(2)

 ◆◆◆


 美咲と会ったのは、夏休みに入って2日目の夕方。部活を終えた美咲と駅のコーヒーショップで待ち合わせをした。


 大輔には、結局何も言えなかった。直接会って言うべきなのは判っていたけれど怖くて堪らなくて、電話で「付き合えない」と一言伝えるのが精一杯だった。


 「だめだったって、渡辺から聞いたよ」


 美咲は、翠と大輔が別れたことを特に気にしていない様子で言った。


 「うん…ごめんね。折角紹介してくれたのに…」


 翠のせいで美咲が部活で居心地悪くなったりしないか凄く心配で、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「ううん、大丈夫。元々渡辺にどうしてもって言われて会わせたし。翠、道又先輩大好きだったから、だめだろうと――」


「道又先輩は関係ない!!」


 思わず出た声は、翠が思って居た以上に大きかった。美咲は驚いたように目を丸くしてて、翠は慌てて手元にあったカフェオレのストローをくわえた。カフェオレと一緒に溢れ出して来た色々な気持ちも飲み下して、翠は息をついた。


「ごめん……。本当に道又先輩は関係ないの」


 嘘をついた。関係ないどころか、大有りなのに。だけど、美咲が思っているような理由ではないのだ。むしろ逆で……美咲にもまだ、話す勇気が出ない。美咲は何か言いたげな様子で翠を見つめていたけれど、翠はその視線に気づかないフリをした。


 その後は、他愛のない会話をしようとしたのに、全然弾まなかった。


「ねぇ、翠」


 お店を出たときに美咲は少し言いにくそうに切り出した。


「言いたくないなら言わなくても良いんだけど……。でも、私は何があっても翠の味方だから。だから私に何か出来るなら、……話して欲しい」


 美咲の言葉が嬉しかった。だけど、結局…翠は美咲に全てを話すことは出来なかった。道又先輩にされたことを軽蔑されるのが怖くて。あとは新島の事を、誰にも……話したくなくて。


 誰かに話したら、今の新島との関係は、あっけなく壊れてしまうような気がしていた。


 美咲と別れた後、家に帰ろうと駅に向かって歩き出した翠は、前から歩いてくる人に目が釘付けになった。


 道又先輩……?


 ゾクリと背中を悪寒が走って、ぎゅっと自分の身体を両手で抱き締めた。


 違う!!絶対違う!!道又先輩は遠くの大学に行ったから、こんなトコに今居るわけない!他人の空似で……絶対別の人…っ


 頭の中では理性的に考えられるのに、身体は違った。足が震えて立っていられなくて……


 気がついたときには、駅ビルのベンチに座ってた。周りは何事もなく動いている中、ぽつんとベンチに座ってボーっとしていた。


 家に、帰らなきゃ……


 翠はそう思って駅の改札に向かって歩き出したけど、足元はふわふわしていて、これが夢なのか現実なのか判らなかった。


 抜け殻の様な状態で家に帰って、頭まで布団を被っていたら、カバンの中から携帯電話が鳴る音がした。出たくない。

そう思っているのに、電話は鳴り止まなくて。


 渋々ベッドから這い出して携帯電話を手に取った翠は、表示されている名前に目を丸くした。


『新島せんせ』


 うそ? 信じられない。なんで先生から電話?! っていうか出なきゃ!!


 あまりに驚いて携帯を手にフリーズしていた翠はあわてて通話ボタンを押した。


「もしもし先生?」


 番号交換はしたけど、新島から電話がかかってくるなんて考えもしなかったのだ。


「北川? お前今どこだ?」


「え?今、家……」


どこって? やだ、なんかのお誘い?! 翠は部屋で一人、一気に熱くなった頬に思わず手を当てる。電話の向こうからは駅のアナウンスや、電車の発車メロディーもかすかに聞こえてきていた


「ちゃんと帰ったんだな? ならいい」


 少し緊張していたような新島の声が、わずかに柔らかいトーンに変わって、安堵したのだと伝わってきた。だけど、ちゃんと帰ったって何? どういう事?? 聞き流せずに首を貸した翠に、更に新島が続ける。


「人違いだって思ってるんならあんなに取り乱すなよ。心配になるから」


 何の話……?


「あのー先生、話がよくわかんないんだけど……」


「……お前、もしかして俺に電話寄越したの覚えてないのか?」


「…え?」


 新島に電話を掛けた? 覚えていないのかと言われても、翠には全く覚えがなかった。


 もしも本当に電話をかけたとしたら、道又に似た人を見かけてから、駅ビルのベンチに座ってるのに気がつくまでのあの間しか思いつかなかった。


「覚えてないんだな?」


 電話の向こうで新島がため息をついたのが判った。


「先生、あたし、なんて電話したの?」


 新島に電話して、一体何を話したのか不安になった。


「いや、いい。お前が本当にヤバかったのがわかったからいい。もしまたなんかあったら電話寄越せよ」


 新島の電話はそれだけで、あっけなく切れた。


 ヤバかったとは一体どういうことなのだろう。それが引っかかりはしたものの、嬉しかった。これを喜んではいけないのは判っているけれど、新島に心配してもらえるのが、ちょっとだけ特別な感じがして嬉しかったのだ。


 だけどそんな「何か」なんてしょっちゅう起こるわけもなく。新島に電話をするような機会はないまま、何もしないまま夏休みは過ぎていく。翠は何度かたいしたことの無いメールを送ってはみたけれど、新島の返事はいつもそっけない。むしろ疑問系で出さなきゃ返信がないのでは?という勢いだ。


 今も何てメールを送ろうか?と考えながら翠はベッドに転がっていたけれど、返事をもらえそうな内容が思い浮かばない。ご飯何食べた? 今日は何してた? そんなことを聞いてもきっと返事が返ってこない気がして、翠はかれこれ30分はメールの推敲を重ねていた。


 新島はもともとそんなしゃべる方ではないし、もちろんメールに即返事を返してくれるわけでもない。そんな人だから、会って話さないと気分が出ない。


 ……会いに行っちゃおうかな。


 ふと思い立ったことに、ベッドからぴょこんと跳ね起きた。


 考えてみたら、新島は夏休み中も学校に居ると言っていた。夏休みはあと1週間くらいある。夏休みの宿題を新島の所でやればいいのだ。


 明日、学校に行こう! と翠は携帯を放り出してウキウキと支度をはじめた。

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