第26話 あなた、真面目で良い人過ぎるわ。時には悪くならないとダメよ

「今日はやけに遅かったじゃねぇか――って、流之介!?」


 寮に戻った俺を見て鯨が驚く。

 それもそうだろう。こんな顔をしてれば誰だって驚く。


「どうしたんだよ、おまえ! 喧嘩でもしたのか!?」

「いや、まあ……少しな」


 さすがに詳細を語るわけにもいかず、俺は言葉を濁す。

 あの後、俺とリャナーナはバンブルビ―の通報を受けて駆けつけてきた警備員に連れられて職員室へと行った。

 そこには鬼更技先生がおり、何があったのかを説明をする。


「事情はわかった。とりあえず流之介は医務室に行きや。リャナーナの方はウチが送って行く」


 先生にそう言われ、俺はその通りに従った。

 リャナーナが俺の顔を見て何か言いたそうにしていたが、俺は口元にだけ笑みを浮かべると職員室を後にした。

 そして医務室で手当てをしてもらい、今こうしてここに戻ってきたわけだ。


「ったく、あんまり無茶するんじゃねぇぞ? それより腹減った。飯行こうぜ、飯」


 鯨はそう言うと、俺の横を通り過ぎて部屋を出て行く。


「ありがとな」


 深く話を聞かないでくれた鯨の背中に、俺は小さな声でそう言った。

 そして俺も鯨の後に続いて部屋を後にした。


 次の日。

 昨日の事は伏せられているのか、学園内で噂になっているような事もないようだ。

 リャナーナの事を思うと、俺は少し安心する。


「リュウちゃん、どうしたの!?」


 俺が席に着くと、ミーコが一番に側にやってきて声をあげた。

 俺は苦笑いを浮かべて言った。


「いや、ちょっとな」

「喧嘩したんだとさ」


 鯨が自分の席からこちらへとやってきてそう言った。


「えっ、リュウちゃんが喧嘩?」

「まあ、そんな所だ」

「リュウちゃんがそんな事するなんて信じられない」

「俺だって男だからな。売られた喧嘩は買うさ」


 俺はそう言ってファイティングポーズを取って見せる。

 だがミーコはなんだか納得のいかない顔をして首を捻った。


「うーん。私にはよくわからないけど、もう危ない事はしちゃダメだよ!」

「うっ、はい」


 俺はしょんぼりと肩を落とした。

 ミーコはそんな俺を見て小さなため息をつく。


「わかってくればばいいけどね。それより、傷は大丈夫? 痛くない?」

「大丈夫。心配してくれてありがとな、ミーコ」

「ううん、そんな感謝されるような事じゃないよ」

「いや、素直に嬉しいからさ」

「えっ、ああっ、そうなんだ」


 ミーコが髪をいじって少し俯く。


「星野くん」


 と、いつの間にかミーコと鯨の間に立っていた深沢が俺の名前を呼んだ。


「うおっ、おまえホントにいつの間にかいるよな!」

「おバカさんには用はないの」

 深沢は鯨にぴしゃりとそう言うと、俺へと視線を向ける。

「お客さんが来てるわよ」

「えっ、俺に?」

「ええ」


 深沢はうなずいて、教室の入り口を指差す。

 するとそこにはリャナーナの姿が見えた。


「リャナーナ?」


 俺は席から立ち上がり、入り口の方へと向かう。

 鯨やミーコ、深沢やクラスメイトたちの視線を背中に感じる。

 先ほどまで騒がしかった教室も少しばかり静かになったような気がした。


「ごめんね、教室まで来ちゃって」

「いや、俺は大丈夫だけど……その、リャナーナの方こそ大丈夫なのか?」

「大丈夫よ、あんな事くらいじゃアタシはへこたれたりしないわ」


 リャナーナはそう言うと、いつものような勝気な笑顔を浮かべた。

(もしかしたら強がっているだけかもしれないけどな……)

 俺はそう思うも顔には出さず、リャナーナと同じように笑う。


「さすがリャナーナだな」

「まあね」

「で、何か用事があって来たんじゃないのか」

「ああ、そうだったわ。あのね、放課後の自主トレなんだけど、昨日舞に禁止されちゃったの。だから当分はもう一緒に訓練は出来ないと思う」

「そうか、まあしょうがないよな」

「その、だからごめんね流之介。アタシのせいで……」

「そんな! リャナーナが謝ることなんて何にもないって!」

「――流之介」

「うん?」

「昨日ちゃんとお礼が言えなかったから言うね」

「ああ、別にいい――ッ!?」


 リャナーナの手が顔に伸びてきたと思ったら、俺の呼吸が止まる。

 いや、正確に言うとそうではない。

 俺の口がリャナーナによってふいに塞がれたのだ。

 一瞬なにが起きているのかわからなかった。

 だが、リャナーナのやわらかな唇の感触が、俺に今何が起きているのかをよくわからせてくれた。


(うっ、嘘だろ!?)


 俺はそう思わずにはいられなかった。

 教室にいる大勢のクラスメイトたちの前で、俺はいまリャナーナとキスをしていた。

 すべての時が止まったかのように周囲がしんと静まり返っている。

 俺が戸惑っていると、やってきた時と同じように、リャナーナの唇は俺の口からふいに離れた。


「ありがとう、流之介」


 頬を赤く染めたリャナーナが、見た事もないような優しい顔で俺にそう言った。

 俺が茫然としていると、リャナーナはくすりと笑う。

 そしていつものような調子で言った。


「流之介、今度デートでもしましょう。じゃあね!」


 ひらひらと手を振り、リャナーナはこの場を去っていく。

 だが残された俺はその場に固まったまま動けなかった。

 後ろを振り向くことができない。

 クラスメイトたちに今起こった事をすべて見られていたのだ。

 いや、クラスメイトたちはまだいい。ミーコにも見られてしまったのが問題だ。


(お、俺はどんな顔をすればいいんだ)


 ぐるぐると無駄な考えが頭を回る。

 だがいつまでもこのままという訳にもいかない。

 俺は意を決して後ろを振り向いた。


 すると、多くのクラスメイトたちは俺から目を逸らし、よそよそしく会話を始めた。

 教室内の時間が再び動き出し、朝の喧騒を取り戻す。

 俺は恐る恐る視線を動かしてミーコや鯨、深沢がいるであろう自分の席の方を見た。

 鯨は目を点にしてぽかんと口を開き、深沢は頬を赤く染めて口元を手で覆っている。

 そしてミーコは、俺と視線が合うと眉をひそめて目を逸らした。

 俺の胸がちくりと痛む。

 俺は早足で自分の席に戻り、口を開いた。


「あっ、あれは違うんだ!」

「おいおいおい、何が違うんだよ!」


 笑いながら鯨が俺にヘッドロックをかける。


「星野くんって、意外と大胆なのね」


 深沢がそう言って頬を両手で覆う。

 俺は鯨のヘッドロックを振りほどき、ミーコに言った。


「いや、あれはホントに違くてだな! リャナーナ……先輩が勝手に!」

「違うってなにが?」


 俺の顔を見ず、少しきつい口調でミーコがそう言った。

 俺はくじけそうになったが顔を引き締めて言葉を続ける。


「俺とリャナーナ先輩はなんでもないんだ」

「なにそれ……リュウちゃんひどい。そんな言い方先輩がかわいそうだよ」

「それはそうかもしれないけど、俺は――」

「私には別に関係ないもん!」


 ミーコはそう言うと俺の顔を見た。


「リュウちゃんと私は、ただの幼なじみでしょ?」


 ミーコの言葉がぐさりと胸に刺さる。


(ミーコは本当にそう思ってるのか?)


 俺はミーコの顔を見据えた。

 表情はキツイものだが、その瞳はいまにも涙が溢れ出しそうに見える。

 そんな顔を見られたくなかったのか、ミーコは俺から顔を逸らすと走って教室から出ていってしまう。


「美衣子ちゃん!?」


 鯨が心配そうな声をあげる。

 そして俺へと視線を向けた。


「おい、流之介? いいのかよ」

「……鯨、おまえがいけよ」

「でもよ――」

「いけって」


 俺の言葉に鯨は眉をひそめる。


「しらねぇからな」


 鯨はそう言い残すと、ミーコの後を追って教室を出て行った。

 後に残った深沢は、教室を出て行ったふたりと俺の様子を交互に見るとつぶやいた。


「あら、なんだか面白そうな展開ね」

「面白くなんかないさ」

「星野くんって真面目で良い人なのね」

「悪かったな」

「でもあなた、真面目で良い人過ぎるわ。時には悪くならないとダメよ」


 深沢はそう言い残すと、自分の席へと戻っていった。

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