告白
調査も大詰めを迎えたある朝、ネフィーの様子がおかしかった。
いつもなら元気よく玄関を飛び出して行くのに、今日はドアの前で立ち止まったのだ。
「どうしたんだい、ネフィー」
僕が訊くとネフィーは神妙な顔つきになる。
「ついにレディウ人になる時が来そうなの……」
ええっ、まさか!?
その日は迫っているとは思っていたが、こんなにも突然にやって来るとは。
お願いだからネフィーの気のせいであってほしい。
祈るような思いで彼女を見る。
「本当なのか? 気のせいじゃないのかっ?」
動揺する僕を諭すように、ネフィーは静かに言った。
「そんな感じがする。いや、たぶん間違いない……」
その感覚が本当なら、ネフィーはもうすぐ記憶を失ってレディウ人になってしまう。
これはもう、どうしようもない運命なのだ。
僕にはそれが耐えられなかった。
「いやだ、ネフィー。頼むから僕を置いて行かないでくれ」
シリカが消えてネフィーも消えてしまったら、僕は一体どうしたらいいのだろう。
「ホクト、落ち着いて!」
おどおどする僕にネフィーは語気を強める。そして真剣な眼差しを僕に向けた。
「大事な話があるの。記憶が無くならないうちに、あなたに伝えなくてはならないことがある。だからあなたには冷静になってほしいの」
――大事な話。
そのことを聞いて、僕は深く息をして呼吸を整える。
――最後なんだからちゃんと話を聞かなくちゃ。
僕が落ち着いたのを見ると、ネフィーは階段を上がり彼女の部屋に入って行く。僕は黙って彼女の後をついて行った。
部屋に入ると、ネフィーはポロポロと涙をこぼし始めた。
「ゴメンね、ホクト。私はあなたに謝らなくてはいけない」
僕も一緒に泣きたいくらいだ。
でも、このネフィーの言葉に違和感を覚える。
どちらかが先にレディウ人になってしまうことは、今まで何度も話し合って、二人で覚悟してきたこと。
いざその場になってみると、かなり衝撃的なことではあるが、「謝らなくてはいけない」とはどういうことなのだろう。
この二年間、ネフィーと二人で楽しく暮らしてきた。だから彼女に謝ってもらうことなんか一つもない。
「ネフィーが謝ることなんかないよ。これは運命なんだから」
「そうじゃないの。私が悪いの。ゴメンね、本当にゴメンね……」
ネフィーの涙はしばらく止まることはなかった。
涙を流し尽くしたネフィーは、ゆっくりと話し始める。
「私はあなたを、ミモリの花畑から遠ざけていた」
確かに僕は、トリティになってからは花畑に行ったことがない。
ネフィーに止められていたこともあったけど、シリカのことを思い出さないようにと自制していたからだ。
だって、ネフィーと一緒のときは彼女との生活を楽しみたい。残された時間を精一杯生きるためには、シリカのことを思い出している暇はない。
だからミモリの花畑に近づかなかったのは僕の意思でもあったんだ。
「それはね、私のわがままだったの」
わがまま?
それってどういうことなのだろう?
「ネフィーは僕が倒れないようにって心配してくれてたんだろ? だったら、その配慮はわがままって言わないと思うけど」
「ありがとうホクト。そう思っていてくれて。でも実際は違っていたの」
違っていたって……?
何か別の理由があったのだろうか。
「トリティになって私が初めて花畑に行った時、すごい衝撃を受けたの。ミモリの花にはね、トリティにしか感じられない香りの効果がある。そのことがわかったの」
以前ネフィーから、トリティはミモリの花の匂いを嗅ぎ分けることができると聞いていた。
でもそれが、僕を花畑から遠ざける理由になるとは思えない。
「ホクトも花畑に行けばわかる。いや、私がレディウ人になったら、ホクトは必ず行くことになる。そこであなたは真実を知る」
もしかすると、それがミモリの花畑の秘密?
そこには、僕に知られてはいけないことが隠されているのだろうか。
「シリカちゃん、いやシリカさんのあなたへの想いを」
ネフィーはポロポロとまた涙をこぼし始めた。
「あの花畑には、シリカさんの五万年分のあなたへの愛が溢れている。それは圧倒的で、私の想いなんかちっぽけに見えて、あなたに知られたくなかった。それであなたには花畑に行ってもらいたくなかったの。ゴメンね、ホクト。私って本当に自分勝手でひどい女だよね……」
シリカの想い。僕への愛。
ネフィーは、その想いに圧倒されたと言う。
きっと、シリカが消える前にシリカに乗り移った何かが、その想いだったのだろう。
そう考えると、あの時のシリカの言葉が理解できるような気がする。
『これは神様がくれた奇跡だわ。こうしてお互いがレディウ人になって再び会えるなんて』
ミモリの花畑にずっと存在していた僕への想い。
でも、それを知ったところでどうにもなるものでもない。だってシリカは消えてしまったんだから。
逆に僕はネフィーに感謝しなければならない。
僕をミモリの花畑から遠ざけてくれたおかげで、シリカのことを思い出さずに済んだ。この二年間楽しく暮らせたのは、ネフィーのおかげなのだ。
「ありがとうネフィー。いいんだよ、もうシリカは消えちゃったんだ。それにね、シリカが消える時に、五万年分のシリカの想いともさよならをしたんだ」
『素敵な瞬間だった。神様、ありがとう。そしてホクト、さようなら……』
お別れを言いながら、眠るようにシリカの想いは消えて行った。
そのことを僕はネフィーに話してあげる。シリカとキスしたことは黙っていたけど。
するとネフィーはさらに涙を流し始めた。
「よかったぁ。シリカさん、最後の最後でホクトに会えたんだ……」
自分はもうすぐ記憶を失って変身してしまうというのに、人の心配ばかりして。ネフィーってなんて素敵な女の子なんだ。
僕はしっかりと彼女を抱きしめた。
「ネフィーありがとう。君と過ごした日々は絶対に忘れない」
「私もホクトのこと忘れたくない……」
僕達は熱くキスを交わした。
「これで思い残すことはないわ」
涙を拭いたネフィーは、すがすがしい笑顔を僕に見せた。
「そんなこと言ったら、ネフィーがいなくなってしまうみたいじゃないか。レディウ人に変身したってしばらくは一緒に暮らせるだろ」
「でも記憶は失ってしまう」
「じゃあ、ミモリの森に連れて行ってやるよ。また奇跡が起きるかも知れない」
「無駄よ。私の想いはあそこには無いの。まだね……」
ネフィーの想いはミモリの森にはまだ無い?
それってどういう意味なんだ?
「たとえ想いが無くたっていい。ミモリの森に行けば、きっと君は僕のことを思い出す」
そうなればいい。
いや、きっとそうなるに違いない。
断言する僕に、ネフィーは穏やかに微笑みながら別れの言葉を告げる。
「じゃあね、ホクト。最後の最後に、一つお願いがあるの」
「なんだい?」
「私がレディウ人になる時、家の外で待ってて」
えっ、僕は、ネフィーがレディウ人になるところに立ち会えないのか?
「えーっ!?」
残念がる僕に、ネフィーは恥ずかしそうにうつむいた。
「だって、レディウ人になる時って裸になっちゃうんでしょ? 恥ずかしくてホクトに見られたくない」
「じゃあ、ドアの外じゃダメ?」
ドアの外なら、レディウ人になったネフィーにすぐに会うことができる。
「ダメよ。これは私からの最後のお願いなんだから、ちゃんと外で待っててね。きっといいことがあるわ」
くすくすと笑いながらネフィは部屋を出て、お姫様部屋の前で立ち止まる。
そしてガリガリと大きな音を立てて、部屋のドアを引っ掻き始めた。
すると、階下から慌ててアンフィがやってきた。
「まあ、ネフィー! レディウ人に戻るのね。ちょっと待ってて、今ドアを開けるから」
僕達の間で、事前に合図を決めていた。
レディウ人になる時には、お姫様部屋のドアを引っ掻いて知らせるという風に。
すると血相を変えてライトも階段を駆け上ってきた。
「どうした、どうした? ネフィーが戻るのか?」
「はーい、ダメダメ。男どもは入っちゃダメよ」
アンフィはライトを制止する。
お姫様部屋に入ったネフィーは、僕の方を向くと小さくウインクする。僕も、外で待ってるよと瞳で返事をした。
ゆっくりと部屋のドアが閉まる。僕は急いで家を飛び出した。
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