(13)


 月曜日、お昼休みになるや否やさやかと里美に捕まって連れてこられたのは、会社のビルに入っているレストランの一つ。夏帆はともかく何故だか愛香まで居て、同期女子が勢ぞろいしていた。


「翠! うちらに何か言う事あるでしょ?!」


 里美の言葉に何も思い当たらない私が、きょとんとしてみんなを見回すと、ドンッと勢い良くさやかがコップを置いた。


「しらばっくれても無駄なんだよ、証拠はばっちりつかんであるんだから」


 本当に、一体何の話なんだろうと首をかしげる私に、ニヤリと笑って里美が言う。


「翠ちゃん、土曜日の夜に電話に出たのはだぁれ?」


 ……電話? 土曜日の夜? 全く心当たりが無くて首を傾げてしまう。


「電話ってなに?」


「何って……聞いてないの?」


「聞いてないって何を?」


「えぇー……着信履歴、見てよ」


 出鼻をくじかれたらしく、ちょっとテンションの下がったさやかに言われるまま、私は自分のスマホの着信履歴を開いてそして…思わず呟いてしまった。


「……何これ」


 私のスマホの発着信履歴にはずらりと10件以上もさやかと里美からの着信があったから。


「ホントに知らないの?」


 怪訝そうな表情でさやかが私を見るから、首をかしげながら頷いた。こんなに着信があったことを、今の今まで本当に知らずにいた。


 どうして不在着信の通知が消えていたんだろう? そう思いながら、この時間何していたのかを考えながら並んだ着信の時間を見る。


 土曜日の夜9時過ぎ。記憶をたどって、思い出した事実に思わず「あ」と声を漏らしてしまった。


 寝てた。私、この時間、先生の部屋で寝てた。


「この電話…誰か出たの…?」


 さっき電話に出たのは誰とか云々と言っていたのを思い出して、一抹の不安を覚えつつ、おずおずとさやかと里美に視線を向ける。


「出ましたよ。男の人が。あの方はどちら様で?」


 そう言ってくるさやかの表情が、物凄く……拗ねている。あまりの言い難さに視線を逸らすと、愛香が肩を震わせて笑ってて、夏帆が苦笑いしていた。


「か……」


「か?」


「か、彼氏……です。ご、ごめんなさい」


 むぅっと膨れっ面のさやかと、釈然としない様子の里美に、もう一度「ごめんね」と小さく謝る。


「いつから?」


「え?」


「いつから付き合ってたの?!」


「ええと、1月の末から」


 正直に答えながらも、あまりの気まずさに視線を逸らしてしまう。


「そんな前から?! 言ってよ!!」


「そうだよ、言ってくれたらうちらも菊池に巻き込まれなくて済んだじゃん!」


 口々に言うさやかと里美に、私はとにかく謝るしかない。


「は……はい。本当にごめんなさい。それで、土曜日何かあったの?」


 こんなに電話をもらった事なんて今まで無かったから、何か急用でもあったのかちょっと心配になって尋ねると、返ってきた答えは何とも微妙。


「飲んでたのよ。なんか、成り行きでさ、同期の変なメンバーで。でね、菊池も居てね。翠の事呼べってうるさくて。それで、電話したのさ」


「翠、全然でなくてさ。こっちも酔ってたしムキになってガンガンかけたら……。さっきからうるせぇんだよって…男の人が出た」


「……」


「翠なら寝てるけどなんか用?って…… もうすんごいびっくりしたんだけど」


 そんな話、こっちがびっくりします。とは言えず、何もコメントできずに手元のスマホの着信履歴を見る。確かにたくさんある着信の最後のは電話に出たらしく、矢印のアイコンが一つだけ違う。これだけ電話が鳴ったのなら、うるさくて先生がキレたのは、想像に容易い。


 さっきからうるせぇんだよって…… うん、すっごく言いそう。


 休日の私のスマホなんてほとんど鳴らないのもあって、日曜日はずっとほったらかしていたから、気づいた時には電池が切れていた。多分それで着信があったことを示すアラートは消えてしまったのだろう。携帯の着信履歴なんて普段確認しないから、今まで全然気づいていなかった。


 先生、電話出たなら言ってくれたって良いのに。そう思ったけれど、単に言い忘れただけという気もしなくも無い。だって、一昨日の夜は今思い出しただけでも頬が火照りそう。昨日だって、一日中くっついてたというか、離してもらえなかったのに。全然離してもらえなかった。本当に一日中、先生の腕の中に居させられた。いつもの涼しい顔で、私にあんなことやこんなことして…ホント…あの人酷い。


「さすがの菊池もバレンタインの夜に男と一緒に寝てるんじゃ諦めたみたいだけどね」


 さやかははぁとため息をついた。


「さやか達、翠にあっさり出し抜かれちゃったわけね。で、夏帆はいつから知ってたわけ?」


 愛香はあははと軽く笑って、例によって1人けろっとしている夏帆に視線を移した。夏帆はふふっと口元に笑みを浮かべる。


「付き合う前から。翠が激鈍すぎてどうなるかと思った」


 そんな夏帆の答えに愛香が「やっぱり鈍いんだ」とクスクス笑う。そこまで鈍いつもりは無かったんだけど、やっぱり私は傍から見ると鈍かったらしい。


「ええー、ちょっと何それ。なんで夏帆はいっつも最初に聞いてるわけ?!」


「そりゃ、さやかと里美は口が軽すぎ」


 愛香がさも当然そうに言って、不満げな表情をしているさやかと里美をニヤリと見て付け足した。


「二人とも、前科持ちだしね」


 クスクス笑う愛香に気まずそうにさやかと里美が目を逸らす。愛香が言う前科、それは夏帆と竹原さんが付き合いだした時の事。姦しいこの2人に知れるや否や、あっという間に営業部の全員に知れ渡っていった。


「それにしても、翠に彼氏かぁ……」


 本当に意外と言う様に愛香が私を見る。私だって自分でびっくりしてる。だって、3週間しか経っていない。先生から電話が来たのが……丁度3週間前の月曜日。6年間言葉も交わさなかったのに、たった3週間で結婚の約束までして、今でも頭がパンクしそうだ。


「で、服も彼氏の好みに合わせちゃったわけ?」


 そう言って視線を向けられた私の今日の服は、土曜日に藍と買った服。着替えを持たずに先生の所に行ってしまったから、これらを着ざるを得なかった。なるべく地味にコーディネートしたものの、やっぱり今までの服とはだいぶ違った格好になってしまっていた。


「んー……服はそういうわけじゃなくて。女子力皆無とか散々言われて」


 そういえば、ちゃんと確認したことは無いけど、先生ってどういう女の人が好みなんだろう。私、自分の好きな服ばっかり買ったけど、先生の好みからかけ離れてたりしないのかな?


「彼氏に?」


「ううん、妹に」


「……」


 沈黙を破って最初に笑い出したのは、夏帆だった。


「ごめん、笑っちゃった。だって、妹って」


「すっごい言われたんだから。その格好で出かけるのありえないとか。女子力どこに落っことしてきたんだとか。下着すら女子力無くてでガッカリしたとか。そんなでどーやって彼氏落としたんだとか」


 それはもう、清々しいほどに思いっきり私の格好を全否定してくれた。


「心配してくれていい妹じゃん」


 夏帆はクスクス笑いながら言う。


「それにしたって、もうちょっと言い方があるじゃん……」


「身内だから言えるんだよ」


 それは、確かにそうだ。相手が藍だと言われて腹も立つけど、でも許せるというか、憎めない。姉妹ってなんだか不思議だ。


「ね、彼氏どんな人?」


「電話でさやかと喋った通りの人だよ、多分」


「喋った通りって……。うるせぇ、と用ないなら切るぞって言われただけ……」


「大体そんな人だよ」


 うん、そんな人。普通に喋ってると毒舌だし、容赦ないし。


「翠、その人と付き合ってほんとに大丈夫?」


 そう言ってくるさやかの目が本気で心配してくれているのが判って、


「うん、大丈夫。口悪いけど、ちゃんと優しいから」


「のろけた……翠がのろけた……」


 聞くんじゃなかった、と打ちひしがれてるさやかを里美がよしよしと慰めてた。


「ね、仕事なにしてるひと?」


「高校の、先生」


「おお!高校教師!?」


 ぱっと食いついてきたのはやっぱりさやか。


「なんか珍しい! 響きがエロい! 私、高校教師と飲んだこと無い!」


 エ……エロ? 私の予想の斜め上を行くさやかの発言に、言葉に詰まる。これは絶対に自分の高校の先生だなんて言えない。言わない方が良い。言ったら何言われるかわからない。


「ちょっと翠! 今度高校教師と飲み会!! 翠の彼氏、気になるし!!」


「えぇ、無理だよ。あの人飲み会とかあまり好きじゃなさそうだし……」


「そんな事言わずに。なんなら、私が聞いてみるから携帯貸して!」


 そういってテーブルの上に置きっぱなしだった私のスマホにさやかが手を伸ばすから、慌ててスマホをバッグの中に仕舞い込んだ。


 お昼ご飯を食べ終えてフロアに戻る途中、夏帆が私にだけ聞こえるような小さな声で言った。


「高校の頃の先生だっていつ言うの?」


「いつ言ったらいいと思う?」


 夏帆はさぁ?と言う様に首をかしげてクスクス笑う。


「いつ言っても、面白がられると思うけど」


 今のさやか達の反応を見ていたら、それは間違いない。でも、いつか言えたらいいと思う。高校二年生の頃の私は、間違いなく先生に会うために学校に行ってた。それは、嘘でもなんでもない。先生と過ごす時間が、あの頃の私には何よりも大切な時間だった。


 ゆっくりでいいから、何もかも全てじゃ無くてもいいから、私の大事な恋の話をちゃんとみんなに話せたらいい。みんな大事な…私の友達なんだから。


 鞄の中に入っていたスマホが震えた気がして、開くとラインメッセージが届いていた。


『今から屋上来れる?』


 スマホを手に足を止めた私の傍らの夏帆が小声で「ごめん、見えちゃった」と謝るから、「大丈夫」と横に振る。メッセージは、菊池君からだった。


 そっと画面をタップして、返信メッセージを打とうとしたら『YU-TA』を友だちに登録しました。と表示が出てきた。メッセージを返すのは、初めてだった。私が返事を返すのを見ていた夏帆が、小声で囁く。


「大丈夫?」


 心配そうな夏帆に頷くと、夏帆が僅かに微笑む。いってらっしゃい、と言ってもらえた気がした。


 会社の入っているビルの屋上は、小さな箱庭のような庭園になっている。暖かい日は時々屋上でご飯を食べたりするけれど、今日はあいにくの曇り空で風が冷たかった。東屋のベンチに菊池君の姿を認めると、向こうも気づいたのか片手を上げた。


「自分で来いって言っといて、来ると思ってなかった」


 苦笑した菊池君に、どう返したらいいのか迷っていると、菊池君は続きをさっさと話しだす。


「彼氏居るってマジだったんだ」


「うん」


「ふーん……どんな奴?」


 先ほどさやか達にされたのと同じ質問に、どう答えるか少し考えてからゆっくりと答える。


「一緒に居て、安心する人」


 私の答えに、ははっと菊池君が笑う。


「それ、俺勝ち目無さ過ぎるだろ。ごめんな、別に怖がらせたかったわけでもなかったんだけど。多分、夏には海外になるからその前にちゃんと仲直りっつうか、普通の同期に戻っておきたかったっていうか」


「海外、行くの?」


 うちの会社は、一応海外拠点もある。治安が悪い所もあるから、女子は希望を出さない限り海外勤務は無いけれど、男子はほぼ全員一度は海外勤務が入る。


「うん。どこかは聞いてないけど」


「そっか……。同期で初だね」


「まぁな。優秀だからな」


 照れ隠しの様にそっぽを向いて、スーツのポケットに手を突っ込んだ菊池君は、何かポケットから取り出した。


「北川。これやるわ」


 ぽいっと放られてきたのは、コンビニでよく売っている小さな四角いチョコレートの苺味。 


「俺、こういう香料っぽい苺味苦手なんだよな」


 なんだか可愛い理由に、小さく笑みがこぼれた。「ありがとう」という私の言葉を攫う様に、冷たい風が私たちの間を吹き抜けていった。

 

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