ナース

 小一時間くらい経っただろうか。

 ようやくドキドキが落ち着いてきた僕は、あることに気が付く。

 ――彼女の匂い、やっぱりシリカだ。

 懐かしい感じ。

 いつも一緒に寝ていたあの感覚。

 目を閉じるとより鮮明になる。それは僕の心を安らかにさせてくれた。

 ――そういえば、シリカがレディウ人になれるのは三日間だけなんじゃないか!?

 とても大事なことを思い出す。

 ジンク先生の話によると、天使のレディウ人が再びレディウ人なった時のラジウム二二四の半減期は、たったの三日と十六時間とのことだった。

 ということは……、こうしてシリカと寄り添って寝られるのはあと三日だけなのかもしれない。

 しかしそれは、シリカがこの病室に来てくれたらの話だ。

 今のシリカは、今までの記憶、つまり僕と一緒に寝ていたことなんて覚えていない。

 それに性格もなんだか活動的だ。

 だから、もしシリカがアパートを気に入ってしまったら、ここには来ないような気もするし、たとえシリカがここに来たとしても添い寝してくれるとは思えない。

 ――もしかしたらこれが最後かも。

 僕は、この懐かしい感覚を忘れないように深く息を吸った。


 しばらくするとシリカが目を覚ました。

「ねえ、ホクト。ずっとここで寝てていい?」

 シリカの吐息が首筋にかかる。

 そりゃ、僕としては大歓迎だけど……。

 でも、でも……、誰か来たらこの光景にビックリしてしまうだろう。なんたって、銀髪色白の美人が裸で寝てるんだから。

 だから僕は、心を鬼にして彼女に言う。

「とりあえずあの服を着てくれよ。それで地図に描いてあるアパートに行ってみれば? アパートにはちゃんとした服が置いてあるからさ」

 そして目線を、病室の隅に投げ捨てられた巾着袋に向けた。

「それってホント?」

「ああ、アパートにある服は市役所でまとめて揃えているものだから、ミューさんのような変な趣味は混ざっていない」

「うーん……、わかったわ」

 しばらく天井を見ながら考えていたシリカは、観念したように頷く。

「じゃあ、服を着るからあっち向いてて」

 僕は顔を反対側に向ける。

 するとシリカはベッドを抜け出した。

 聞こえてくるペタペタという裸足の音。そして何やらごそごそと服を身に付け始めた。耳からの情報だけで想像する女性の着替えは、なんだかドキドキしてしまう。

「いいわよ、こっちを向いても。って、なに、これ? やたらと短いんだけど……」

 僕がシリカの方を向くと、そこには広く胸元が開いたミニスカナースが立っていた。


 その時だった。

「大変だ、ホクト!」

 突然の声とともに病室のドアが開く。ライトが血相を変えて飛び込んで来た。

「シリカが帰ってこないんだよ! ホクト、シリカのこと知らないか!?」

 そう言いながら病室を見渡すライト。

 仏頂面で立っているナース姿のシリカと目が合って、慌てて恐縮する。

「す、すいません。病院なのに騒いでしまって……」

 あはははは、ライトのやつ、シリカを本物の看護師と間違えてるぞ。

 見ると、ライトは恐縮しながらも鼻の下を伸ばしている。

 そりゃそうだよな。美人のミニスカナースに胸の谷間を見せつけられたら、どんな男性だってイチコロだ。

 可笑しくなった僕は、いつぞやのお返しとばかり、すっとぼけることにした。

「シリカ? さあ、ここには来てないけど。シリカはどこかに行っちゃったの?」

 本当は目の前に居るけど。

「そうなんだよ。二時間くらい前だったかな、シリカとネフィーが二匹でトコトコと出かけたんだ」

 ライトは、シリカが行方不明になったいきさつを話し始める。

「またミモリの森?」

「それがな、俺もミモリの森に行くんだと思ってたんだが、なんとこの病院に来ちゃったんだよ」

「へえ……」

 シリカはわかる。ちょうど二時間くらい前にここに来たから。

 でも、ネフィーまで一緒だったというのは不思議だ。

 ジンク先生の花を咲かせるためには、ミモリの森に行って新芽に水をあげなきゃいけないはずだ。それなのに病院に来てしまったとは、一体どういうことなのだろう?

 目の前のシリカに聞いてみたかったが、今のシリカにはその時の記憶は無い。

「それでな、シリカは病院の中に入って行き、ネフィーは門のところで立ち止まっちゃったんだよ」

 そりゃ、ライトも迷っただろう。

 ――シリカを追いかけて病院に入るか、ネフィーと一緒に門で待っているか。

 行先が予想できそうなシリカよりも、どこに行くのかわからないネフィー。そう考えたライトは、しばらくの間ネフィーと一緒にシリカを待っていたらしい。

「すると突然、ネフィーが病院とは逆側に走り出してな。ビックリしたぜ。ネフィーは何かを追いかけているようだった……」

 ライトは慌ててネフィーを追いかけたという。そして彼女がたどり着いたのは――

「気がついたらミモリの森にいたんだ」

 やっぱり。

 あそこには何かがある。

「そして、ネフィーは水やりをし始めた」

 そういえばジンク先生の芽はどうなったんだろう?

 今朝のライトの話だと、かなり大きく育っているような感じだった。

「あの芽はどれだけ大きくなってた?」

「おお、あの芽はちゃんと大きくなってたぞ。そろそろつぼみが出そうだ。それがな、笑っちゃうんだけどネフィーは場所を間違えたんだよ」

 えっ、場所を間違えたって、どういうこと?

「最初、何も生えてないところに水をまいて、それから思い出したようにあの芽に水をまいたんだ。今日はシリカと一緒じゃなかったから、場所が分からなかったんじゃないのか?」

 そんなことってあるか?

 トリティになったとはいえ、ミモリの森を研究しようというネフィーが何も生えてない場所と芽のある場所を間違えるなんて……。

 もしかしたら、トリティになっちゃったから、レディウ人の時と感覚が変わってしまったということはあるかもしれないが。

 僕は何か引っかかるものを感じていた。

「その後、ネフィーと一緒にアパートに帰ってきたんだけど、いつまで経ってもシリカが戻って来ないんだよ。だからここに来れば、シリカのことが分かるんじゃないかと思ってたんだが……」

 ライトは再び病室を見渡した。

「ホクト、シリカは本当に来なかったのか?」

 心配そうな顔をするライト。その真剣な様子に、騙し続けるのが申し訳なくなった僕は、シリカのことを正直に打ち明けることにした。

「ライト、嘘ついてゴメン。実はシリカは来てたんだ。ほら、そこに居るじゃないか」

 僕はシリカを見る。彼女は不機嫌そうに壁にもたれかかっていた。

「ええっ、ここに来たって? だったら早く言ってくれよ。……って、どこにも居ないじゃないか」

 再びライトは病室を見渡した。

 するとシリカが無愛想に口を開く。

「何? もう話は終わったの? ていうか、あんた誰?」

 あんた誰って、そんな看護師の言いぐさってあるかよ。

「すいません、もうすぐ終わりますから。俺、ライトっていいます。おいおい、ホクト、からかうなよ!」

 恐縮したり自己紹介したり怒ったりでライトも忙しい。

 彼は本当にシリカのことが分からないようだ。

「だから彼女がシリカだよ」

「えっ?」

「そうよ、私の名前はシリカっていうの。ホクトがそう教えてくれた」

「ええっ、ええええっ!!??」

 ライトはミニスカナースに目をパチクリさせた。


「じゃあなライト。シリカを頼むよ」

 シリカの変身のいきさつを説明すると、最初ライトは信じられないという表情で彼女を見ていた。

 身分証での確認をうながしても、まだ半信半疑だった。

 口元のホクロについて指摘すると、彼も見覚えがあったらしく、だんだんと僕の話を信じるようになった。

 まあ、それは仕方が無いだろう。僕だったまだ信じられない。

 僕は変身の様子を見ているし、さらに匂いで確認しているから確信を持っているけど、他人から見たら全く別の存在だ。以前の記憶は無いし、言動だってトリティの時の愛らしい「きゅるるる!」という鳴き声からは想像できないほどぶっきらぼうときている。

 僕はライトにシリカのことをお願いする。

「アパートへの道案内を頼むよ」

 地図を見ると、シリカに割り当てられたアパートは僕たちのアパートのすぐ近くだった。

「あ、ああ、わかった……」

 生返事をするライト。目の前のミニスカナースに、まだ戸惑っている。

「シリカ、フリーパスを使い過ぎるなよ」

 シリカの身分証は、今日から三日間はフリーパスになっている。

 そのことを説明すると、シリカは急にはしゃぎだした。だって、わざわざアパートに行かなくたって、途中で好きな服が買い放題なのだから。

「わかってるって。さあライト、行きましょ!」

 すぐにでもここを出たいと意気込むシリカ。ライトの腕にしがみ付いて、豊満な胸を押し付け始めた。

 ライトはでれっと鼻の下を伸ばしている。おいおい、退院したらアンフィに告げ口しちまうぞ。

 まあ、ミニスカナースにしがみ付かれながら街を歩いたりショッピングするなんて、それはなんだか一種の罰ゲームかもしれないけど。

「あ、ああ。じゃあなホクト、また明日」

「じゃあね~、ホクト」

「ライト、シリカを頼んだよ。シリカもバイバイ」

 ――シリカ、またここに来いよ。

 本当はそう言いたかった。

 でも、否定の言葉を返されるのが恐くて言えなかった。そんな弱気な自分が嫌になる。

 ――もしかしたらシリカの姿を見るのはこれが最後かも……。

 ライトと一緒に病室を出て行くシリカの背中を、行くなと叫びたくなるような気持ちで見送った。

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