(3)
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「…なんで居るんだ、お前」
お昼前、物理実験準備室の入り口に立った新島に半眼で言われた。そういう釣れない言葉は翠の予想通り。喜んでくれたって良いじゃん、とは内心は思ったけれど。
今日の新島はスーツではなく、ベージュのスラックスに、半袖の青系のシャツという普段では見ない出で立ちだった。
「先生に会いに来ちゃったー」
えへへと笑った翠に、新島はため息をつく。
「休み中まで来るなよ」
定位置であるいつもの実験台に足を向けながら新島は言う。
「なんでぇ?」
「目立つだろ? 部活もなんもしてないのに夏休みにこんなとこまで来て」
「そんなの、いつも一緒じゃんー」
翠は不満に口を尖らせた。学校があっても、部活も何も無いのに毎日ここに来ていた。だったら同じではないか。
「そりゃ、まぁ……そうだけど」
諦めたようなそんな口調で新島は言って、壁際の完全に物置と化している実験台の下に置かれた猫型冷温庫からペットボトルの水をとりだして、ごくごくと飲む。
「だって、家で宿題してもはかどらないんだもんー」
「図書館でも行けばいいだろ?」
「ここがいいの! それより、先生そんな格好もするんだね」
話を逸らそうと思ったわけではなく、自然と口から出ていた。スーツ姿の新島しか見たことがなかったから、今日の服装は翠には新鮮だった。少しラフになっただけなのにスーツと全然印象が違う。スーツだとキツそうな印象が強くなるというか、真面目そうというか、良くも悪くもインテリっぽい。あくまで見た目の印象だけど。
喋ると言葉遣いは荒めで、しかも容赦ない言いっぷり。物理を取ってる友達に聞いたら、授業中は結構怖いというか、無言の圧力が凄いらしい。なんというか、普段翠が見ている通りの新島だった。
だけど、今翠の目の前で実験台に寄りかかって、ペットボトルの水を飲んでる姿は、それこそ普通のその辺に居そうなお兄さんだ。学校の先生だと思わなければ、別にそこまで気にする口の悪さでもない。
「休み中くらいはな。別に普段もスーツ指定ってワケじゃないぞ」
「そーなの??」
「ん。変なカッコしてくると文句言われっからスーツ着てるだけ」
「じゃぁ、私服で来てもいいんだ?」
「まぁね」
考えてみたら、体育の先生は一日中ジャージだ。体育の先生じゃないけど日本史の先生もそういえばいつ見てもジャージだ。スーツじゃなかったらジャージが許される職場なのか。学校って変なトコ、と変に納得した翠だった。
翠は新島のジャージ姿を想像してみたものの、なんだかしっくりこない。……スーツだよ、やっぱ。その方が似合うもん、と考えながら、翠は新島を改めて見る。背はすっごく高くはないけど、別に低くはない。175cm位かな?髪は真っ黒、眼鏡をかけたインテリ系で、やや細身でスーツが似合う。
普段はどんな服を着ているんだろう?
「先生の私服見てみたい」
「却下」
興味本位で言った言葉は、容赦なく一蹴されてしまった。
「先生のけちぃ」
「俺、職員室で仕事あるから。……あんまフラフラ出歩くなよ」
新島は、ふくれっ面をした翠の頭にぽんっと手を置いて、机の上においてあったクリアファイルを手に物理実験室準備室を出て行った。一人残された、物理実験準備室。
ここに一人でいるのは、だいぶ慣れた。
最初はちょっと落ち着かなかったけど、最近はすっかり馴染んで、学校のどこよりも居心地がいい。なにより、この部屋で待ってたら必ず新島に会えるし。戻ってこないメールに憂鬱になるよりずっと良いや、と翠は伸びをした。会ってもメールでも言葉はそっけない事に変わりはないけれど、会ったら頭撫でてくれる。ちゃんと目を見て話してくれるし。
言葉では来るなって言っていたけれど、その声音も呆れたように笑った眼差しも、本気で怒っていたりするわけじゃない。表情が見えるから…言葉が少なくても十分だった。
翠が何か飲もうと猫型冷温庫を開けると、中には水と缶コーヒーと、紙パックのりんごジュース。
新島はジュースを普段飲まない。だからこれはあたしの分、と翠は思った。冷温庫のラインナップは、ここに居てもいいと言ってくれている気がした。
「それにしたってさ、私服くらい見せてくれたっていいじゃんねー、猫ちゃん」
あんたの飼い主けちんぼだよ?と翠は猫型冷蔵庫の頭を撫でた。
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