十五日目(土曜日)

ぬくもり

 朝起きると、体がいくらか軽くなっていた。腕も少しくらいなら動かせるし、頑張れば寝返りも打てそうだ。

 という事は……。

 ――はたして自分は男なのか?

 今ならそれを確かめることができるかもしれない。

 が、そう簡単にはいかなかった。

「ちくしょう、あとちょっとなのに……」

 もう少しのところで手が届かない。

「動け、この腕っ!」

 孤軍奮闘する僕は、忍び寄る影に気付くことなく――

「どうしましたか? ホクトさん」

 突然の呼びかけにビックリする。見ると、医師の先生がベッド脇に立っていた。

「大丈夫ですか? どこか調子が悪いのですか?」

 自分が男なのか確かめたくて――なんて、恥ずかしくて言えるわけがない。

 だから僕は、適当に理由を考える。

「早く外に出てみたいんです」

 これはあながちウソではない。

 こうしているうちに、シリカは消えてしまうかもしれないんだから。シリカの無事を確かめるためには、自分から外に出掛ける必要がある。

 しかし先生の答えは無情だった。

「あはははは、まだ無理ですよ、ホクトさん。今日は体を起こせるようになるのがやっとでしょう。おとなしくしていれば、明後日には車椅子で出掛けることができるかもしれませんよ」

 えっ、車椅子?

 そうか、そういう手があったか。

 でもそれまでは病室から出ることもできないのか……。

 僕は観念して、再びベッドに体を沈めた。



「よお、元気か?」

 お昼を過ぎると、ライトが一人で病室にやって来た。

「シリカは?」

「ああ、昨日と今日の午前中は街を案内してやったよ。彼女、見るわ、買うわ、食うわですごかったぞ」

 興奮気味に語るライト。その口振りから、ガツガツとお店を回るシリカの様子が目に浮かぶ。

「それで今はどうしてる?」

「なんか遊び足りないようだからバイト先に置いてきた。ちょうど女の子が二人、仕事が上がる時間だったんでな。シリカのフリーパスを見たら、彼女らも喜んでた」

 そりゃ、そうだろう。

 じゃなくて、それはちょっと無責任じゃないか? シリカはレディウ人になったばかりなんだぞ。

「おいおいライト、ちゃんと責任持ってくれよ」

 するとライトは僕のことを睨みつける。

「なんだよ、お前のためにシリカを置いてきたんじゃないかよ。お前にそんな風に言われる筋合いはないぜ」

 僕のためって?

 それだったら、シリカの様子をちゃんと見ていてくれればいいのに。

 不満げな僕の顔を見て、ライトは呆れた様子を見せた。

「まだ納得してねえって顔してるな。おいホクト、俺がシリカをバイト仲間に託してきたのは、何のためだと思ってるんだよ」

 なんのためって、そりゃ、あれに違いない。

「アンフィのお見舞いだろ?」

 するとライトはため息をつく。

「そりゃ、アンフィのお見舞いもあるけど。お前さ、シリカのことで頭が一杯になっちまって、どうして自分がそんな体になったのか忘れてるだろ?」

 えっ、自分がこうして寝てる理由?

 それは手術をしたからで、なぜ手術をしたかというと……。

 僕は思い出した。大切なことを。

 シリカのことが気になって、すっかり失念していた。

「ゴメン、ライト。ネフィーのことだよね……」

「全く、ミニスカナースにうつつを抜かしてるからそうなるんだよ。強烈にセクシーだったけどさ」

 なんだよ、うつつを抜かしていたのはライトじゃねえかよ。胸を押し付けられて鼻の下を伸ばしていた時の顔をアンフィに見せてやりたいぜ。

「とはいえ、手術を決断してくれたことは、心から感謝している」

 僕のことを叱りつけるような剣幕だったライトが表情を崩してくれた。

「今日もミモリの森へ行くんだろ?」

「だろうな」

 ジンク先生の芽は、もうつぼみが出ているだろうか?

 ここでサボったら花は咲かないかもしれない。それを一番わかっているのはネフィー自身なのだから。

「ネフィーのこと、よろしく頼む」

「ああ、わかった。任せておけ」

 ライトは僕の手を握ると、病室から出て行った。


 一人になった病室で、僕の心は自己嫌悪で一杯になった。

 何でネフィーのことを忘れてしまっていたんだろう……。

 いや、忘れてしまったんじゃない。シリカの方が気になっただけだ。

 だってシリカは、今日明日にも消えてしまうかもしれないんだ。そしたら、もう二度と会うことはできない。

 ネフィーだってきっとわかってくれる。だって僕がトリティになれば、二年近い月日を彼女と一緒に過ごすことができるんだから。

 僕は、ろくに動かすことのできない自分の体をもどかしく感じながら、再び眠りについた。



「ホクト、ホクト……」

 聞き覚えのある声で目を覚ます。

「ねえ、ホクト。起きてよ」

 声がする方を向くと、ベッド脇にシリカが立っていた。

「シリカ? 来てくれたんだね!」

「ええ、見りゃわかると思うけど」

 これは夢だろうか!?

 唇を噛んでみると痛い。どうやら現実のようだ。

 僕は嬉しくて飛び上がりそうになる。実際には飛び上がることはできないんだけど。

 ――神様ありがとう。シリカがまだ消えずにいてくれた。

 目に涙を浮かべる僕の顔を見て、シリカは不思議そうな顔をした。

「そんなに嬉しい?」

 そりゃ嬉しいとも。そう言おうとして、僕はあることに気付く。

 ――シリカはもうすぐ自分が消えてしまうことを知らないんじゃないか?

 それならば、何も言わない方がいい。

 僕はシリカに悟られないように必死に冷静を装った。

「えっと、そうだ、今は何時?」

 チラリと窓を見る。外はもう真っ暗だ。

「夜の九時よ。それよりも、すごいよホクト。これで何でも買えちゃうんだよ!」

 ジャラリとアクセサリの音をさせながら、シリカは僕の前に身分証をかざす。今まで気付かなかったが、シリカはすごい恰好をしていた。

 指輪、ブレスレット、ネックレス、イアリングに髪飾り。体のあらゆるところにアクセサリがぶら下がっている。

 服装だってすごかった。胸元の開いたシルクのブラウスに、タイトのミニスカート。目鼻立ちもくっきりした感じに見えるのは、化粧をしているからだろう。

「カオリンとキャルがね、コーディネイトしてくれたんだよ」

 その二人はきっと、ライトのバイト先の女性に違いない。

「いろんなお店を回ったの。楽しかったぁ~」

 そりゃ楽しいだろう。女性同士で気に入ったものを何でも買えるのなら。

「それで、明日はどうするんだ?」

「朝からまた二人と約束してるんだ。お化粧の仕方をちゃんと教わるの」

 そんなに着飾ってさらに綺麗になったら、街でナンパされるんじゃないか?

 一言注意をしようとすると、シリカは突然僕に背を向ける。

「じゃあ、お化粧を落としてくるからね」

 えっ、化粧を落としてくるって……? どういうこと?

「おい、待て。お前、自分のアパートに帰るんじゃないのか?」

 するとシリカは振り返ってニコリと微笑んだ。

「違うよ、今日はここで寝るの。だってさぁ、昨日はあんまり寝られなくって」

 眠そうに大きなあくびをする。

「ここの毛布の方が寝心地がいいんだよね」

「おいおい、勝手に決めるなよ」

 本当は大歓迎だけど。

「ていうか、病院に泊まったらまずいんじゃないのか?」

「大丈夫。ちゃんとパジャマを持ってきたから」

 そう言って巾着袋を顔の前に掲げるシリカ。

 いやいや、そういう問題じゃないって。病院で男と女が一つのベッドで寝るのはやっぱり良くないんじゃ……。

 バタンという音ではっとすると、シリカはすでに病室を後にしていた。


「お待たせ~」

 しばらくするとシリカが戻って来た。パジャマ姿がキュートって、ええっ? さっきのアクセサリジャラジャラ状態なんだけど。

「シリカ、パジャマに着替えて来るんじゃなかったのかよ」

「そうよ。これから着替えるんだけど」

 着替える……って?

「どこで?」

「ここで」

 ココデ、パジャマ二、キガエル?

「って、ダメだよ。ダメ、ダメ!」

 慌てふためく僕を前にして、シリカは不思議そうな顔をしていた。

「変なホクト。昨日だってここで着替えたじゃない。ほらほら、あっち向いてて」

 有無を言わせぬシリカに、僕は仕方なく反対側を向いた。

「あら、今日は体も動かせるのね」

「ああ、ちょっとだけならな。明後日には車椅子で外に出られるらしい」

 シリカに背を向けて会話している間、ジャラジャラとアクセサリを外す音がする。

「じゃあ、動けるようになったら買い物に行きましょ」

 そして衣擦れの音。今のシリカは下着姿なのだろうか?

「ホクトのために何か買ってあげる」

「いらないよ。何もいらない」

 フリーパスで買ってもらっても少しも嬉しくない。

「どうして? これで何でも買えるのに」

 何でも買えちゃうから嬉しくないんだけど……。

「フリーパスじゃなくて、シリカが働いたお金で買ったものなら喜んでもらうけど」

 それに、そのフリーパスが切れる時は、シリカが消えてしまう時なんだから。

「変なホクト。遠慮しなくてもいいのに」

 すると突然、背中に温かい感触が伝わって来た。

「ああ、この感じ。なんか落ち着くわ。じゃあ、お休み」

 振り向くとシリカが僕のベッドに潜りこんでいた。

「なんだ、もう寝るのかよ」

「そうよ。今日は疲れちゃった」

 まあそうかもしれない。あれだけ買い物をしていたのだったら。

「じゃあね……」

 あっという間に寝息を立てるシリカ。

 僕はシリカが隣に居る懐かしさを噛みしめながら、この時が永遠に続けばいいと願っていた。

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