ー第1章ー

第1話 田舎でも変な人はいるもんなんだなぁ

 金海沢の駅へと到着した電車のドアが開く。

 磯の香りが漂う中、俺は足を一歩前へと踏み出した。人気のない無人駅のここで降りるのはどうやら俺だけのようだ。


「ふぅ」


 無事ここに着けた事と旅の疲れから、思わずため息がこぼれる。

 そんな俺とは対照的に、後ろの電車は気合いの入った唸り声を上げ、次の目的地へ向けてゆっくりと走り出した。


(こっちもまだ本当の目的地へと着いたわけじゃない)


 俺は気を引き締め直し、ズボンのポケットに押し込んでいたパンフレットを取り出した。

 そのパンフレットの表紙には【金海沢デザイナーズ学園へようこそ!】という文字が書かれている。

 ポケットに入っていたせいでよれよれになっているそのパンフレットを開き、俺は中に描かれていた学園までの地図へと視線を落とした。


「えっーと、ここが駅だから……」


 誰もいないだろうと思っていた俺は「右……いや、左か?」などと声を出しながら地図と格闘を始める。


(昔この辺りに住んでいたとはいえ、記憶はもうかなり曖昧だしなぁ。うーん、なんだか頭がこんがらがってきた。悩んでいてもしょうがないし、とにかく歩くか)


 俺がそんな風に思っていると、誰かの声が聞こえてきた。


「なにかお困り?」


 俺はその声にどきりとしながら顔をあげた。

 するとそこにはとてつもなく綺麗な女の人が立っていた。

 その人は俺よりも年上のお姉さんで、落ち着いた色合いの和服をそつなく着こなしている。

 和服なんて珍しいな、と思いながら、俺はお姉さんの色白で整った顔を見つめる。


(――それにしても美人だ)


 俺が見惚れていると、長い黒髪を微かに揺らしながらお姉さんが首をかしげる。


「なんだか顔が赤いけれど大丈夫?」

「えっ、あ、すいません!」


 俺はなんだか悪いことをしたような気持ちになって謝ってしまった。

 するとお姉さんは口元を手で隠しながらクスクスと笑う。


「謝ることなんてなにもしてないでしょ」

「あははっ、そうですね」

「それで、なにか困っていたんじゃないの?」

「あっ!」


 お姉さんにそう言われ、俺は手にしていたパンフレットに目を落とす。

 するとお姉さんも俺が何に困っていたのかがわかったようで、俺の近くに寄ってきた。


「ちょっと見せてもらってもいい?」


 そう言いながら、お姉さんは手で長い髪を耳の後ろへとかきわけてパンフレットを覗き込む。

 お姉さんの顔が近づくと、とても良い匂いがした。

 その匂いに反応して、俺の胸は主の意思を無視して高鳴り、体も自然と硬直してしまう。

 なんだか変な汗が出ているような気もする。


(とにかく自分のいまの状態を悟られるのはマズイ)


 俺はそう思いながら、口を固く閉じて事が終わることを待つ。


「ここに行きたいの。へぇ、ということはあなたデザイナーなのね」


 お姉さんがそう言って顔をあげる。

 すると、またクスクスという笑い声が聞こえてきた。


「さっきよりも顔が赤いわよ」

(――しまった。息をするのも忘れてた)


 そう思った俺が勢いよく息を吐きだす所を見て、お姉さんはまた笑う。

 気恥ずかしくなった俺は鼻の頭をかきながら言った。


「すいません」

「別に謝らなくたっていいわ。それよりも行き方を知りたいんでしょ? 教えてあげる」


 お姉さんはそう言うと、身振り手振りを加えて丁寧に道を教えてくれた。

 お姉さんの話は半分くらいわからなかったが、俺はとりあえず頭を下げた。


「ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして」

「それじゃあ、俺はもういきます。本当に助かりました」

「ええ、がんばってね」


 俺はお姉さんに軽く頭をさげると、改札に向かって歩き出す。


「――おかえりなさい」

「えっ?」


 俺は目を見開いて後ろを振り向く。

 するとそこには微笑みを浮かべる先ほどのお姉さんの姿があった。


(いま、おかえりなさいって聞こえた気がしたけど……気のせい、だよな?)


 俺は不思議に思いながらも前に向き直り、再び歩きはじめる。


(うーん、それにしてもあの人本当に綺麗だったなぁ。なんだか幸先がいい感じだ)


 俺はそんな事を思いながら歩みを進めていると、誰かが改札を通って駅に入ってくるのが見えた。

 なんとなしに、俺の視線がその人へと向く。


(なんだあの人!?)


 俺は思わず目を丸くした。

 それはなんとなしに目を向けた人がとてもおかしな人だったからだ。

 服装はTシャツにGパンと普通なのだが、顔が変だった。

 ブサイクとかそういう事ではない。その人は【お地蔵さん】のマスクを顔にすっぽりと被っていたのだ。


(いまってハロウィンの時期だっけ? 違うよな……)


 俺があまりにもじっと見過ぎてしまっていたのか、お地蔵さんはこちらの視線に気づいて顔の向きを変えた。

 ヤバい、と思った俺はすぐさま顔を逸らして改札へと早足で向かう。


(絶対後ろをふり返るな。ふり返ったら危ないぞ)


 俺は心の中で呪文のようにそう唱えながら、辿り着いた無人の改札口へICカードを押しあてる。

 ピッと音がなると料金が引かれ、ゲートが開いた。

 俺は競走馬のようにそのゲートから勢いよく飛び出して駅を出る。

 お地蔵さんに呼び止められたりすることもなく、なんとか無事に駅を出ることに成功した。


「はぁ」


 よくわからない安堵のため息が自然ともれた。


(田舎でも変な人はいるもんなんだなぁ)


 俺はそう思いながら恐る恐る後ろをふり返る。

 そこにお地蔵さんの姿はない。その代わりに、金海沢駅と書かれた古ぼけた駅の看板と古い駅舎が見えた。


(昔はもう少し綺麗だったような気もするけど、俺の記憶違いだったかな)


 ふとそんな事を思いつつ、俺は気持ちを切り替える。


「とにかく行くか」


 俺はそうつぶやくと踵を返し、地図と綺麗なお姉さんに教えてもらった情報を元に道を歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る