第25話 夜道には気をつけた方がいいぞ


 先輩との訓練が終わり、俺は更衣室で制服に着替える。

 ここに来るまでは色々と考えていたが、訓練をしていたらそれもだいぶ忘れられた。


(先輩には感謝しないといけないな)


 俺はそんな事を思いながらロッカーを閉め、更衣室を後にした。


「おつかれさま」


 リャナーナ先輩がそう言って俺を出迎える。

 その手には缶ジュースが握られており、一本を俺に差し出した。


「これは付き合ってくれたお礼よ」

「どうもありがとうございます」


 俺は遠慮なく先輩からジュースを受け取った。

 そしてプルタブを指で引っ掻ける。


「意外でした」


 缶ジュースの蓋が開く音を聞きながら、俺をそうつぶやいた。

 桃味のジュースに口をつけていた先輩が飲み口から口を離す。


「なにが?」

「先輩が放課後も自主的に訓練していたことですよ」

「別にたいした事じゃないわよ。自分がやりたくてやってるだけだし」

「勝手なイメージですけど、先輩は天才肌だからこういう地味な訓練なんかしなくても才能だけでやっていけるんだろうなって思ってました」

「ご期待に添えるような天才じゃなくてわるかったわね」

「いや、そういう訳で言ったんじゃ」

「あのね流之介、天才というのがいるのなら、そのほとんどは人より努力したってだけの人よ。ただ、その努力を努力と思わないって所が天才なのかしれないけど、アタシにはよくわかんないわ」


 先輩はそう言うと缶ジュースを煽った。

 俺はそんな先輩に向かって頭を下げる。


「リャナーナ先輩、今日は本当にありがとうございました!」

「ちょっ、ちょっとなによ。急に改まって……」

「なんか色々考えてたんですけど、先輩と一緒に訓練してたら忘れられたので」


 俺は頭を上げてそう言うと、苦笑いを浮かべる。

 先輩はそんな俺の様子を見てふと言った。


「じゃあこれから一緒に訓練でもやる?」

「えっ?」

「いや、あれよ。アンタが嫌じゃなきゃだけどね。いつもひとりでやってたから相手がいるのもいいかなーって」

「本当ですか!?」

「あっ、アンタが嫌じゃなきゃよ!」

「嫌なんて事ないですよ。ぜひお願いしたいくらいです!」

「そう? じゃあそこまで言うならそうしてあげる」


 最後はなぜか俺がお願いしたような形になってしまったが、リャナーナ先輩と訓練できるならこれはいい勉強になるだろう。


「じゃあ明日からお願いね、流之介」

 先輩はそう言うと俺に手を差し出してきた。

 俺はその手を握り返す。

「お願いします。リャナーナ先輩」

 俺はそう答えた。


 そして次の日から、俺の放課後はリャナーナ先輩と自主トレをするという事が日課となった。

 先輩がイカロス当番ではない日は、授業が終わればすぐにシュミレーションルームへと向かう。

 先輩の教え方がいいのか、俺は日を重ねる事に自分が成長しているような気がして、訓練へとのめり込んだ。

 その間は、色々と考えなくていいという事もあったのかもしれない。


「流之介、なかなか動きがよくなって来てるじゃない」


 自主トレをするようになってから1週間くらいが経った時、珍しく先輩がそう言って俺を褒めてくれた。

 俺は鼻の頭をかきながら言った。


「リャナーナ先輩の教え方が上手いだけですよ」

「あーっ、そうだ。ねぇ、流之介」

「はい、なんですか?」

「その呼び方と敬語はもうやめない?」

「えっ? でも、先輩は先輩ですし」

「別にいいのよ。年だってそんなに変わんないんだしさ。もっと気軽にやりましょう」

「じゃあ、師匠とか呼べばいいですか?」

「なんでそうなるのよ! 普通に名前で呼べばいいの」

「えっ、でも……」

「いいじゃない。アタシもアンタのこと流之介って呼んでるんだから、これで対等でしょ」

「はぁ、じゃあわかりました」

「そうじゃないでしょ?」

「うっ――わかったよ、えっと……リャナーナ」

「よろしい」


 リャナーナは、どこか満足げな様子でそう言った。

 俺は馴れない言い方に鼻の頭をかく。

(でもこれは先輩が俺を認めてくれたってことなのかな?)

 俺はそう思うと、少し嬉しかった。


 そんな感じで俺が日々を過ごしていると、ある時教室で鯨が言った。


「おまえ、最近リャナーナ先輩と何してんだ?」

「えっ?」


 俺は鯨の言葉に目を丸くする。

 実はリャナーナと自主トレをしていることは誰にも話していなかったのだ。


(なんで鯨が知ってるんだ?)


 そう思っていた事が顔に出ていたのか、鯨はニヤニヤと笑いながら俺の肩を抱く。


「どうやったか知らねぇが上手くやったな流之介」

「はぁ? どういう意味だよ、それ」

「なんだよ、友達なんだから隠さなくてもいいじゃねぇか。おまえリャナーナ先輩と付き合ってんだろ?」

「ハァッ!?」


 俺は鯨を振り払って思わず大きな声をあげる。

 鯨は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして言った。


「なんだ違うのか?」

「ちっ、違うに決まってんだろ!」

「マジかよ、おまえらの事結構噂になってるんだぜ。放課後一緒にいる下級生の男がいるってな」

「えっ、そうなのか?」


 俺の視線が自然とミーコの方へと向いた。

 ミーコは机に座って何かをやっている。


(この噂ってミーコも知ってるんだろうか)

「おまえ、リャナーナ先輩の人気を舐めてたな」


 鯨が俺の肩に手を置いてそう言った。

 そしてさらに言葉を続ける。


「あれだけ美少女だからな。そりゃ人気もあるさ。でもなかなか手を出しづらい相手だからな。遠くで見てた奴らが多いんだろ。おまえ、夜道には気をつけた方がいいぞ」

「おいおい、鯨。冗談になってないぞ」

「まあ、そん時はオレも線香の1本くらいあげてやるよ」

「あっははは」


 俺は乾いた笑い声をあげる。

(でもまさか、そんな噂が立っていたとは……)

 こういうゴシップは広まるのも早そうだ。

 俺はまだしも、こんな誤解をされていてはリャナーナに悪い気しかしない。


「残念だけど、もう一緒にやるのはやめよう」


 その日の放課後、俺はリャナーナに噂の事を話してそう言った。

 だがリャナーナから返ってきた言葉は意外にもあっさりとしたものだった。


「そんなの好きなように言わせておけばいいのよ」

「でも……」

「流之介はアタシとそんな風に思われるの嫌なの?」


 そう言ったリャナーナの顔が、なぜかいつもよりも弱々しく見えた。

 俺はそんな表情をしているリャナーナを見てハッキリと言葉を返せなかった。


「……嫌って事はないけど」

「じゃあいいじゃない」


 リャナーナはそう言うと俺に背を向けた。

 俺もリャナーナとの訓練は楽しいし、やめたくはなかった。


(でも)


 ふとミーコの顔が頭に過った。

 知らない奴らにどう思われようとそれはいい。でも、ミーコにそう思われるのだけはなんだか嫌だった。


「ほら、なにボサっとしてんのよ。行くわよ」


 俺はリャナーナの言葉に促され、いつものようにシュミレータールームへと向かう。

 そして訓練はいつも通りに終わり、俺とリャナーナは一緒にシュミレータールームを出た。


「流之介、今日もおつかれ」

「おつかれさま」

「じゃあ、行きましょうか」

「あっ」


 俺は思わず足を止める。

 噂話の事が引っかかり、なんだか並んで歩く事が悪い事のように感じてしまう。

 すると、そんな俺の心を見透かしたようにリャナーナが言った。


「なによ、流之介。アンタまだ噂話の事気にしてんの?」

「いや、気にするなって方が無理じゃないか?」

「それにしても気にし過ぎよ。アンタに彼女とかがいるならわかるけど……」

「いや、そういう人はいないけどさ」

 俺がそう言うと、リャナーナはパッと花が咲いたように笑う。

「そうなんだ。じゃあいいじゃない!」

「いや、でもよくはないというか……」

「むっ」


 リャナーナの顔から笑顔が消える。

 そして唇を尖らせて俺を睨みつけた。


「それってどういう意味よ」

「なんというか、そのーっ」

「ああっ、もういいわ!」

 リャナーナはそう言うと俺に背を向けた。

「流之介、優柔不断過ぎ! そういうの嫌われるわよ!」


 そしてそう言い残すと、俺を残して先に行ってしまった。

 俺は去っていくリャナーナに何も言えず、鼻の頭をかいた。


「リャナーナの言う通りだな」





 リャナーナに置いていかれた俺は、ひとりで男子寮へと向かう道をトボトボと歩く。

 夏に近づくに連れて日は長くなってきたが、さすがにこの時間ともなると日は落ちていた。

 薄暗い道を歩きながら俺は小さなため息をつく。


「俺は何をやってんだろうな」


 最初は悩みを紛らわすようにのめり込んでいた訓練だったが、また変な事が起きてしまった。

 それもこれも誰が悪いという訳ではない。

 しいて言うのならば、きっと俺が悪いのだろう。


(結局的、俺は何かが壊れることが怖くて逃げているだけじゃないか)


 ミーコとの事も、鯨との事も、リャナーナとの事もそうだ。

 ハッキリさせてしまえば、何かが変わる。

 それが怖いだけだ。


「臆病者」


 俺は自分に向かってつぶやく。


「――――――!」

「んっ?」


 と、どこかから誰かの声が聞こえた気がした。

 俺は立ち止まって耳を澄ます。


「―――やッ!」

(やっぱり聞こえる)


 俺はそう思い、視線を周囲に巡らせた。

 だが、人影はどこにも見えない。

 なんだか胸騒ぎがした俺は寮へと続く道を外れ、人気のないグラウンドの方へと飛び出した。


「誰かいるのか!?」

「―――たすっ、んんッ!?」

(この声は!?)


 俺は声の主にピンと来て顔を強張らせる。


(間違いない、この声はリャナーナだ!)


 俺は声が聞こえてきた方へと猛然と駆けだす。

 声が聞こえてきたのはグラウンドにある訓練用のエクスユニットの格納庫と重力試験場の間だ。


「リャナーナ!」


 俺が叫びながらそこに辿り着くとリャナーナが男に組みひしがれていた。

 その姿に俺は頭にカッと血が上った。

 俺は自分でもわかるほど顔を怒らせ、男に向かって行く。


「なにやってんだァッ!」


 そして俺は無我夢中で拳を突き出した。

 突然現れた俺に驚いたのか、男は俺の拳を顔にもろに受けた。

 手に嫌な感触が張り付く。

 だが、俺は怒りに任せて拳を振り抜いた。


「ぐぅっ!?」


 男が苦悶の声をあげてよろめいた。

 その隙にリャナーナを強引に自分の方へと引き寄せた。

 そして彼女を庇うように俺は前に立つ。


「ぐぅうっ、おまえか……」


 顔を抑えた男が呻くようにそう言った。

 そして憎悪に満ちた顔で俺を見る。


「リャナーナの事は俺の方が早く好きだったのに……あとから出てきたおまえがあああああああッ!」


 男が叫び声をあげながら俺に襲いかかる。

 こいつが何者かはよくわからない。だが、くだらない奴だという事はわかる。


(だから――)


 俺の頬を男の拳がえぐる。


「流之介!」


 後ろのリャナーナが叫んだ。

 俺は倒れそうになったが歯を食いしばってなんとか耐えた。

 そして俺は男を睨みつける。


「俺はお前みたいな奴の拳じゃ倒れない!」

「くっ、くそおおおおッ!」

「――やめてぇ!」


 男とリャナーナの叫びが響く。

 するとどこかから警告音が聞こえてきた。


(この音は、学園内を警戒している警備ロボットか?)


「くっ!」


 男が警備ロボットの存在に気づいて顔を歪めた。

 そして俺を睨みつけると背を向けてこの場から走り去っていく。

 去っていく男を見逃すのは癪だったが、今はそれどころではない。


「リャナーナ、大丈夫か!?」


 俺は後ろを振り返ってそう言った。

 するとリャナーナが俺に抱きついてきた。


「リャナーナ?」

「……っ」


 リャナーナの体は震えていた。

 エクスユニットに乗り、天才的な才能を持っているとはいえ、現実ではただの女の子だ。


(怖い目に合わせてしまった)


 あの男の言動からすると原因は俺だろう。あらぬ噂が悪い事を引き起こしてしまった。


「ごめん、リャナーナ」


 俺がそう言うと、リャナーナの腕がさらに俺を強く抱いた。

 俺もそんな彼女を安心させようとその体を抱いた。

 そんな俺たちの元へと学園内を警備しているロボット、バンブルビーがやってきた。

 バンブルビーは俺たちの情報をETスキャンして読み取ると、機械的な警告文を発する。

 だが今はその言葉は雑音でしかない。

 俺とリャナーナはただ抱き合い、お互いの傷を深く包みこもうとしていた。

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