家庭教師

 わたしが勉強机に向かって待っていると、部屋のドアが開いた。

「こんにちは」

「は、はい、こんにちは」

 わたしはなんとかそう返し、彼女の姿を見る。

 派手すぎない、茶色の軽くウェーブのかかった長い髪。

 優しい目元と理知的な眼鏡。

 ぷっくりとした唇はグロスを塗っているのか、艶がある。

 白いブラウスに覆われた控えめだけれども、確かな存在感のある胸。

 きゅっと引き締まった細いウエスト。

 膝上丈のスカートからは細くてキレイな足が見える。

 そのどれもがわたしの持っていないもので、憧れていた。

「どうかしたの?」

 わたしがずっと見つめていたからか、目の前の女性、わたしの家庭教師、は少女のように首を傾げて聞いてきた。たぶん、大学生であろう先生にその姿は不思議と似合っていた。

「あ、あの、何でもないです」

 わたしは顔が赤くなるのを自分でも感じながら答えると、先生はわたしの隣に腰を下ろした。

「この前のテストの結果、もう返ってきてるかな?どうだった?」

 わたしは今日、学校で返してもらったばかりのそれを先生に渡した。

「あ、すごい!順位、すごい上がってるね。よく頑張ったね」

 先生が自分のことのように喜んで、笑って、褒めてくれた。

 わたしが嬉しくて、でも何だか恥ずかしくなって俯いてしまうと、先生は小さく笑って、頭を撫でてくれた。

「その、先生のおかげ、です……」

「そう言ってくれると嬉しいけど、でも、全部、梓ちゃんが頑張った結果だよ」

 違う……。だって、わたしが頑張ったのは、来てくれた先生が他の誰でもない、貴女だったから……。認めてほしくて、褒めてもらいたくて……。だから、嫌いな勉強も頑張れた……。

「それじゃ、今日の勉強、始めようか?」

 わたしのそんな気持ちに気付いていないのか、先生はテキストを開き始めた。わたしは、我慢できなくなって……、


「わたしが頑張れたのは、先生に認めてほしかったから。優しくて、キレイで、素敵な先生に憧れたから。だから、先生のおかげなんです。わたし、先生のことが、好き!」


 何も考えずに言った言葉には、自分でも気付かなかった、違う、認めようとしなかった気持ちが入っていた。

 だから、わたしは先生の方を見ることができず、机の上を凝視していた。


「ありがとう、梓ちゃん。でも、今はまず、勉強だから……」


 先生はいつものようにそう言って、いつもと変わらない時間が始まった。

 頭は真っ白になっていたけれど、先生に失望されたくない、その一心で必死に勉強した。



 そして、90分が過ぎ、今日の分が終わる頃、先生は話し始めた。

「梓ちゃんはわたしのことを好きって言ってくれた。それって、恋愛、という意味で、なのかな?」

 わたしは、さっき認めてしまった気持ちを思い出し、小さくうなずく。

「だったら、わたしは……ここにこうして来られなくなっちゃうかな」

 わたしは泣きそうになるのを必死で我慢した。

 気持ち悪い、ってそう思われた……。こんな子と一緒にいたくない、そう思われたんだ……。

 でも、そのあとに続いた先生の言葉はわたしの予想とはまったく違っていた。


「だって、自分が教えてる生徒さんと付き合ってる、だなんてやっぱり、ダメだと思うから」


 わたしが先生の方を見ると、先生の頬も赤く染まったいた。それはきっと、化粧のせいばかりではないと思った。

「それって、どういうこと、ですか……?」

 わたしは信じられない気持ちで聞くと、先生は優しくわたしを抱き締め、


「わたしもね、梓ちゃんのことが好き、ってこと」


 と言った。そして、体を少し離すと、唇に何かが触れた。

 それが、先生の唇だと気づくのに時間はかからなかった。


 わたしの初めてのキスは少し、しょっぱかった。

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