(14)


 駅の階段を下りてロータリーに向かうと、見慣れた先生の車が停まっていた。助手席側のドアを開けて乗り込むと、先生がちょっと微妙そうに首を傾げた。


「……なんかまだ見慣れないな。その髪」


 苦笑交じりの先生の言葉に、視界の上の方に入っている前髪をそっと指先でつまんでみる。先週末、ふと思い立ってバッサリと髪を切った。更にカラーもして、軽くパーマもかけて、私としては、着たかった服を着るのがもっと楽しくなった。


 ずっと黒髪ロングだったのを急にショートにして、カラーもしたものだから会社では散々二度見されたし、返事をしても気づいてもらえなかったりもしたけれど、少なくとも同期の女の子達には可愛いと言ってもらえた。肝心の先生は、何も言ってくれないけれど。


「そんなに似合わない?」


「いや、んなことないよ。つーか、その髪あれっぽいんだよな。んーと……あれ」


「あれって言って出てこないの、歳なんだよ」


「うるせぇな。しばくぞ」


 舌打ちした先生に睨まれるけれど、先生はちゃんと加減してくれるのを知ってるから、怖くは無い。


「あぁ、思い出した。あれだよ、トイプードル」


「……それ、犬じゃん」


「お前、犬よりは猫っぽいよな」


 何それ、と拗ねた私を他所に、先生はくしゃくしゃと私の髪を撫でて笑う。可愛いとか、似合うとか、他に言うこと沢山あるじゃん、と口を尖らせてしまう。


 そんな会話をしながらも、先生と会って緊張の糸が切れたのか一気に眠気が押し寄せてくる。仕事を終えた疲れもあったけれど、ここ最近あまりよく眠れていなかったのもあって、車の揺れが少し心地よい。 


「昨夜も全然寝れなかった」


「大丈夫だよ。友達だろ?」


 先生の言葉に頷いたものの、漠然とした不安は簡単に消えてはくれない。


 明日、ほぼ5年ぶりに美咲と圭ちゃんに会う。自分から会いたいと連絡したくせに、いざ会うとなったら凄く不安で、夜に何度も目を覚ますようになってしまった。あまりにも寝不足なので今日は先生の所に泊めてもらう。先生の傍なら、きっと安心して眠れるから。


「眠かったら寝てていいぞ」


「ううん、頑張る」


 先生の家までは30分位だから寝ないようにしようと思っていたのに、いったん切れてしまった緊張の糸をもう一度張りなおすことは出来なくて、結局眠ってしまった。


「わぁ、なにこれ?」


 先生の家に着いて、私はびっくりして思わず声をもらした。本棚の本が紐で縛ってあったり、箱につめてあったり。まるで、引越しでもするみたいだったから。


「あぁ、ちょっと片付けてた。ついでに引越し準備しといてもいいかと思って」


「先生、転勤するの?!」


 遠くに言っちゃうの?! と弾かれた様に傍らの先生を見上げる。


「今言われてないってことは転勤はしないんじゃないかな。多分。これから言われるる可能性も0じゃないけど」


「え、じゃぁなんで?」


「なんでって……お前、別居婚するつもり?」


 ベッキョコン…? 一瞬、その言葉を頭の中で変換できなくて、一拍遅れてから「えぇ?!」と声を上げた。その意味は理解できた私だけど、まさかそんなすぐとか思ってなかったというのが本音。


「ここじゃお前1人で帰ってくるの大変だろ。バス無いわけじゃないけど、時間かかるし。俺の仕事終わるまでいつも待たせるわけにもいかないし。大体、駅まで送り迎え行くのめんどくせーし」


 先生の言葉を聞きながらも、あまりにも実感が無くてぽかんとしてしまう。


「あ、クローゼットの衣装ケース幾つかあけたから、使って良いぞ」


「え?」


 相変わらず言われた事を把握できていない私に、先生の呆れた視線が突き刺さる。


「だから、お前の服。家においてある分ちゃんとしまえよ」


 先生は、さっきから頭の回転が滞っている私に完全に呆れているけれど、私の頭は未だに話の流れについていけていない。先生の言葉が右から左へ流れていくだけで全然理解できていない。


「今度、部屋探しにいくからな」


 部屋探し? 本当に? 頭の中ではいろいろな単語が?マークと一緒に踊っていたけれど、私はとりあえず頷いた。


「ふ、服片付けてくる」


 足元がふわふわするようなそんな感覚で寝室に入って、自分の服が入っている籠の前にペタンと座り込んだ。確かに嫁においでと言ってもらっていたけど、何となく勝手に“近い将来”とか“そのうち”とか漠然と思っていたのだ。まさか、そんなすぐに引っ越すなんて。


 服を片付けに来たはずなのに、頭のなかをいろいろな事が駆け巡って、全く手に着かない。ああ、もうやだ。どうしよう。熱を持った頬に両手を当てて、思考をどこかに逸らしたくて部屋の中を見渡すと、ふと段ボールの中に見慣れた背表紙があるのに気が付いた。


 大判の本と一緒に、一冊だけ高校の卒業アルバムが入っていた。先生自身のものではなくて、それは……私の部屋にあるのと同じ、私の学年の卒業アルバム。


 先生、持ってたんだ。先生と付き合う前は、先生に会いたくてよく開いていたけれど、付き合いだしてからは全然見ていなかった。何気なく手を伸ばしてパラパラとめくると、はらりと小さな紙が落ちてきた。


 心臓が、止まるかと思った。見なくても、中に何が書いてあるか覚えてる。


 卒業式の日、私は物理実験準備室に行ったけど、先生は居なかった。だから私は、先生の机の上にあった適当な紙に手紙を書いた。色々書こうとしたけど、なかなか書きたい事がまとまらなくて。少し書いては内容が気に入らなくて破ってを繰り返していったら、気づいたときにはA4サイズだった紙ははがきくらいの大きさになっていた。


 好きと怖いの間を彷徨っていた気持ちは全然まとまらなくて、ただ涙ばかりがが溢れたのを、今でも覚えてる。泣きながら一言だけ、どうしても言いたかった言葉だけを書いて、先生が戻ってこないうちに物理実験準備室を逃げ出した。


 卒業式の日に適当に挟んで、忘れたの? それとも…ちゃんと持っててくれたの?


 その答えは先生に聞くまでも無く、何気なく視線を戻した卒業アルバムが教えてくれた。


 18歳の私が居た。


 この手紙が挟まっていたのは文化祭の写真のページ、圭ちゃんと一緒に笑ってる私が居た。先生はちゃんと卒業アルバムの中の私を探してくれたんだ。私が授業中の先生を探したみたいに、クラスの写真じゃなく、ちゃんと笑ってる私のこと探してくれたんだ。


 嬉しくて泣きそうになって、急いで卒業アルバムを片付けて、キッチンに居た先生の背中にしがみついた。


「翠?」


「大好き」


 背中から先生の胸に腕を回してぎゅっとしがみつくと、先生が苦笑する。


「急になんだよ」


 先生のつれない態度がちょっと憎たらしかったりもするけれど、5年経った今も先生に言いたいことは何も変わってない。あの頃の私が言えなかった分たくさん言おう。


「先生、大好き」


 だって今なら……何のためらいも無く言えるから。


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