(9)
ノックもなしに私の部屋のドアを開けた藍は、私を一目見るなり思いっきり顔をしかめた。
「えぇ…お姉そのカッコで出かける気?」
「え、ダメなの?」
問い返した私は仕事に行くときと大差ない格好で、私としては特に何も問題なかったのだけど……
「ありえない。ちょっと来て」
ため息をついた藍に引きずられて、私はすぐ隣の藍の部屋に連れてこられた。時々藍に用事があって入ることはあっても、滞在することは久しくなかった藍の部屋。私の部屋とは鏡合わせの間取りのはずなのに、置いてあるものが全く違うせいで完全に別の空間になっていた。
窓辺に置かれている小さな飾り棚にディスプレイするように置かれている可愛い香水の小瓶。私だったらつけるのを躊躇ってしまうヴィヴィットな色のマニュキア。大粒のラインストーンで飾られている姿見。壁に貼られたポストカード。
どこにでも藍の趣味を感じる部屋の中、一角だけ棚の上に所狭しと積み上げられているぬいぐるみだけがちょっと藍の趣味とは違う気がした。
「あのぬいぐるみ、全部ゲーセン?」
「そうなの。取るのは好きだけど、自分は要らないからって全部くれるんだけど……」
いい加減置き場所に困る。昨夜も漏らしていたそんな愚痴をこぼしながら藍はクローゼットから服を出してきた。
「あとでぬいぐるみ半分あげる。ってか引き取って。それよりお姉、服貸したげるから着替えて着替えて」
「えぇ……いいよ。藍の服、私似合わないし……」
「その恰好のがありえないから。いいから着がえるの」
私の意志を完全に無視して藍に押し付けられたのは、グレーのオフタートルのニットワンピとボルドーのカラータイツ。膝より少し上位の丈に受け取ったものの着替える手が止まる。
「スカートちょっと嫌なんだけど……」
「そうなの? じゃ、下は今のデニムのままでもいいよ。着替えたらこっち来てね」
こっちと指すのは藍のミニドレッサーの椅子。流石にもう抵抗しても無駄なのだと判って、ため息交じりにシャツのボタンをはずしてニットワンピに袖を通す。ドレッサーに写る私は、どこか服とその他がちぐはぐでやっぱり似合わないじゃない、とそっと心の中で毒付いた。
「お姉さぁ、高校の頃までは普通だったじゃん。女子力どこに落っことしてきたの?」
「……」
答えない私の返事を待つ気は端っから無かったのか、藍はヘアクリップで留めてあった私の髪をほどくと、ざっくりとワックスをつけて頭の上に緩くお団子を作ってくれた。慣れた手つきで髪をまとめていく藍を鏡越しに見ながら、おっきいお団子ってこうやって作るんだ、とちょっと関心してしまっていた。
「べつに、バッチリメイクしなくたってさ…」
そう言いながら正面に回ってきた藍の手にはアイシャドーのパレット。
「ちょっとアイシャドー入れて、マスカラつけるだけでいいじゃん」
藍にされるがままでしばらくして、鏡を見たら、そこに居たのは普通の、街中で見かけたらちょっと可愛いって思うような、そんな女の子。
「ね?」
可愛いでしょ?と言う様に藍は私を見た。
「さて、お姉。お姉の彼氏さんのお仕事なんでしたっけ?」
「高校の、先生」
「だよね? 高校の先生って事はさ、毎日女子高生見てんだよ? 女子高生だよ? お姉より若くて、元気で、女子力全開なんだよ? スカート膝上15センチだよ?
そりゃ、彼氏さんにしてみたらお姉だって12も下だろうけど、肝心の女子力0でどーすんの? あたし、昨日お姉の下着見てガッカリしたよ。下着の女子力すらなくてどうすんの。てか、そんなでどうやって彼氏を落としたの」
藍の一言一言がいちいちグサッと刺さる。更には下着にがっかりってどういうことよ。そりゃ、そんなに全力勝負の下着は持っていないけど…… いや、全力も何も勝負になりそうな下着は確かに持ってないかも? と残念な事を思いなおす。
「別に、そういうの求めてたら私と付き合わないだろうし…」
言いながらも、やっぱりガッカリといわれたら気になる。まだ先生に下着を見せるなんて関係にはなっていないけれど、やっぱりそのうち、そういうことにもなるだろうし。そこでガッカリされるのは、やっぱり嫌だと思う程度の乙女心は、さすがの私だってまだ持っている。
この間、昔の私とどっちが好きか先生に聞いたら怒られた。先生と過ごしてたのは17歳の私で……23歳の今の私とは再会してから2週間も経ってない。先生をどうやって落としたの? と言われたら17歳の女子高生だった私が落としたんだとしか思えない。
地味で、大して女子力が無いのは自分では判っているつもりで居ても、やっぱり藍にまでこんなに言われるとダメージを受けてしまう。
「男にしてみたら、彼女は可愛いに越したことないと思うけど。お姉、可愛いよ。可愛いんだから、ちゃんと可愛くしたらいいじゃん」
可愛くするという事を、高校を卒業して以来ずっと避けてきた。避けた結果がこの女子力をどこかに落っことしてきた私なのだから、簡単に藍の言うことを聞けないのだ。
「お姉は、彼氏さんの事好き?」
「うん。好き」
迷わず答えた私に藍は嬉しそうに笑った。
「そこ迷わないならさ、ちゃんと女子で居ようよ。さ~、今日は服買いまくるぞ~! あ、靴はあたしの貸すから。お姉の地味なパンプス履かないでよね」
楽しげな藍に半ば引きずられるようにして家を後にした時には全く気乗りしていなかったのだけど、藍が結ってくれた髪も、貸してくれた服も、ちょっとだけしてくれたメイクも、春色の服を着たい気持ちを後押しするのには十分だった。
仕事してからとりあえず貯金していたお金で気兼ねなく、箍が外れたように「今までこんなに服買ったこと無い!」と自信をもって言える位に思いっきり買い物をした。
「お姉、あたし彼氏の仕事終わったらそのままそっちいくから、彼氏呼んだら? 荷物多いよ?」
買い物も一段落してコーヒーショップで一休みしながら藍が言う。藍にも持ってもらっている分を考えたら、確かに一人でもって帰るにはいささか量が多い。だけど……先生のこと荷物持ってって呼び出すの? そんなことしたら、計画的に買い物しろって怒られそうじゃない?
「はいはい、怒られないかなとか考えてる暇あったら電話かけるよー。怒られたらそんとき考えて」
私そんなに考えてること顔に出てる? と不満に思いながらも渋々先生に電話をかける。
「もしもし、先生? あのね……」
荷物持ちしに来てほしい、なんてストレートに言っていいものか悩んで言葉を捜していると、隣から伸びてきた藍の手にスマホを奪われた。
「こんにちわー。藍です。お休みなのにお姉連れてっちゃってすみません。大量に服買わせたので、持って帰るの手伝ってあげてくれませんか?
あたし、彼氏のトコ行くので一緒に帰れないので。……じゃぁ場所はお姉から聞いてください。 はい、お姉」
あっけにとられている私の目の前で、藍は先生との話を終えてスマホを突っ返してきた。
「……え、もしもし、先生?」
一体どんな話になったのかつかめないまま耳を押し当てた電話の向こうでは、先生が笑ってた。
「やっぱお前の妹つえーな」
「……ごめんなさい」
「いいよ。で、どこいるんだ?」
今居る場所を伝えて、電話を切った。
「来てくれるでしょ?」
「う、うん」
藍の行動力は、これでいいのかとか、先生が来てくれても機嫌悪かったりするのではないかとか、いろいろと考え込んでしまう私の思考をあっさりと打ち砕いてしまう。
「お姉はさー、昔っから要領悪いよねー。おかーさんになんか頼むのもタイミング悪いって言うかさ。遠慮して言いそびれたりとかさ」
確かに、小さい頃から藍のほうがおねだり上手だ。藍が何かしらねだった後、「翠は何か欲しい物ないの?」といつも聞かれていた。自分からこれが欲しいとか、あんまり言った事が無かったかも。
「あ、お母さん喜んでたよ」
「何を?」
「お姉に彼氏居るの」
「言ったの?!」
「言ったよー。お姉、彼氏んち泊まり行ったから今日帰ってこないよーって一昨日…」
「おとと…!! 適当に言っとくって言ってたじゃん!!」
それは適当な言い訳を言っておくではなくて、事実を適当なノリで言っただけでは? ……あれ? どっちも適当に言っておくになる? 迷走する私の思考を、藍が呆れた様子で遮った。
「大丈夫だよ、あたしがこんなんだから、ウチお泊りに寛容。もう大人なんだから、変に嘘つくよりちゃんと彼氏さんのこと親に紹介しちゃえばいいよ。後は彼氏んとこ泊まりまーすって言えばだいじょぶだから」
「……」
厳しい家と言うわけでないとは思うけれど、そこまで軽やかにお泊りを了承してくれるものなのか、私の認識と藍の認識は少しズレがあるようだった。ただ、いつも軽やかに私に伝言を預けてくれたりするのを考えると、家の親はそこまでうるさくないのかもしれない。
しばらくして、先生からメールがきたのでコーヒーショップを出て、よく待ち合わせに使われている駅の広場に向かう。私の心配は杞憂で、先生は別に機嫌が悪かったりすることは全くなく、いつもと全然違う格好の私の頬を軽く撫でて、感心したような表情で言った。
「お前、化けるね」
いつものように頭を撫でなかったのは、きっとお団子が邪魔だったのだろうと思う。やっぱり可愛いとは言ってくれないんだ、と少し拗ねたのは先生にも藍にも内緒。
その後の話の流れで、何故か藍も一緒に早めの夕ご飯を食べることになっていた。何でこの3人でご飯を食べているのだろうという気分のままご飯を食べた後に、席を外して戻ったら、藍はもう居なくなっていた。
「ごめんね、なんか無理やりつき合わせちゃって。しかもご飯、藍の分まで……」
先生は当たり前のようにお会計を済ませてくれて、なんだか申し訳なくなる。先生はいつも私に財布を出させてくれない。12歳も歳が違えばお給料も全然違うのわかってるんだけど、やっぱり申し訳ない。
「いいよ、別に。むしろお前らに金出させるほうが無いな」
先生の言葉は最もなのかもしれないけれど、10以上も年下の私と藍は、先生には子供みたいに見えているのかとちょっと不安になる。先生はそれにしても……と続けた。
「お前よく買ったな、こんなに」
私達の席の傍らに並んでいる私の今日の戦利品、こと大量に買った春物の服。ベタな例えだけど、本当にお金に羽が生えてぱーっと飛んで行った気がする。でも、今の所全くと言っていい程後悔はしていない。むしろ清々しくて、買った服を着るのが楽しみな位だった。
「つい楽しくなっちゃって。もう、しないと思うけど」
先生は苦笑いして、頭のてっぺんにあるお団子を避けて私の頭を軽く撫でる。
「こないだも言ったけど、服くらい好きにしろよ」
「それは……そうなんだけど」
先生の言ってくれることも、藍が言ってくれることも、その通りなんだとは判っている。それでも、この5年間地味な子を頑張って貫き通してた私には、当たり前のようなそんな事のハードルがそれはもうそびえ立つように高いのだ。
「で、お前今日はどこに帰るんだ?」
そう言って私を見る先生のまなざしは、少し意地悪っぽい。どこに帰るって聞かれると、泊まる事が確定みたいなそんな響きがあって返答に詰まる。泊まるのは初めてではないけれど、この間泊まったのは藍が勝手に泊まりに行けば? と言った結果の産物であって、私から泊めてと言ったわけでも、先生から泊まって行けと言われたわけでもない。
それじゃぁ、今は……? 今は、先生はどう思ってる……?
つい2時間ほど前に先生を電話で呼び出したばかりで、明日は日曜日。更に今日はバレンタインで、藍と買い物をしながら先生にプレゼントも買った。思う事は、今日はもっと一緒に居たい。それだけだった。
「……先生の部屋に、帰ってもいい?」
「いいよ、おいで」
そういった先生は、口元に笑みを浮かべて続けた。
「まぁ今日は、やだっつっても連れて帰るつもりだったけど」
だったらわざわざ聞かないでよ。凄く考えて返事をしたのに、と思ったけれど「連れて帰る」というその響きに今日は送り帰してくれる気が無い事に気がついて、頬が一気に熱くなった。
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