性別
午後の授業は、三時限目にライトと一緒にサッカー、四時限目にレディウ文学を受ける。
怪我をしているライトは、サッカーは見学と称してグラウンド脇で昼寝してたけど……。
レディウ文学では、僕とライト、アンフィとネフィーの四人が揃った。
授業が終了すると、僕はネフィーと一緒に五時限目のジンク先生の生物学の教室に向う。
生物学の授業は、百人くらいが座れる階段教室だった。
『トリティはまだ謎の多い動物じゃ。オスメスの区別のつけ方もわかっておらぬ』
広めの教室にジンク先生の言葉が響く。席も七割ほどが埋まっていた。どうやら人気のある授業らしい。
先生が午前中に言っていた通り、授業内容はトリティについてだった。
それにしても、オスとメスの区別がつけられないなんてどういうことなんだろう?
――シリカはどっちなのかな?
ふっと湧いた疑問。
先生の説明によると、調べる術はないらしい。
「ねえ、ネフィー。シリカってオスとメスどっちだと思う?」
隣に座っているネフィーに小さな声で聞いてみる。
しかしネフィーは授業に集中していて、一生懸命ノートをとっていた。
――げっ、もしかして邪魔しちゃったかな……?
恐縮しながら僕は前を向く。
それにしても、ネフィーって本当に勉強をするのが好きなんだな。
昨日のミモリの芽についてもそうだったし……。
チラリと見た彼女の真剣な横顔が、それを証明していた。
授業では、トリティの習性が色々と紹介される。
長い耳をばたつかせて少しだけ飛べることや、レディウ人の言葉を理解しているかもしれないこと、そしてミモリの森に数多く生息していることなどなど。
そして、ミモリの森開発計画の話題も取り上げられた。
――この話って、昨日ネフィーが話してくれたやつじゃないか。
興味を持って、先生の話に耳を傾ける。
三十年ほど前、街を拡大しようとミモリの森の伐採を開始したところ、数千匹のトリティが集まってきて工事を阻止したという。
先生はその時の光景を写真で紹介した。
工事車両の前に、数百匹という白や茶色のトリティが集まっている。それはまるで斑模様のじゅうたんの様。
――確かに、これだけ集まったら工事はできないな……。
トリティもやるときはやるということを、その写真は示していた。
授業が終わると、そのままネフィーと一緒に僕のアパートに向かった。玄関を開けると、シリカが飛びついて来る。
「きゅるる! きゅるる!」
すぐにでも出かけたそうな仕草。
「お待たせ、シリカ。わかった、わかったよ」
僕がシリカを抱き上げると、バタバタと暴れ出した。仕方がないので、僕達はすぐに出発することにする。
「すごいね、シリカちゃん。ミモリの芽に水をあげなくちゃいけないことが、ちゃんとわかっているんだ」
歩きながら、ネフィーはシリカを観察している。その眼差しは興味津々だ。
すると彼女は何かを思いついたような顔をした。
「そうだ、ホクト君。いいこと教えてあげる」
それは、いたずらっ子のような瞳で。なんだか嫌な予感。
「いいことって?」
「今は内緒よ。ちょっと目をつむって左手を出して」
えっ、目をつむってって、何をするんだろう?
僕は右手でシリカを抱いたまま、静かに目を閉じ、左手をやや前に出した。
(ほら、勇気を出すのよ、ネフィー)
隣でネフィーが小声で自分自身に気合いを入れている。一体何が始まるんだ!?
すると――左手をなにやら暖かくて柔らかい感触が包んだ。
「!?」
驚いた僕が手を引っ込めようとすると、その柔らかいものは僕の手を握りしめる。
「ダメよ。そのまま、そのまま。目を開けてもいいわよ」
見ると、ネフィーが僕の手を握っていた。
「一体どうしたんだよ、ネフィー」
すると、恥ずかしそうにネフィーは僕を向く。
「だって最初に訊いてきたのはホクト君じゃない。シリカちゃんがオスかメスか知りたいって……」
その頬を真っ赤に染めながら。
ええっ、その質問って……?
生物学の授業中にそっとネフィーにささやいた疑問。彼女は授業に集中していたみたいだったけど、ちゃんと覚えていてくれたんだ。
ドキドキしながらネフィーに質問する。
「手を繋ぐとそれがわかるの?」
ネフィーの手は小さくて柔らかい。胸の鼓動がだんだんと速くなるのを僕は感じていた。
「ほら、シリカちゃんを見て」
僕の胸に抱かれているシリカは、僕の身に起きた変化を感じ取ったようだ。
最初はキョロキョロと辺りを見回していたが、やがて僕とネフィーの手が繋がれているのを見ると、長い耳を伸ばして僕の腕を叩き始めた。
「きゅるる! きゅるる!」
今すぐ手を離して、と言わんばかりに。
「ごめんね、シリカちゃん。今、離すから」
そう言ってネフィーは手を引っ込めた。それはとっても名残惜しいけど。
「これでわかったわ、シリカちゃんがオスかメスか」
そして名探偵のごとく推理を展開する。
わかったって、これだけの状況で?
「シリカちゃんはメスよ」
自信満々なネフィーの顔。
えっ、なんで?
わけがわからず僕はぽかんとした。
「あーあ、女心がわからない人ね」
深くため息をつくネフィー。
「よしよし、シリカちゃん。ホクト君は盗らないから安心してね」
「きゅるるるる~」
えっ、僕を盗らないって……、ああ、そういうことか……。
シリカに嫉妬してもらえるのは嬉しいけど、ネフィーに「盗らない」と言われるのはちょっと悲しい。なんとも言い表せない不思議な感情で僕の胸の中は一杯になった。
ミモリの森は、今日も夕陽に染まっていた。
「まあ、綺麗……」
ネフィーは今日も景色に見とれている。
そんなネフィーの横顔に、僕は見とれていた。赤く染まる彼女は本当に美しい。
――ホクト君は盗らないから安心してね。
しかし、先ほどの彼女の言葉が僕の心に影を落とす。
本当は僕のことをどう思っているのだろう?
その答えを知りたいような、知りたくないような……。
夕陽は僕の心まで焦がそうとしていた。
その間にも、シリカは黙々と水を運んでいた。
シリカに遅れて僕達が新芽のところに着くと、葉が五、六枚に増えていた。
「すごい、すごい。葉が沢山出てるよ、ホクト君」
瞳をキラキラと輝かせながら葉を観察するネフィー。
このままいくと、明日にはつぼみが出るんじゃないだろうか。
「それにしても、すごい成長スピードだね」
「ええ。ジンク先生の授業で聞いていたけど、こんなに早いとは思わなかったわ」
ネフィーもそのスピードに驚いている。
「本当に一週間で花が咲きそうだ」
シリカが育てたミモリの芽。それはどんな花を咲かせるのだろうか。
「そうそう、トリティはね、ミモリの花の香りを嗅ぎ分けることができるって先生は言ってた」
思い出したように語るネフィー。
夕陽の中でトリティのことを話すネフィーは、何か神秘的な感じがする。
「例えばね、ミモリの花を並べ替えたとしても、トリティはどれがお気に入りの花なのかすぐに分かるんだって」
どれも同じ青い花に見えるのに? 香りに違いがあるとはとても思えない。
「へぇ~」
じゃあ、今シリカが育てている花を違う場所に植えたとしても、シリカにはそれが分かるのだろうか。
そんな話をしているうちに、辺りはだんだん暗くなっていった。
ミモリの森を出ると、シリカは僕の胸の中でうとうとし始める。今日は一人で水やりをしたので疲れてしまったのだろう。
腕の中でこっくりこっくりするシリカはとても可愛かった。その姿を眺めていると――ちょっとした悪戯を思いつく。
「ねえ、ネフィー」
「なに、ホクト君」
「シリカが寝ちゃったかどうか、確かめる方法があるんだけど知ってる?」
「えっ、見ればわかるん……」
「しーっ」
静かに、と僕はネフィーの言葉を遮る。
「ネフィー、悪いけどちょっと目をつむっててくれないかな?」
するとネフィーはくすくすと笑いだす。
「なに? さっきの仕返し?」
そしてまんざらでもないという様子で目閉じた。
「さあ、いいわよ」
僕は自分に言い聞かせる。
さあ、勇気を出すんだホクト。ネフィーだってできたじゃないか。
僕は一つ深呼吸をすると――そっとネフィーの手を握った。
ネフィーの小さくてやわらかい手の感触。僕の鼓動は速くなる。
彼女もこれから何が起きるのか予想していたようだ。驚くこともなく、むしろ迎え入れるように僕の手をぎゅっと握ってくれた。
ネフィーが目を開けて、僕に目配せする。「シリカちゃんに変化があった?」と尋ねるように。
シリカはぐっすり眠ったままだ。起きる気配は全くない。
僕は、手をぎゅっと握って合図した。「シリカは眠っているよ」と。
こうして僕達は手を繋いだまま、ネフィーのアパートまでの夜道を歩いた。
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