで知らなかった。

 大抵は3歳までに気づくらしいよ。



 他人を道具の一種と考える子もいる。

 欲しいものを取るために、棒を使うように大人を使う。


 こう書くと大変失礼な話になるのだけれど、おもちゃを"友達"としてヒトに寄せるように、人を"お気に入り"としてモノに寄せる思考をする感覚が、当たり前なこともあるんだよね。


 その子の世界には、モノしか入れない状態だから。



 大多数の子は、3歳くらいまでに他者に関心を抱き、誰でもないこの子と一緒にいたいと望み、親友を求める段階まで発達するらしい。


 逆に言えば、そこまでで友達を作ろうとしなかったり、他者に関心を持っていないようだと、母子手帳にちらちら書かれていることが多い。


 が、私の手帳にはそうした記述がない。

 いわゆる「空気読めない正義漢ぶり」などはあったけれど、外から見て気になる振る舞いというのはなかったそうだ。


 私が周囲の人間を、

「違う場所で生きてる私の延長」とか

「好き勝手動き回るロボット」とか

「つっこみの返るラジオ」とか

「従えば安心な目印」とか思ってたって、

 だーれも気づかなかったのだ。私含めて。



 遊び相手はいた。

 秘密を共有する相手もいた。


 グループに吊し上げられたことも、つたないコスプレ合わせをしたことも、毎日いつもの場所でたむろったことも、クラブ部長をやったこともある。


 表面的には、ラノベオタとして青春を過ごした、ちょいと残念な人間だろう。


 昔の私はそれらの経験を、全てチューリングテストのように思っていた節がある。


 "機械仕掛け"に囲まれて、脳みそだけでふわふわと生きていた。VRゲームのソロプレイみたいに……


 あの頃"中の人"がいたのは、小さいときの妹くらいだったかもしれない。


 胎児だった頃を思い出そうとするようなもので、今では推測しかできないのだけれど。



 そうした訳で、「コミュ障」と言われると私は上記のような連想をするわけだ。


 人間まじ存在だけで情報量多すぎだよね、初対面とか脳処理どうやって追いつかせてんの? みたいな話題を期待してるのだ。


 えっ、意識しなくても相手に見られてる感覚わかるんだ……話すこと考えてるからじゃなくて気まずさで顔そらしちゃうんだ……私は3人以上と話すだけで腰半分は浮いちゃうのが悩みかな? うん、初対面は特に難しいヨネーハハハー……


 リアルタイムに他者の目を気にできる時点でレベルが高次元だって気づいてお願い(泣)


 私がそれできるようになったのここ最近だよ?! 普段は時差つけないと処理無理だよ?!!


 なお、大学時代に同じ釜の飯を食った友人たちとさえ、私は3人以上とお茶するだけで"浮く"。ふよっと。

 あの「自分だけ異物」感は何なのだろうなー。



 閑話休題。


 障害者に多く関わる人から見ると、私は明らかに発達障害者だとわかるらしい。


 けれど世間に入り交じると、私は大多数と見分けがつかなくなる。

 それなりに一般就労できてたり、医者に「能力はあるんだから」と言われたりする程度には世間に忍べている、多分。


 そうして日々、多数派の"当然"に、無意識に合わせて暮らしているのだ。

 付き合いが長くなるほど不審がられ、あるいは陰で困惑しながら。



「コミュ障」を自認する人たちは、そうした私の目には、ただの"普通の人"に見える。


 ちょっと気にしいで、人と関わる怖さを知っていて、言葉の使い方の不器用な、ひどく優しい人たち。

 そして、私にない能力をたくさん持つ人々。


 ……まともなのにね。


 そう思ってしまう私は、おそらく多少なりと意地が悪い。

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