(5)
入力が終わったデータの元データを社内メールに添付して送信して、印刷したものを1部営業さんのデスクに置いて、ふぅ……と一息つくと、近くにいた松本さんから声をかけられた。
「北川さん、これ総務に置いてきてもらってもいい?真柳さんに渡してほしいんだけど」
「あ、はい」
マヤナギさん……初めて聞いた名前だったけれど、総務なら愛香も居るから判らなかったら聞けばいいかと差し出された封筒を受け取った。総務部があるのは1階上、エレベーターを使うほどでもないからいつも階段を使っている。階段を上りながら、自然と目に入る窓の外。今夜は冷える、場所によっては雪になるかもと天気予報で言っていたけれど、きっと雨なんだろうと思っていた。そんな気持ちを裏付けるように、重たそうな鉛色の雲が空を覆っていた。
総務部に着いて真っ先に視線を向けたのは、愛香のデスクだったのだけど……生憎愛香の姿は無かった。誰かに聞こうときょろきょろしていると、背後から声をかけられた。
「北川、何してんだ?」
その声に、背筋をざわりと悪寒が走る。
「……菊池、君……」
視線を向けつつ、思っていたよりも近い立ち位置に思わず後ずさりするとその分距離を詰められた。
「なんで逃げんの?」
「……ち、近いから」
私の答えに一瞬眉根を寄せたものの、距離を取りたいと言う気持ちを汲んでくれたのか、菊池君が一歩下がるのを見て漸く息が付けた。
「で、何してんの?」
「これ、真柳さんに渡してって言われて……。真柳さんってどこにいらっしゃるのかなって……」
「あー、ヤナギさんね」
菊池君は視線をフロアの左側に向けて、すぐに私の方に向き直る。
「今電話中だから渡しとくよ。お前からって言ったらいいの?」
「あ、えと、営業2課の松本さんからって伝えて欲しい……」
すっと私の手から封筒を奪った菊池君は、「それでさ」と一歩距離を詰めてきた。まるで、仕事とプライベートを分けるように。油断していたのもあって一瞬遅れて後ろに下がろうとしたら、腕を掴まれた。
「なんでライン返してくれないワケ?」
「それは……」
先週の水曜日に届いたラインメッセージに、私は結局返事をしていなかった。角が立たないように断りたいのに、言葉が浮かんでこなくてそのままになってしまっていた。
「前のは、俺も悪かったって。だから、飯位……」
「ごめん、無理っ」
出た声が思っていたよりも大きく響いてしまって、思わず下を向いてしまう。
「ごめんなさい。ご飯とか、私……」
「北川、でかい声出るんじゃん。良いよ別に。野村とかも誘ってみるから。じゃ、またな」
掴んでいた私の腕をあっさりと解放して、菊池君が踵を返す。掴まれていた左腕が脈打っているような気がするほどに、緊張していた。
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仕事を終えて家に帰る途中、立て続けにスマホがラインメッセージの到着を告げる。ラインを開くと、にぎやかに会話を交わしているのは会社の同期のグループライン。
『金曜日、飲みに行こう』と言い出していたのは、菊池君だった。もともと大阪支社に配属になっていたのもあって、美味しい店はどこだとか、そんな会話が繰り広げられている。私は同期のグループラインに登録はしているものの、普段はほとんど会話に参加しない。同期の飲み会の連絡だとかそういうのを受け取るために登録しているだけと言ってもいい位。
家に帰ってご飯を食べて、更にお風呂にまで入ってからスマホを見ると、まだまだ会話が続いていて、半ば感心しながらグループチャットを開く。ざっと流し読みした限り、行ける人だけでご飯を食べに行くらしい。みんな、元気だなぁ……と他人事のように考えながらスマホを机に置くと、目に着いたのは高校の卒業アルバムだった。
ぱらりとページをめくると、文化祭の写真が並んでいた。その中の一枚に、圭ちゃんとクラスの女の子と3人でおそろいのエプロンをして楽しそうに笑っている私が居て、思わず手を止めていた。
圭ちゃんと一緒に写っているからこの写真は3年生の時のはずだけど、私、こんな所に写っていたんだ。卒業アルバムは先生を探すために隅から隅まで見たはずだったのに、自分に気付いていなかったなんて。今までどれだけスーツで眼鏡の男の人だけ探してたんだろうなんて思ったら笑ってしまった。
3年生の文化祭、この頃の私は……もう物理実験準備室に、行っていない。先生と会っていない。
この頃は、こんなに笑ってるのに。どうして今は、こんなにも駄目なんだろう。笑う事すら満足にできなくなってしまった自分が嫌になる。
ピコンッと軽やかな音と共に新着メッセージを伝えるバイブがなって、見るとポップアップが画面に出ていた。
『金曜日来いよ。野村や池内も来るって言ってるし』
菊池君から届いたものすごく一方的なメッセージに眩暈がする気がした。
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