キス

 それから僕は大変だった。

 学園の事務員が到着すると、調書にいろいろと書かされる羽目に。

 いつ頃、どんな風に消えたのか、そして誰が一緒に居たのか、といった内容だ。

 調書には書かなかったけど、五千万レディの件も報告した。学園からは「正当な権利だから、先生のことを思い出しながら大切に使うように」とアドバイスされた。


 やっとのことで開放された僕は、少し遅いお昼を食べようとカフェテリアに向かう。

 もうすぐ午後の授業が始まろうという時間だったが、ライト、アンフィ、ネフィーの三人は僕を待ってくれていた。

 ライトとアンフィは、ジンク先生のことをすでにネフィーから聞いていたようだ。

 一通り話が終わると、ライトとアンフィは午後の授業に行くと言って席を立った。



 ネフィーは僕の食事が終わるのを待ってくれていた。

「そうだ、あれからシリカは何処に行ったの?」

 人の姿がまばらになったカフェテリアに僕の声が響く。

「それなんだけどね……」

 テーブルに頬杖をつきながら僕を見るネフィー。

「ミモリの森に行ったのよ」


 ――ミモリの森。

 昔はトリティの里だったかもしれないと、ジンク先生達の研究結果が結論づけた聖地。

 奇しくもそのジンク先生が消えた直後に、その場所をシリカが行き先に選んだのは、偶然にしては出来過ぎているような気がした。


「それでシリカは何をしていたんだい?」

 僕の質問にネフィーは金髪をわずかに揺らしながら微笑む。

「何をしてたと思う?」

 ちょっと意地悪そうに笑う瞳。僕なら解けると言わんばかりに。

「うーん……」

 僕だって先週はシリカを追いかけてミモリの森に行っていたんだ。その時のことを思い出せばわかるはずだ。


「……そうだ、水やり!」

 思い出した。

 僕がレディウ人になった日の夕方、シリカは耳で小川の水を汲んで新芽に水をやっていた。

 僕の言葉を聞いて、ネフィーは瞳を丸くする。

「正解。さすがはシリカちゃんの保護者ね」

「はははは、さすがってことはないよ。僕の時だってそうだったからさ。それで芽は出てた?」

 水やりをしているのはミモリの花を育てているからだ。ミモリの花はものすごく成長が早い。

「芽なんて出てないわよ。シリカちゃん、た」

「えっ?」


 何もない土の上にだって?

 僕は思い出す。自分がレディウ人になった直後、シリカは何もない土の上に水を撒いていた。新芽が出ていたのは夕方に行った時だった。

 あの時は、僕がレディウ人になった場所だから水をやっていたと思ったんだ。

 でも今回は違う。誰かがレディウ人になったわけじゃないし、それにジンク先生が消えたのもミモリの森じゃなくて学園だ。


 なんだか胸の中がもやもやする。

 答えが見えかけているのに、肝心の部分が霧に隠されてしまっているような感じ。

 その霧を取り払ったのは、ネフィーの一言だった。

「シリカちゃん、きっとその場所にミモリの種を植えたんだわ」

 僕ははっとする。

 そうだよ、確かジンク先生も最後に言っていたじゃないか。


『わしはな、ミモリの花はお墓のようなものだと考えとる。レディウ人となったトリティを忘れないように、トリティはミモリの花を植えとるんじゃよ』


 消えてしまったレディウ人を忘れないように、ミモリの花を植えることだってあるんじゃないか?

 僕の中で、一つのパズルがカチッとはまった瞬間だった。

「ということは、シリカはきっとジンク先生に種を貰ったんだね。シリカなりの先生のお墓なのかな」

 気体となって消えてしまうレディウ人。後に残るものは何もない。

 それならば、その人が存在していた証として何かを残してもいいのではないか。それは当然の行為のような気がした。


「ネフィー、今日の夕方ミモリの森に行ってみない? もしシリカが植えたのがミモリの花の種だったら、夕方には芽が出ているかもよ」

 僕の提案にネフィーは瞳を輝かせる。

「そうね。芽が出ているんだったら私も見てみたい。シリカちゃんも連れて行く?」

 その言葉に僕ははっと気づく。

 そうだ、シリカはどうしたんだ? ここには居ないけど……。

「えっと、そういえばシリカは?」

 よく考えたら、カフェテリアに着いて最初に聞くべき質問だったかもしれない。僕は心の中でゴメンとシリカに謝った。

「シリカちゃんはホクト君の部屋に帰ったわ。ベランダまで飛んでいって、窓から中に入ったわよ」

 それを聞いて僕はほっとした。



 午後の授業はそのままサボることにした。

 ジンク先生のことやミモリの新芽のことで頭が一杯になってしまい、授業を受ける気が全くしなかったからだ。

 空いた時間に、僕たちは市役所に行くことにした。そこで僕は、身分証にチャージされたジンク先生の遺産をネフィーにも分けてもらえるようにお願いする。

 ネフィーと二人で先生を見送ったのだから、彼女もお金を受け取って当然だ。

 手続きが終了すると、身分証に振り込まれた二千五百万レディの金額を見て、ネフィーは目を丸くしていた。


 アパートに戻ると、シリカが勢いよく玄関にやってきた。

「きゅるるる! きゅるるる!」

 すぐに出掛けたいと僕に訴えていた。

 ――やはりミモリの花の種が気になるんだな。

 予想通りと僕は思う。

 シリカの様子は、僕がこのアパートに来た時とそっくりだった。

 だから、僕達はそのままシリカを連れてミモリの森に行くことにした。


 ミモリの森に向かう道を歩きながら、ジンク先生の話を思い出す。

「ジンク先生とマイカさんも、この道を歩いたのかな?」

 伝説のトリティの里を探してこの地にたどり着いた二人。ミモリの森の謎を解き明かしていくうちに、いつしか恋に落ちた。

 まるで、ミモリの森に興味を持ったネフィーのことを好きになってしまった僕のように。

「うん、きっとそうよ」

 シリカを抱いたネフィーが、微笑みながら僕を振り向く。


 ――うわっ、可愛い……。


 ジンク先生もこんな風に、マイカさんの笑顔にドキドキしていたのだろうか。

 でも先生は、マイカさんと二人きりの生活に躊躇した。そして、そのことを後悔しながら消えて行った。だから僕は思う。先生のような失敗を繰り返してはいけないんだと。

 ネフィーのことを本当に想うのなら、彼女から離れてはいけないんだ。


「僕もミモリの花の謎を解き明かしたくなったよ、ネフィー」

 だから僕は遠回しに提案する。いつも一緒にこの森に来ようと。

「私もよ、ホクト君」

 そしてネフィーは僕の瞳を見る。

 目と目が合った瞬間、熱いものが僕の胸を貫いた。

 ――この人といつまでも一緒に居たい。

 暗いミモリの森の小路も、今日は何も恐くはなかった。


 ミモリの花畑に着くと、夕陽が世界を赤く染めていた。

 思わず僕たちは立ち止まる。

「綺麗……」

 感激のため息を漏らすネフィー。

 本当に今日の夕陽は美しかった。しかしシリカは、夕陽には興味がなさそうにもぞもぞ体を動かし始める。そしてネフィーの手をすり抜けると、花畑に向かって駆けていく。きっと水やりに行くのだろう。


「綺麗だね」

 僕はネフィーの横に立つと、夕陽を見ながらそっと彼女の手を握る。

 もう言葉は要らなかった。

 愛おしさが繋がった掌を通して二人を包みこむ。

 僕はネフィーを引き寄せると、その瞳をしっかりと見つめた。夕陽が反射してキラキラと光っている。

「好きだよ、ネフィー」

「私も、ホクト君」

 瞳を通して二人の心が一つになった。

 ネフィーがそっと目を閉じると、僕は彼女の唇に口づけた。

 僕達のファーストキス。

 唇が離れると、僕はしっかりとネフィーを抱きしめた。


「新芽を一緒に見に行かない?」

 ネフィーの耳元で僕が提案すると、

「あなたはダメ。ここに居て」

 彼女は僕を制止する。

「どうして?」

 僕がささやくと、ネフィーは体を離して僕の瞳を見つめ、強い口調で訴えた。

「倒れるあなたをもう見たくないから。ホクト君には消えてほしくない」

 その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。


 四日前、僕はこの花畑で倒れた。その時ネフィーは、僕が消えてしまうんじゃないかと心配してくれたんじゃないか。

 そのことを彼女の口から言わせるなんて、僕はなんてダメな男なんだろう。

 愛しくて愛しくて、また彼女を抱きしめる。

「ゴメン、ネフィー。そうだね、僕はここで待ってるよ」

「うん。私がちゃんと見て来るから安心して」

 そしてもう一度キスを交わす。ネフィーは、金髪を夕陽に輝かせながら花畑に駆けていった。


 しばらくすると、ネフィーがシリカを抱いて戻って来た。

「ホクト君、ホクト君!」

 すっかり息を切らした彼女は、肩で息をしながら言葉を絞り出す。

「芽が出てたのよ、小さな小さな芽が!」

「きゅるるるる!」

 シリカは自慢げに僕を見る。それは、ミモリの芽を育てていた先週と同じ眼差しだった。

「それなら明日もこの森に来ようよ。僕はここで待ってるから」

 夕陽に染まるネフィーの笑顔が見れればそれでいい。新芽なら、自分が誕生した時に見ているのだから。

「うん。そうだ、私スケッチブックを持ってくる。それで芽をスケッチしてホクト君に見せてあげるね」

 それはナイスアイディア。彼女の配慮がとても嬉しい。

「きゅるるるる~」

 明日もみんなでこの森に来れるような雰囲気を察したのだろうか。ネフィーの胸の中でシリカが嬉しそうに鳴いている。

 そうだよ、シリカも大切な仲間じゃないか。

 黄昏に包まれながら、僕は彼女たちを大切にしていきたいと沈む夕陽に誓うのであった。

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