番外:なぜ彼らは無差別に人を殺し、私は生き延びられたのか。
純粋に発達障害の話とは言えないこと、他と比べて明らかに内容が重いことなどから、番外扱いといたします。
あくまで一個人の思考としてお考えください。
*
黒バス事件の犯人が、裁判の最後に述べた言葉の抜粋を読んだ。
「あなたが自殺したら悲しい」と複数に言われながら、出所後には惜しまれて亡くなった幼いクラスメートに花を手向け、そのまま死にに行きたいと語る言葉。
……その思考の一端を、私は知っている。
数年前、「アダルトチルドレンの傾向がある」と私は言われた。
子供の頃の虐待が焼きついた大人と、同じ考え方を自動的にしている。
そして、そうした人間は珍しくないのだと。むしろこの国では、過半数を占めているのだと。
その思考を一言で表すのなら、「自分が生きてこの世に在ることを信用できない」だろうか。
実存の話とは少し違う。
現実を歩きながら、周囲が舞台の書き割りにしか見えない。
取り囲む人間たちが、台詞を話す舞台装置として見えてしまう。
そんな"世界"で、自分もプログラムの一種として存在しているのだという感覚。
自分は他の誰にでも入れ替え可能だ、という"常識以前レベル"の確信と、それゆえに希薄な社会的生への執着。
まるで中二病だね、と思う人もいるかもしれない。
それはある意味で正しい。
子供が作る思い込みのルールは、ファンタジックで魔術めいたものになるのが定番だそうだから。
ちなみに、私はいわゆる世間一般で連想しがちな、過激な暴力や育児放棄といった虐待をされた覚えはない。
しかし、「自分の心身を権力者(保護者や教師や大人)に脅かされた子供の体験」というのは、本来すべからく虐待に含まれるのだそうな。
例えば、やりたいことを頭ごなしに否定され押さえつけられた、毎日理由もなく親が不機嫌で家の雰囲気が悪かった、テストで98点を取ったら「小学校のなら100点取れて当たり前でしょうが」と反省するよう叱られた、などというのも、それで子供が傷ついたなら虐待に当たるらしい。
その後のフォローによりけりな面もあるが……大変だな、子育て。
さて。
実は発達障害には、"児童虐待によって脳の一部が萎縮し、発達の凹凸が激しくなる事例"というのがある。
また、生まれつき発達の凹凸が激しいために家族間の共感が得られず、暴力的な虐待を誘発してしまう、という事例も多くある。
詳しくは「第四の発達障害」とかで調べてほしい。
以前、発達障害児を育てている親の話を読んだことがあるが、私でもわかるストレスの重なりぶりに手を上げずにいられない心理を察してしまった。
簡単に言うと、言葉の通じない相手に何をやっても報われないまま、毎日密室で寝不足と疲労とぎゃん泣きと拒絶と無理解にさらされ続ける生活の話だ。
追い詰められるよねえ。
手を上げていい理由にはならないけどさ。
だってその泣いてる子供、ずっと「助けて」って叫んでるんだぜ。
"誰もいない"世界で、全身全霊で。
生まれつき社会性や共感能力の育ちが遅い子供は、「愛し愛される」という感覚を学ぶまでに時間がかかるのではなかろうか、と私は考えている。
彼らは保護者の存在に気づかない。見守る存在を知らない。送られてくる"何か"の意味がわからない。
「お父さん、お母さん、大好き!」……と思えない。そもそも存在に気づいてないから。
知覚できないものは、主体にとって存在しないのと同じである。
やがて他人の存在に気づき、共感というものを知った頃には、「無償の愛」を得る機会はとうに失われてしまっている。
後はもう、虐待され大きくなった人々と同じように、失われた分だけ自分で自分を愛し大切に扱っていくしかないのである。
……正直な話、成人済みの学生が"胎児"だなんて思わねーじゃん?
私つい数年前まで、大半の親は捕まって面倒になりたくないから子供の世話をするんだ、と真面目に思って同情してたんだぜ?
「自分で自分を愛していくのが一番確実なら、どうして他人のつながりが必要なんですか?」って真顔でたずねてどん引き(多分)させてたんだぜ?
今は「かまってー」ってやるけどさ。やりすぎて引かれたこともあるけどさ(加減がわからない)。
閑話休題。
自分は存在するだけで、他者にとって価値を持っている。
そう信じることを棄損されると、自殺の敷居は急激に下がる。むしろめり込む勢いで落ちる。実感として。
そして同じくらい、他者の価値も下がってしまう。
舞台の書き割りを破り捨てることに躊躇するのは、それを書いた人間だ。
台詞を吐く装置を壊されて涙するのは、それと生きてきた人間だ。
「自分ではない」。
だから簡単に壊せてしまう。むしろ、壊しちゃいけないものを派手に壊してセンセーショナルになる方が、自分の断罪に相応しいとさえ考えるようになる。
生まれて在ることそのものを罰されたいのだ。
誰も文句をつけない存在に、自分の断罪を許されたいのだ。
お前に生きる価値なんてない、と断定されていたいのだ。
……少なくとも、私の目にはそう見える。
私がやらなかったのは、単純に血を見るのがだめだったのと、知識があったからだ。
中学の時に読んだ、いじめや疎外に追い詰められ自ら死んでいった女の子たち。
5分もひとりで風呂につかっていられなかった心理学者に、「ピーナッツ」の子供たち。
そして、好きなことやワクワクすることで仕事ができる大人がいると、教えてくれたはしりの本たち。
発達が凹凸している者に特有の盲目的な素直さは、10代の私をとりあえず生かした。
どう見ても若いうちに衝動的に死ぬのは損だから、せめて40になるまで様子見しよう、と思えたのだ。
その誓いがあったから、私は学生時代の一番危ない時期も乗り切った。
25歳まで生きてる気がしなかったくせに、成人までにしなかった中学生の私、ほんとGJである。
ところで、お気づきだろうか。
私が自殺も他殺もしなかった理由に、親も家族も友人も、人間が全くいないことに。
純粋に損得勘定で、破綻しなかったのだということに。
もしもそれが"得"ならば、私もまた、犯人の列に並んでいたかもしれないことに。
『文字は紙から捨てられる
言葉は風に流される
声を上げれば足を止めず
顔の前に立てど映らない
握ったところで払われて終わり
蜘蛛の巣でもひっかかったみたいに
確実なのはナイフだけだ
刺せばあなたは血を流す
どれほど私を無視しても
どれほど作用を認めなくても
ナイフで刺せば血を流す
あなたは床にくずおれる
私のせいで
そうしてやっと 私はこの世に在ると知る』
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