(2)
どこかソワソワしながら時計とにらめっこして一日の仕事を終えて、定時になるや否や上司や先輩から雑用を押し付けられないように速攻でロッカーに駆け込んだ。待ち合わせは7時だからまだ余裕はたっぷりあったけれど、気持ちが急いて仕方なかった。
「お疲れ」
後ろから声をかけられてドキッとして振り向くと、そこに居たのは夏帆。
「夏帆、お疲れ様。さやかと里美は?」
「あー、竹原さんに入力頼まれてたから、しばらくかかるんじゃないかな」
お昼を食べた時にさやかにも服の事をつっこまれて、答えに詰まってしまったものだから、二人が勝手にデートだとか盛り上がってしまった。「そんなじゃない」と何度言っても結局信じてもらえないままお昼休みは終わったのだけど、残業中と聞くと問い詰められない事に安心しつつも、ちょっと申し訳ない気持ちがわいてくる。
「竹原さんに頼まれてたのに、おいてきたの?」
私の問いに夏帆は少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「うん、置いてきた。はくじょーものーって言われた」
そういって、あははと笑う夏帆の彼氏は、その竹原さんだ。
「でも、ほら。手伝えるわけでもないじゃん。長居してたらこっちまで残業になっちゃうし」
私達は全員営業部配属でフロアは一緒だけど、所属課はちょっと違う。だから、仕事を容易に手伝えるわけではないのだ。もちろん、どうしようもなく切羽詰まっているときは多少は手伝ったりもするけれど、普段は課の中で処理する事になっているから、お互いに手出しはしない。
「ね、ホントの所、今日はデートなの?」
夏帆に小声でそう聞かれて、私もちょっと良く判らなくてため息が漏れた。
「……よくわかんない」
よく判らない。先生は確かに男の人だけど、先生と二人で会うのがデートになるのか判らなかった。よく判らないから、さやかと里美に話すとそれこそ根掘り葉掘り掘り返されそうで、それが嫌でさやか達には話せなかった。
「そっか。大丈夫?その、2人で会っても」
「あー……うん、それは大丈夫。あの人は昔から平気だから」
正確に言えば、昔は平気だった。多分、今はもう平気のはず。先生本人を怖いと思ったことは、一度も無かったから。
「前からの知り合いなんだ?」
「うん、あの人だけは、ずっと平気だったんだけど……」
否応なく思い出されてしまう嫌な夢の記憶に、思わずため息が漏れる。
「その割には憂鬱そうだね?」
夏帆に苦笑して言われて、さっきからため息ばかりついているのに気がついた。
「ずっと連絡すら取ってなかったから、凄く会いたいんだけど、ちょっとね……怖いんだ」
「何が?」
「もう子供まで居たりするのかなとか考えちゃうと、会いたいんだけど、会わないほうがいいのかなとか、なんか色々悩んじゃって」
私が高校生だったころなんてもう6年も前なのだ。私の知らない6年の間に、先生は好きでいてはいけない人になっているかもしれない。あの頃20代半ばだったとしても、もう30歳にはなっているはずで、そしたら子供はいなくても結婚していても何もおかしくは無い。会いたいと思うその一方で、会って先生の“今”を知るのは……凄く怖い。
ずっと肯定的に私の話を聞いてくれていた夏帆だけど、子供と言う単語に表情は厳しくなった。
「結婚してる人なの?」
「わかんない。昔はしてなかったけど、今はどうか知らない。歳考えるとしててもおかしくないから。だから……してたら嫌だなって思っちゃって」
会わなかった時間が6年もある。だから余計に怖かった。言葉にすればするほど、先生に会えることに浮かれていた気持ちが少しずつしぼんでいくように感じられた。
「今日は誘ったのどっち?」
「……向こう、かな」
『明日、会うか?』そう言ってくれた昨夜の先生の電話の声が、頭の中でゆっくりと再生される。ただ、もし先生が言ってくれなくてもきっと私が「会いたい」と言ったとは思う。
「それなら、信じてみたら?」
夏帆は、まっすぐ私を見てた。
「向こうが会いたいって言ってくれたのを、信じてみたら?久しぶりに会うのにそんな憂鬱そうにして行ったらガッカリされちゃうよ?」
「そうかな……?」
信じてもいいのかな……? 先生は、少なくとも私に会いたいって思ってくれてるって……期待してもいいのかな。
「そうだよ。男だってそれなりに悩んで誘ってるんだってよ?」
ふふっと少し気恥ずかしそうに夏帆は笑った。きっと、竹原さんに言われた言葉を思い出したんだろう。
「がんばってね」
「……うん、がんばってみる」
夏帆と別れてロッカーを出て、深呼吸を一つ。
私は、先生に会いたい。
その気持ちには、何一つ嘘なんて無い。それに正直にしたがっていいんだ。電話をくれたのは先生だし、ご飯食べに行こうって言ってくれたのも先生なんだから。
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