第33話 アタシに好きになってもらえた事、光栄に思いなさいよね

 昼食を食べ終えた俺たちには自由時間が与えられた。

 実際の所は、準備が予想よりも早く終わってやる事がなくなってしまっただけだったりする。


「よしっ、みんなで海に行こうぜ!」


 鯨のその提案で、俺たちは海に向かうことになった。

(いままだ泳いだりはできないけど、この辺りだと見るべき場所は海くらいだろうしな)

 かなみ荘から海まではそう遠くない距離にあり、少し歩けば海へと辿り着く事ができた。


「海だああ!」

「なに言ってんだ鯨。お前が行こうって言ったんだから、そんなの当たり前だろうが」

「流之介ぇ、冷めた事言うなって。わかっちゃいるけど、海とか見るとテンション上がるだろう?」


 鯨はそう言い残すと、浜辺へと続く階段をひとりで駆け下りていく。


「まるで猿ね」


 深沢が遠ざかる鯨の背中を見ながらそうつぶやいた。

 そんな深沢に向かってミーコが言う。


「かなめちゃん、そんな言い方かわいそうだよ」

「かわいそうな事なんてないわ。だって事実だもの」

「そうかなー。鯨くんっていつも明るくて、私はすごく良い人だと思うけど?」

「……まあそうね。悪人ではないでしょう。でもバカよね」


 深沢の言葉に俺とミーコはなんとなく視線を合わせて苦笑いを浮かべた。

 そんな俺たちの間に割り込むようにリャナーナが現れる。


「流之介、アタシたちも行きましょう」


 そしてリャナーナはそう言うと、俺の手を取って浜辺へと引っ張っていく。

 俺は反論する間もなく、引きずられるように階段を降りた。


(リャナーナにちゃんと俺の気持ちを伝えないと――)


 目の前で楽しそうに笑うリャナーナの顔を見ていたら、そんな気持ちが俺の中から込み上げてきた。


(相手の好意に甘えて自分がハッキリしないことで、リャナーナを騙しているような気分だ)


 浜辺のちょうど真ん中辺りにまで来た時、俺はついに声をあげた。


「ちょっ、ちょっとリャナーナ!」

「んっ、どうしたの?」

「あの……少し話があるんだけど、いいかな?」

「なによ、急に改まっちゃって」

「大事な話なんだ」

「ふーん、みんなの前で出来ないような?」

「ああ」


 俺はうなずいて真剣な眼差しでリャナーナを見つめる。


「おーい、みんなこっち来いよ!」


 ズボンの裾を捲りあげ、海の中に入っている鯨が俺たちに向かって叫んだ。

 その声に手を振って答えながら、深沢やミーコが浜辺と降りてくる。

 俺とリャナーナはそんなみんなの姿を黙って見つめる。


「じゃあ、少しあっちの方に行きましょう」


 リャナーナが視線を俺に向けてそう言った。

 俺はうなずいて答え、みんなから離れた場所へと足を向ける。





 俺たちに気を使ったのか、他のみんなは誰ひとり声もかけて来なかった。

 それをありがたく思いながら、俺は隣を歩くリャナーナを一瞥する。

 金色の長い髪を海風に揺らすその横顔は綺麗で、俺の隣にいてくれる事が信じられないくらいの美人だ。


 でも、俺はリャナーナの気持ちには答えられない。

 表面では繕えるかもしれないが、心が伴わなければいつかリャナーナを傷つけるだろう。

 いや、他人を建前に使うのはもうやめよう。


(本当は俺が傷つきたくないだけなんだ)


 リャナーナやミーコを傷つけてしまうんじゃないかと何度も臆病になった。その裏にはいつも自分がいた。

 本当は俺が誰よりも1番傷つきたくなかったんだ。

 自分だけ傷つかないで先に進もうなんて虫のいい話だ。


「リャナーナ」


 俺はこれから傷つけるであろう相手の名前をしっかりと呼んだ。

 リャナーナは穏やかな顔で俺を見る。

 俺はそんなリャナーナの目をしっかりと見つめ、頭を下げた。


「ごめん」

「えっ、なによ? なんで急に謝るの?」

「リャナーナに真剣だって言われただろ。あれからずっと言おうと思ってたんだ」


 俺はそう言って顔をあげる。

 すると、先ほどまで穏やかだったリャナーナの顔が曇っていた。

 俺は目を逸らしたい衝動に駆られたが、それを押しとどめて目を見て話を続ける。


「俺もちゃんと言うよ。俺は……俺は、リャナーナの気持ちには答えられない」

「――ッ!」


 リャナーナの顔が歪んだのと同時に、俺の頬を平手打ちが襲う。

 痛みは一瞬だったが、それは心の奥深くまで届いた。

 俺は横を向いてしまった顔を再びリャナーナへと向けて言った。


「もっと早く言えばよかったのに、本当にごめん」

「流之介、アンタバカよ」

「ああ」

「こんな美人そうそういないわよ」

「ああ」

「――それでも、美衣子の方がいいって言うの?」

「えっ!?」


 俺はリャナーナの口から出てきた人物の名前を耳にして目を丸くする。

 リャナーナは俺に背を向けて小さな声で言った。


「わからないとでも思った? バレバレよ」

「そうか……ごめん」

「あーあっ、つまんない」

「リャナーナ?」

「つまんないつまんないつまんないッ!」


 リャナーナは俺に背を向けたままそう叫ぶ。

 その肩は少し震えていた。


「あの、リャナーナ」

「近づかないで」

「でも」

「それ以上近づいたら、また叩くわよ」

「……」

「わかってたわよ。アンタがアタシの事なんて全然好きじゃないってこと――でも、こっちは好きになっちゃんだもん。だから色々頑張ってたのに……」


 リャナーナの声が掠れる。

 今の俺にはどうすることもできない。その資格はない。


「流之介」


 リャナーナが微かに顔を動かして俺の名前を呼んだ。

 そして小さな声でつぶやくように言った。


「アタシに好きになってもらえた事、光栄に思いなさいよね」

「ああ」


 俺がそう答えた時だった。

 突然、周囲に甲高い音が鳴り響く。

 それは俺たちが外出する際に学園から持たされた緊急連絡用のスマートフォンからだった。


「なんだッ!?」


 俺が急いでそれを取り出すと、画面に鬼更技先生の顔が映る。


『キミたちは全員金海沢にいるようやな』

「はい、そうですけど……どうしたんですか?」

『緊急事態や! すぐに学園に戻るかイカロスに向かってほしい』

「えっ、それって――!」

『事情は後で説明する! だから早ようせい!』


 鬼更技先生はいつになくキツイ口調でそう言うと通信を一方的に切ってしまった。


(よくわからないが大変な事が起きているのは間違いないだろうな)


 俺はそう思いながらスマートフォンをポケットの中に放り込む。

 そしてリャナーナに向かって言った。


「リャナーナ、行こう!」

「先に行って」

「でも」

「いいから! 後からアタシも必ず行く!」

「――わかった。リャナーナ、ごめん」


 俺はそう言い残し、リャナーナを残してこの場から走り出した。

 その途中、俺たちを探しに来た他のみんなと出会う。

「おい、流之介。先輩はどうしたんだよ?」

 鯨にそう聞かれたが、俺は「大丈夫」とだけ言って話を逸らした。

「ここからだとイカロスに直接向かう方が早いかもしれないわね」

 深沢がそう言って港の方へと視線を向ける。


「少年少女たちよ」


 と、俺たちの背後から聞き覚えのある嫌な声が響く。

 その声に後ろを振り返ると、そこにいたのはやはり俺の想像した通りの人物――お地蔵さんだった。

 しかし、そのお地蔵さんの隣には意外な人物の姿もあった。


「かぐやさん?」

「こんにちは」


 かぐやさんは俺たちにそう言うと口元に微笑を浮かべる。

 そんなかぐやさんの隣にいるお地蔵さんは空を見上げてつぶやく。


「約束よりもだいぶ早い……どうやら私は愛想を尽かされたようだな」

「あら、そうなの? じゃあ貴方は裏切り者ね」

「かぐや、人聞きの悪い事は言わないでくれ。私は裏切り者などではないよ」

「そうね。ただのトモダチ思いよね」

「ああ、そう言う事だ」

 お地蔵さんはそう言うと俺たちを見た。

「少年少女たちよ、イカロスへ行くのだろう? 私たちも共に行こう」

「なに!?」


 俺は思わず声をあげる。

 こいつは俺たちにジリオンをけし掛けたりしてきていた奴だ。そう簡単に信用はできない。


「その気持ちはわかるが今は一刻を争う。信じてもらうしかあるまい」

「俺の心を読んだのか」

「緊急事態なのでね。時間がおしい」

「――みんな、この人の事を信じてみよう」


 ミーコが俺たちの顔を見回してそう言った。


「確かにあの人には色々な事をされてきたけど、今日はみんな一緒にかなみ荘のお手伝いをしたでしょ? その時にみんなもなんとなくだけど、この人は悪い人じゃないって思わなかった?」

「それは……少し思ったかも」


 鯨がそうつぶいてお地蔵さんを見る。


「でも俺は完全に信じたわけじゃねぇぞ!」

「あら、珍しい。双葉くんと同じ意見になるなんてね」


 深沢がそう言ってお地蔵さんに鋭い視線を向ける。


「申し訳ないけど、わたしは園村さんみたいに甘くないの」

「かなめちゃん」

「でも、園村さんに免じて今だけは信じてあげる」


 深沢はそう言うと微笑を浮かべる。

 ふたりが言うように、俺も完全にお地蔵さんを信じられるとは言えない。

 でも、確かに今は信じてみてもいいかもしれない。


「ミーコ、俺も信じるよ」

「リュウちゃん」

「あらあら、アタシはのけ者かしら?」


 後ろからそんな声が聞こえた。

 振り向かなくともわかる。この声の主は――。

「リャナーナ」

 俺が肩越しに後ろを振り返ると、そこにはやはりリャナーナの姿があった。

 目元が少し赤い事以外はいつもと変わらない様子だ。


「よく話はわからないけど、そこのカッコいいお兄さん。アタシも信じるわよ」

「では、誰も異存はないようだな」


 お地蔵さんがそう言うと、周囲に衝撃波のようなものが生じた。

 その波に俺は声をあげて顔を腕で覆う。


「さあ、少年少女たちよ。一緒に来たまえ」


 お地蔵さんのその声に腕を退けると、俺たちの頭上に大きな光の輪が現れていた。


「なによ、これ……どうなってんの! これってウロボロスゲートよね!?」


 リャナーナが目を見開いて叫ぶ。

 お地蔵さんはそんなリャナーナの事など無視して腕を振り上げる。


「では、行くぞ」

「行くって……ちょっと待ちなさいよ! ウロボロスゲートは転送先のイメージがキチンと出来ないとワープできないのよ!? アンタ、どこに行く気よ!!」

「案ずるな。行先はイカロスだ。そこにトモダチもいるものでね」


 お地蔵さんはそう言うと、天高くあげて腕を真下へと振り下ろす。

 すると頭上のゲートが俺たちを飲み込むように落下してきた。


「うっ、うわああッ!?」


 俺は思わず声を上げる。

 そして俺たちは、光の輪に飲み込まれた。

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