(8)

「ねー、お姉の彼は何してる人?」


 あ、また答えにくい質問が来た。そう思ったのを気づかれない様に、計り終わった砂糖の袋を片付けに藍の後ろに回る。


「……学校の先生」


「学校って、小学校とか中学校とか?」


「ううん。……高校」


「ええ?」


 砂糖を片付けて振り返ると、何か言いた気な表情の藍と眼が合って、私また何か地雷踏んだ? と思わず身構えてしまう。


「付き合いだしたのいつ?」


「2週間くらい前かな」


「知り合ったのは?」


「知り合ったのはー……」


 答えようとして、高校生の頃に知り合った12歳も年上の高校教師だなんて、明らかに自分の学校の教師だといってるようなものだと気が付いて口が止まる。実際そうなんだけど、こうして改めて問われると物凄く言い難いのだ。結構真剣な藍の視線に居心地が悪くて目を逸らすと、藍はそれを答えととったようにため息をついた。


「お姉さ、実は高校の頃も今の彼と付き合ってたり……した?」


 昔も先生と付き合ってた? 藍に言われた事が全くの予想外で、目が点になった。


「え? 先生と? 付き合って……ないよ?」


 毎日のように放課後に先生の所に通ってはいたものの、あの頃の私は、相手が誰であっても付き合ったりできる状態じゃなかった。実際、先生を男の人なんだと自覚したら、会いに行けなくなってしまったのを考えたら、相手が先生でも付き合うのは無理だったと思う。その位男の人が怖くて堪らなかったし、やっぱり今でも……男の人とは出来る限り距離を置きたい。


「……ほんと?」


「本当に」


 私と先生は普通の教師と生徒よりは仲が良かっただけのはずだけど、藍の返事は「ふぅん…?」と納得してないような響きを持っていた。


「先生って呼ぶってことは、ほんとに自分とこの先生だったんだね」


「……」


 言葉に詰まってしまった私は、無言で藍の言葉を肯定してしまった事になる。


「12歳年上の高校教師かぁ……。お姉、難儀な恋愛してるね」


「そうかな?」


 私には、知らない人と知り合って、すぐに付き合うほうがずっと難儀だ。二人っきりで話をするのも、触られるのも……先生以外の人にはやっぱり嫌だ。


 知らない人に、男の人が苦手な理由を話すのなんて、考えただけで苦痛だし。全部知ってる先生には、今から告白しなきゃいけないことなんて一つも無い。先生の事は、怖くない。他の人だったら、私は絶対に付き合えないと思う。


「うん、だって35でしょ? 独身だとしたらソッコー結婚しなきゃいけなさそうじゃない?」


「……そうかな?」


 付き合って2週間しかたっていないから、結婚だなんて話題は一度も出てきたことが無かった。だけど、確かに先生の年齢だけで考えたら結婚してもおかしくない歳だ。


「でも、私、結婚しても特に問題ないかも」


 改めて、先生と結婚? と考えてみると、私としては特に問題が無い気がした。私にとっては先生と会えることがすごく大事。結婚したら会えなくなるなんて事ないんだと思うと、やっぱり……私としては何も問題が無さそうだったけれど、私は良くても先生が駄目かなと思い至った。家事にしろ、料理にしろは、残念なことに先生の方が上手なのだ。料理に至っては、なんでそんなに上手いのか問い詰めたい位、先生は料理が上手い。


 そんなもろもろの事情を考えるとすぐに結婚なんて事はまずありえないと思考を締めくくった。


「えぇー。あたしは今すぐ結婚とかヤだなぁ。めんどくさいし。……でも、お姉がそもそもめんどくさいもんね」


「ちょっと、今のどういう意味?」


 妹とはいえ聞き捨てならない「めんどくさい」発言に思わず傍らの藍を睨むと、藍はちょっと気まずそうに肩を竦めた。


「だってぇ、お姉大学行ってから変だったもん。だからさ、高校の頃にも今の彼氏と付き合ってて、卒業して別れて、その反動で大学行ってからあんなだったのかなーって思ってさ。ほら、いいじゃん? 教師と生徒の禁断の恋とかマンガみたいじゃん?」


 ケラケラと楽しそうに笑って言った最後の一文はともかくとして、一応、藍は心配してくれてたのだと気が付いた。


「うちらほんとにそっくりだったじゃん。別々に出かけて同じ服買ってきたことだってあったじゃん」


 ああ、そういえばそんなことあったっけと、たどり着いた記憶に小さく笑みが零れた。私は美咲と圭ちゃんと出かけて、藍はお母さんと買い物に行った事があった。帰ってきたら二人とも同じお店の袋をもってて、開けてみたら全く同じ服が入ってたんだった。


「それなのに、今こんなに違うの……変じゃん」


 藍は毎日ばっちりメイクだ。今の彼が美容師だからっていうのもあるかもしれないけど、マメに髪を染めて、姉の私から見たっていつも可愛くしてる。ピアスもしてて、アクセサリーも好き。服の好みだって、大学生活の交友関係だって、何もかもが私と藍は真逆だった。


「だから昨日お姉の彼が、あたしとお姉のこと似てるって言ったとき、びっくりした」


 確かに今の私と藍は全然似ていない。でも、高校の頃の私を知ってる先生には、そっくりに見えたのも……よく判る。あの頃の私は、藍とそっくりだった。きっと先生は、藍に高校時代の私を重ねたんだ。


「……でも、あたしは嬉しかったよ」


 ケーキの生地の入ったボールに視線を落とした藍の表情はよく判らなかったけれど、少し拗ねたように唇がとがっているのだけが見えた。


 ……私も、嬉しかったよ。


 今も、藍とこうして話すのが久しぶりすぎて。こんな話を藍とすることなんて、もう無いんだろうと思っていたから…… だから、涙が出そうになるくらい嬉しいよ。カラフルなカップケーキの紙型が並んだオーブンの天板が、じわりと滲んで色が混じっていった。


 その後は、二人で黙々と、ケーキを作った。出来上がったカップケーキは、プレーン、チョコチップ、ココアの三種類。焼いているときは、こんなにたくさん焼くの? と思ったのに、出来上がったのを味見したら凄く美味しくて、お互いにプレゼント用のをラッピングした残りは、藍と二人で互いの恋人の話をしながら食べてしまった。

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