(11)
「すーい。おはよ」
朝、まだ登校している生徒もまばらな頃。振り返ると嬉しそうににこにこ笑った美咲の顔があった。
「渡辺から聞いちゃったぁ~。付き合っちゃったんだってぇ?」
つんつんと腕をつつかれて翠は思わず顔をそらした。それを照れと取ったのか美咲は翠の腕に腕を絡めて来る。
「良いヤツでしょ?アイツなら無理矢理とかしないしさ」
「む、無理矢理って!!」
無理矢理、という言葉に思い出すのは半年前の事で翠は思わず声を荒げた。そのあまりの音量に、教室に居たクラスメートが何事かと翠と美咲を見るから、翠は慌てて美咲を廊下に引っ張り出した。
「ちゃんと付き合うまでは手、出さなかったでしょ?」
そんな大袈裟に反応しないでよ、と美咲は小声で言って苦笑した。だけど翠にとっては十分過ぎるほど、痛い傷だ。そもそも大輔とだって付き合いたいわけじゃなかったのに。自分でもどうしてこんなに言葉が出ないのか判らないくらい、男の人と二人になると怖くて声が出なくなる。
先輩の事を、出来れば誰にも話したくない。思い出したくも無い。だけど、話さなかったら……きっと遠く無いうちに手を繋ぐだけじゃなくなる…。
やっぱり……今は誰とも付き合いたくない。
何度考えてもたどり着く答えは一つで、翠はため息をついた。
「何ため息なんてついて。せーっかく夏休みなんだからさ、たーっぷりラブラブしちゃいなってぇ。さっそく今日の午後とかさ、デートしたらいいじゃない」
お気楽に言われながら、翠は忘れていた現実に愕然とした。
「今日って…部活無いの?!」
「無いよ。終業式だもん」
当たり前じゃないといわれて、翠は盛大にため息をついた。
終業式はあっさりと終わってしまって、HRの後に携帯を見ると大輔からメールが来ていた。
『教室で待ってるから』
その一言で、大輔のクラスの方が先にHRが終わったことが知れた。
「すっい~、じゃぁ渡辺と仲良くね。メールするから遊ぼうね~」
ニコニコと手を振って帰っていく美咲に翠は上の空で手を振った。
どうしよう…… すぐ行かないとやっぱ駄目なのかなぁ?
夏休みに入ったら、新島ともしばらく会えなくなってしまう。HRの後に少しでいいから会いに行こうと思っていたのに、大輔が先に終わっているとなると、それも難しい気がして翠はため息をついた。
昨日、ちゃんと話さずに憎まれ口を叩いて出てきたのが悔やまれた。今日も行くと新島には宣言していたのに……
ちょっとだけ、ちょっとだけならいいよね……?
翠は物理実験準備室に向かって駆け出した。
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北校舎の1階には物理実験室、化学実験室、生物実験室、地学室と4つある理系教室が集まっていて、物理実験室は化学実験室と向かい合うように奥にある。校舎の北側に面して一日中日陰になるこの部屋は、真夏でも他の部屋ほど気温が上がらない。
「せんせー?居る?」
ちょっとひんやりとした空気の廊下を駆け抜けて、翠は物理実験室の奥にある物理実験準備室のドアを開けた。だけど、そこには新島の姿は無い。
やっぱり居ない…かぁ…。
予想はしていたけれど、翠はため息をついてポケットから折りたたんだ紙を出した。それは、新島に会ったら渡そうと思って準備していた物だった。
4月から新島は3年7組の担任になった。だからHR直後の時間帯はここに居ることが殆どない。1年生の頃、といっても知り合ったのが2月の末だから、ここに来るようになったのは、3月だけど。その頃は会いにきたらほぼいつでも会えたのを思い出す。
少し待って会えるなら待っていたいけれど、それすらよく判らない。一人なら新島が来るまで待っていられるのに。
これ、置いていって大丈夫かな……
翠は手に持った紙を見つめて少し考えて、諦めて新島が使う実験台の上にそれだけおいて物理実験準備室を後にした。
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